どれだけ願っても二度と戻ることができない、美しかったあの日々に捧ぐ物語
京
第1話
男友達が死んだ。
それを知ったのは翌朝の教室、HRのときだった。
「急募」
「課題ヘルプ」
「おーい」
「既読ずっとつかないじゃん」
「もしや今忙しい?」
「え、私なんかした?」
昨夜送ったLINEを改めて見返すと私が一時間毎に送ったメッセージは全て未読のままだった。というかこのペースで送り続けてる私も私だが。普通、たかが学校の課題ごときでこんなにしつこく送ったりしないのだ。
奴は常に返信秒速男だったので何かあったのだろうとは思っていた。思ってはいたのだが。
いやいや。
なんてこった。
「死んだってまじ?」
と打ちこみ、変換してすぐ消した。どんな不謹慎な文面だこれ。死を軽く捉えすぎてはしないか自分よ。笑い話にもならない。死んだのが事実ならそんなので返信返ってくるわけないのだ。
死んだのが事実なら、だ。
ふぅっと大きく息を吐き、目を閉じる。視界情報をシャットアウトしただけでだいぶ気持ちが楽になった。
いまだに現実味がない。なんなら夢なんじゃないかとか思ってしまっていた。無茶なことを言えば、本人から直接死んだよって報告してもらわないうちは確信が持てないのだ。
乱雑に敷いた布団に直進ダイブして枕の上で頭を軽く押さえ、一人で呻く。吐き気が止まらなかったが胃のなかは空っぽだった。この時間帯、幸いなことに家には私以外誰もいない。呻いても涙は出ない。ここに来るまで、私は一回も泣いてないのだった。
体調不良と称して保健室からのお家に直行ルート。担任も保健室の先生も何も聞かないでくれた。何も聞かないでくれるのは救いだった。同級生も心配はしてくれたが探ってきたりはしない。周りの人間は私が思っていたよりずっと優しかったと気づいたのは最近のことだ。
というか、体調不良は間違ってない。胃がもたれている感覚がずっと抜けない。頭がぼんやりしている。足元がふわついている。夢の中を歩いているような感覚。ただ、よく考えれば早退するほどのことでは無かったのかもしれない。
これは、果たして現実のことだろうか。ショートしきった思考回路をなんとかフル稼働させて考える。死んだ。そうだ。それは聞いた。でもそれはまだ先生にそう言われただけで、だって昨日までは生きていた。生きていたのに。
未読のまま一日が過ぎる。二日が過ぎる。
いつまで経っても既読がつかないこのLINEが、彼の死を表す唯一の信号だった。
「渡辺って可愛いよな」
「…はぁ」
曖昧に頷く。同じクラスの渡辺さんが可愛いのは紛れもない事実だが、正直誰が誰のことを可愛いと思ってるのかはあまり興味がない。それにこの発言は今日だけで二十五回目だ。多すぎ。いつまで続くねん。
「今めちゃくちゃ失礼なこと考えてただろ」
「いや別に」
心の中のエセ関西人を静かに引っ込める。
駅の近く、ドーナツが売りの喫茶店。開店初日は大行列だったこの店も今では割と閑散としている。特に夕方は意外と人がいなくて快適だった。
「いつまでこの不毛な話続くんかなって思っただけ」
「ちゃんと失礼なことじゃん」
はっと鼻で軽く笑ってから彼は視線を落として目を細め眼前に広がる大量の白紙レポートと十三回目の睨めっこを始めた。笑ってる場合じゃないし計画性がないからそうなるんだと言おうと思ったがやめた。悔しいことに私も人のことを言えないくらいに似たような状況だった。ぐぬぬ。
目の前の彼は全国順位堂々の一位を誇る佐藤という立派な苗字を持っていたが、同じクラスに佐藤が二人いるということで差別化が図られた結果、なかなか奇怪なあだ名をつけられていた。シンプルに可哀想。幸いなことに本人はあまり気にしていないみたいだった。
私はそのあだ名で彼を読んだことはない。というか、クラスメート全員の名前を呼んだことがない。名前と顔を一致させるのに人の五倍くらい苦労しているのだ。名前を忘れているというのはどうも世間一般では失礼に値することのようなので、そういうわけで一年位前から「ねぇねぇ」とか「君」とかに呼び方を統一しているのだった。こうすることで名前を覚えられてないということが気づかれずに済むのだから、二人称とは素晴らしい発明に違いない。
最も、彼には気づかれてしまったが。
「彼氏いるのかな、いたら悲しいな」
きっかけは些細なことだった。
それから数ヶ月、なんやかんやあって互いに課題を助け合ったり、中身のないLINEをするような仲になった。同じクラスの人々はそのことを誰も知らない。教室で直接話したことがないのだからそりゃそうだって感じではあるのだが。
話題の渦の中心に常にいる彼、仲良しさんが教室に一人もいない私。色々な意味で生きる世界が違うのだ。教室という狭い狭い社会の縮図はそういうふうにできていて、そこに疑問をもったことはないし、特に誰かと仲良くなりたいとも思っていなかったのだが。
むしろこの状況が疑問だった。誰かに見られたらどうするんだこれ。私は失うものが何もないから別にいいのだが。
なんの話だったっけ。そうそう、渡辺さんの話。数少ない、名前を覚えていられる友人の一人。
「直接聞いてくれ」
どうでも良くなったので適当にあしらい私も課題を始めることとする。数字達が手を取り合い紙面の上で踊り始めた。無理無理。お手上げ。なーんもわからん。
どんな人だった、と聞かれればみんなは口を揃えて明るくて面白い人だったと言うだろう。実際私も似たような印象を持っていた。常にみんなの輪の中心。いわゆる陽キャ。キラキラした世界で生きる人。
ので、こうして黙々と課題をやり、冗談も言わず、ときには暗いオーラすら発してるように見える彼がどうしても同一人物には思えないのだ。
もちろん学校のテンションそのままで話しかけてくることもあったが、というかそれがほとんどだったが、たまに見せるこの暗さはまぁ学校の彼を知っている人からすれば珍しいものだろう。
似たもの同士、ではなかったが。
この空間は確かに他のどの場所よりも楽だった。
「はよ起きろねぼすけ」
聞き覚えのある声がして、私はゆっくりと瞼を開けた。
気づけば気怠そうにこちらを見る彼がいる。制服に指定外のカーディガンを羽織るいつものスタイル。最後に見た服装そのまんま。ちょっと顔色は悪そうだがどこも怪我してない。あれ、死んだんじゃないのか。なんだ生きてんじゃん。
ここはどこだろう。見覚えがあるようでない場所。雰囲気がなんとなく学校の教室のどこかに似ている。思い出せない。どっちでもいっか。
「それより早くLINE返してくれんか。なんか君が死んだことになってんだけど」
私は平然を装って返答した。うまく顔が見れなかった。
「はぁ」
大仰にため息をついてから彼はこちらに近づいてきた。真っ直ぐに歩けない歩き方も彼のままだ。表情が読み取れない。無意識的に後ずさったが彼が近寄るスピードの方が速かった。あっという間に目の前に彼の顔が来た。半ば強引に右手を取られる。咄嗟のことで抵抗できない。私が声を発するより彼の方が行動がわずかに早かった。思わず目を瞑る。
彼は、私の右手を自分の胸のところに置いた。
「……」
「ごめん、死んでるのは本当」
恐る恐る、目を開けた。よく見れば彼はひどく申し訳なさそうな顔をしていた。不機嫌などではなかった。
「それを、ちゃんと伝えに来た」
確かに、心臓は動いていなかった。
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