第7話 濃霧の悪夢

「ブラックマンバ!」


クロエは昔の記憶を思い出した。国際的テロリストのブラックマンバとの激闘の記憶を夢で見ていたようだ。封印したはずの記憶だった。忌まわしい記憶でしかない。あの地獄の戦場でクロエはあまりにも地獄を経験し過ぎた。超巨大テロ組織の軍事力はまるで一つの国そのものだった。疲弊しすぎたのだ。クロエ達が負った傷も深かった。五人全員が消したい記憶だったが、とても忘れられるわけがなかった。


「何度思い出しても嫌なものだな」


クロエは体を起こすと軽くなっているのを実感した。良かった。疲れが吹き飛んでいる。


「今回もあのときのように嫌な胸騒ぎを感じる。面倒事にならなければいいが。成就を願うしかないな」


クロエが目を覚ますと辺りは夜になっていた。疲れからすっかり熟睡していたようだ。豪雨は弱まっていた。これで楽に行軍できる。あの植物との戦闘はやはりあるだろうが。クロエは木の幹から這い出した。よく寝たお陰か体が軽い。今なら一気にジャングルを駆け抜けられそうな気までするくらいだ。そして美しい筋肉質の肢体には汗が滴っていた。寝起きのクロエは妙に色っぽかった。白い肌と金髪に朝日が反射して眩しい。これは良い戦果があげられそうだ。バックパックから水を一気飲みすると夜の帳を全身に受けて頭をスッキリさせた。ここからは夜の戦いになる。クロエは装備を整えて再びジャングルを目的地へ向けて進んだ。


「作戦を再開するか」


クロエはスマホで現在位置を確認するとこれからの予定を考えた。一度ジャングル奥へ進む前に情報を受けるべきだ。クロエが休憩していた場所は真っ直ぐ進むと三叉路になり上に進むと川、右に進むと未開の地、左に進むと海に出る。海辺ならば隠密に情報提供が受けられる確率が高い。クロエは海に行くことにしてスマホをバックパックにしまった。だがその前に気になることがあった。昨日クロエが休息をしていた場所からそう遠くないところで麻薬組織の拠点があるではないか。スマホのマップを見てみるとここからそこまではさほど離れていない。向こうからは木々が死角となって見えない。近づくには有利だ。恐らくブラックマンバやゲリラ部隊と手を組んでいるシンジケートだろう。南米で急激に勢力を拡大している麻薬売買組織だ。あれも殲滅対象に入っている。アビゲイルやマヌエラと並ぶ凄腕の女ボスモニカに率いられ中南米の様々な犯罪に加担している。敵の方が人的に有利だ。施設とはいっても以前破壊したマヌエラの倉庫群のように簡単なもののはずだ。補給の面も兼ねて制圧しておく。そして何かしらの資料も見たかった。この作戦が始まって以降麻薬組織と接触するのは初めてだ。前と同じ要領でやりたいところだ。死地に行く前に出会った敵は排除しておいた方が懸命だろう。


「やつらをまず排除するか。何れにせよ情報交換をする範囲から敵は消したいしな。安全を確保する意味もある。」


クロエは現在位置から北西を目指して行軍した。すぐの場所だ。敵方の偵察もしなくてはならない。


豪雨がかなり弱まっているため前回のようにはいかない。足音などをたてないように注意しなければ。慎重に進む。


「雨がやみそうだから今度は音に注意だな。」


クロエがゆっくり進んでいると完全に雨がやんだ。そして茹だるような灼熱の暑さがジャングルを照らし出す。湿気も帯びてきた。地獄だ。連日の豪雨で地表にたまった水分が物凄い霧となって蒸発していく。寒暖の差が大きい。


「この霧は有効に使えそうだ。」


クロエは霧を見てシンジケート殲滅の戦法を考えた。この巨大な濃霧を利用する。見渡せば周囲は一メートル先も何も見えないほど深い霧に包まれていた。


「やつらと私がいた場所が死角になっている理由がわかったぞ。」


クロエが目指すシンジケートの基地は高台から見下ろせる低地にあった。つまり裏手が急な斜面になっている。そのためクロエが休んでいた陣地は近いがここから発見するのは不可能だ。


「高低差がある土地に拠点を作ったのか。敵も数が少ない。この霧に紛れて一人一人片付ければ面倒ではなさそうだ。」


クロエは頭の中で戦略を練るとナイフを手に取った。もはやジャングル全体が濃密な霧に包み込まれている。シンジケートもライトをつけて確かめなかまら行動していた。


「やはり霧のせいで動きが鈍いな。この霧はもっと濃くなり増えるはずだ。それに紛れるか。」


豪雨が激しかった影響で霧の濃さも異常だった。


クロエは静かに斜面を下る。


断崖を下ることもクロエにとっては慣れた作業だった。以前経験したギアナ高地での戦闘で彼女はあの有名な滝の側面を上り降りした。敵の意表を突く、あるいは迅速に撤退するには道なき道を突き進むしかない。それが崖でも洞窟であってもだ。この程度の高さの崖は何の問題もない。むしろ楽なくらいだ。数十メートルの傾斜を彼女は楽々と無音で降りてしまった。早いが的確な所作だった。草木に触る音に気を付ければ音を立てずに降りるのは造作もないのだ。素早く崖下の草むらに身を隠す。辺りを見回すと、すると数人の女がトラックから連れてこられてきた。どうやらここは麻薬組織の連れてきた女達が閉じ込められている建物のようだった。ここに一時集めておいて順次本拠地へ輸送するのだろう。嫌な商売だ。だが彼女の任務は救出任務ではない。あくまでも組織の壊滅なのだ。だが無力化する過程で結果的に助けることになるだろうが。


クロエは草むらからゆっくり移動しながら敵側の人数を探る。ここには必要最低限の人員しかいないようだ。十人はいない。このまま無力化する。まずは手前の男から。


ここは恐らくは麻薬入りの物資がたくさんためられている。南米産の麻薬は高く売れる。出荷先はアメリカが多いと思われる。


「麻薬は最適な資金源になるからな。」


ブラックマンバが肩入れしたことでシンジケートの売り上げは跳ね上がったはずだ。彼らの力により摘発ができなくなったことでシンジケートは容易に他国に売りさばくことができる。武力だけではなく技術も投資しているはずだ。ブラックマンバの科学部隊が一枚噛んでいるはずだ。南米産麻薬は世界中に拡散しその資金はブラックマンバとゲリラ部隊に入ることになるに違いない。ブラックマンバは南米でも様々な犯罪やビジネスに関与し潤沢な予算を持っている。


その一角を葬るため、ここを壊滅させる。まずは一人目の男を狙う。一番近く端にいる相手だ。クロエはナイフで音もなく忍び寄り、死角に入った男の首を一刺しにした。声も出さずに男は倒れる。死体を草むらに隠す。そして立ち上がると建物の裏手に張り付いた。この広場にはボロボロの備蓄庫が点在している。次のターゲットは今張り付いている備蓄庫から一番近いところに立っている男だ。銃を持っている。ここから出れば正面になり見つかる。裏をかく必要がある。備蓄庫に隠れながら相手の後ろ側につければ仕留められる。クロエは巧みに隠れながら横に移動し銃を持っている男の背後の位置に来るようにしてナイフを取り替えた。グリップを強く握りしめと銃を装備している男に目掛けてナイフを投げつけた。サバイバルナイフでもバタフライナイフでもなく投擲用ナイフだ。男は即死して崩れ落ちる。これで前に進める。クロエは男を引きずって備蓄庫の裏に隠すと銃を奪う。アサルトライフルではなく拳銃にした。素早く動けるものの方がいい。次は備蓄庫内部で作業をしている男だ。木箱を整理している。これも仕留めなければ背後を取られる可能性がある。クロエはナイフを握りしめ備蓄庫に近づく。男は麻薬の入出庫を管理しているようだった。取り出す箱と仕舞う箱とに分けている。箱に納められている麻薬類はかなりの数だ。クロエは幸いにも扉が開いている備蓄庫に入ると首をつかんでナイフを差し込んだ。男がそのまま死亡する。クロエは男を木箱の後ろに隠すと扉を静かに閉めた。そして前の備蓄庫の後ろに隠れる。すると出入り口の方でトラックが一台出ていった。麻薬や女の積込が完了したんだろう。五人の男達がトラックに乗り込んでいる。もしかするとブラックマンバ構成員がいる場所にいくのかもしれない。ゲリラの可能性もある。麻薬シンジケートを実質的に支配しているのは彼らだ。ブラックマンバの用意した秘密ルートがあるのだと思われる。摘発を逃れるにはそれにか考えられない。当然ここよりも大きな集積所に向かった可能性もある。だがこれで敵は減ったことになる。トラックには最低五人は乗っていた。つまり残るはあと二人だ。クロエはナイフを持ったまま回りを見渡しながら次の備蓄庫へ進んだ。どうやらあと少してまこの広場の中心に出る。備蓄庫に背中を合わせて進みまた次の備蓄庫へ移る。すると二人の男が見えた。女達が監禁されている備蓄庫にいる。どうやら女達を襲うつもりのようだ。武器は拳銃だ。ここからだとちょうど死角になる。まとめて倒せるかもしれない。クロエは備蓄庫の角に沿って歩き、身を屈めて様子を見た。やはり男が備蓄庫の中にいる女を物色して回っている。今ならば油断していて隙がある。クロエは男が備蓄庫の中に入るのも見計らって近づいた。もう周りに敵はいない。いるのはあの二人だけだ。クロエが走り出す。例の備蓄庫に迫ると女達の悲鳴が聞こえてきた。急がなければ。彼女は一気に駆け抜け目的の備蓄庫に到着すると壁に耳を当てた。男達が女達の服を脱がせているようだ。ここは一度にケリをつけたいところだ。クロエは扉を思いきり開けた。


「動くな!銃を捨てろ!そこに膝間つけ!」


男達は驚いて振り向く。金髪の美しい女が銃を構えて立っている。大人しく銃を置いて手を挙げて膝をつく。


クロエは男達の銃を拾うとバッグに放り込んでおき、一人の筋肉質な男にナックルを叩き込み気絶させた。もう一人の男にはナイフのグリップを叩き込み気絶させる。女達には逃げるように指示をだし備蓄庫を物色してみる。女が言うには自分達は近くの村からつれてこられ麻薬を吸わされて海外に売りに出される商品なのだという。ここにいたのは集積回路だからだ。各集積所でトラックに積み替えて拠点に輸送するのだそうだ。彼女達はクロエに感謝しながらジャングルに逃亡した。ブラックマンバは人身売買も手掛けている。麻薬と合わせたこの闇の商売はさぞかし利益を生むのだろう。備蓄庫には何もなかった。あるのは麻薬だけ。クロエは転がっている二人の男の喉をナイフで掻き切ると装備品だけを取って集積所広場を後にする。使えるものは何もない。武器庫ではないので爆破もしない。だがここは海に抜けるには近道のようだ。女達が囚われていた備蓄庫にはこの地帯の地図があった。これを辿って海に行くか。


クロエには複数人の戦友がいた。皆特殊訓練を受けた兵士だ。凄まじい戦闘能力を秘めている。アメリカ軍、情報機関、警察等その仲間の範囲は広い。クロエは国際テロ組織ブラックマンバとの戦闘で五人の戦友と共闘した。この戦闘は想像を絶する死闘となり全世界での戦いとなった。クロエ達の活躍で組織は壊滅させられたが残党は世界各地に散らばり散発的なゲリラ活動を展開している。完全に闇を絶つことは出来ないのだ。あまりにも巨大すぎた怪物のような組織であるブラックマンバは実体の無いテロリスト集団になったのだ。逃亡したリーダーは世界中の隠れアジトに潜伏しながら裏で指揮を執っている。彼女達は物凄い強敵だった。クロエ達でさえ、誰一人倒すことは出来なかった。勿論深傷は負わせたがあの程度で死ぬような連中ではない。まさにブラックマンバはクロエ達の宿敵である組織だ。組織的な活動自体は停止したがいつ再建するかわからない程の資金力はある。油断なら無い相手である。本作戦にも敵ゲリラの首領マヌエラの背後にいるのはブラックマンバ幹部の女だという。司令官はそう言った事情も踏まえてクロエを送り込んだのだろう。アメリカ軍が掴んだ情報からするとマヌエラは反米ゲリラの勢力を抱き込み支配地を拡大する資金や武器、人員を中南米で暗躍するブラックマンバ幹部から得ているようだ。更には巨大な麻薬組織までをも傘下に収めている。悪名高いモニカのシンジケートだ。その影響力は凄まじく、FBIにマークされるほどアメリカ本国にまでその魔の手を伸ばしている。姿無き毒蛇がこのジャングルにも複数匹潜んでいる。ブラックマンバがバックに絡んでいる以上、他のゲリラ組織のようにはいかない。必要以上の警戒が求められる。ブラックマンバの経済力とマヌエラ率いるゲリラの戦術が合わさればこの上なく恐ろしいことになる。本格的な攻勢が始まればその特殊な戦法でこの地域でのアメリカ軍の占領地は失われるだろう。そうなればアメリカ軍の事実上の撤退は止む負えない。今までの苦しい戦闘の意味がなくなる。そうならないようにクロエが送り込まれた。ブラックマンバと反米ゲリラの魔の手。この地獄は何とも恐ろしい。だがクロエには頼もしい協力者がいる。CIA特殊工作員のステイシーだ。詳しい内容は彼女からレクチャーを受けた。アマゾンの熱帯雨林に進撃する前にブラジルのバーで打ち合わせをして来た。そこでブラックマンバとマヌエラの関係を知ったのだ。ステイシーは南米を担当することが多くクロエとと何度も共闘してきた。その彼女が最近南米でブラックマンバの影がちらついていると教えてくれたのだ。彼女はブラックマンバ幹部の写真もくれた。ブラックマンバ幹部の一人で以前クロエも手合わせしたアビゲイル・マースデンと言う女だ。黒い死神やブラックコブラ、黒魔術師など様々な異名がある。クロエもアビゲイルには大苦戦した。呪われた女の戦闘能力は超人的なレベルだったのだ。


「しかしアビゲイルがマヌエラを支援していたとはな。流石に驚いたぞ。ブラックマンバの中でも特に戦闘専門のアビゲイルが反米ゲリラ最大勢力のマヌエラと手を組んだら相当厄介なことになるぞ。どうりで胸騒ぎを感じたわけだ。アメリカ軍が敗退する前に何とかしなくては…」


クロエはブラックマンバ最高幹部アビゲイルの強さを思い出していた。彼女は銃、ナイフ、手榴弾などを駆使した戦闘も神業の域なのだ。特殊生体兵器第一世代最強クラスは伊達ではない。気を抜いているとあっという間に殺されるだろう。マヌエラの戦闘能力も常軌を逸しているが、アビゲイルの戦闘能力はクリーチャーそのものだ。この二人の猛攻は考えるだけでも恐ろしいものがある。ブラックマンバのアビゲイルとサラマンダーのマヌエラ。怪物アビゲイルと残虐なマヌエラを同時に相手にするとなってはこちらももう一人仲間がいる。クロエは今回ステイシーに支援を依頼してある。これから連絡を取りとりあえず海辺で落ち合う予定だ。アメリカ軍の情報網も掻い潜るブラックマンバが今回の任務に関わっているとなるとこちらも協力者が必要だった。ステイシーも戦闘能力が高いため適任であった。彼女のCIAとしての知識も欲しい。極秘情報を扱える彼女が作戦の完遂には不可欠だった。今回のクロエのパートナーはステイシー・テイラーとなる。久し振りの共闘に胸が弾む。一先ず夜の内にステイシーと会いたい。クロエはスマホを開いた。


「ステイシーはもう着いているのか。相変わらず素早いやつだ。私が眠っている間にここまで」


スマホにはステイシーからのメッセージが入っていた。どうやらこちらが動く前にすでに動いていたらしい。工作員だけあり流石仕事が早い。クロエがジャングルに入った時はコロンビアで情報収集をしていた。


「休養もとったし申し分ない。ここから近いビーチに向かうか。ステイシーも位置を考えて選んだようだ」


ステイシーはクロエが今いる場所から一番近い海岸に来ていた。ここからはジャングルを左に抜ければ海に出られる。本来は深い奥に繋がる右に行くべきだがステイシーとのコンタクトが優先だ。クロエはスマホにメッセージを返信するとジャングル奥地ではなく海岸へと急いだ。後で引き返せば良い。一度情報共有をしておく。彼女には敵部隊の車両などの破壊を頼んである。


「この作戦ではステイシーの存在は絶対必要だ。ブラックマンバが出てきた以上は私も油断できない。アビゲイル…」


クロエはアビゲイルとの戦闘をシミュレーションしながらジャングルを進んでいった。


「ステイシーもマヌエラには借りがあるようだしな」


クロエはステイシーの話を聞いて自分がアビゲイルに対する思いと似ている感情を感じ取っていた。以前ステイシーから聞いたことがある。クロエがブラックマンバアビゲイルと因縁があるのに対してステイシーはマヌエラと因縁があると言う。ステイシーの方がゲリラ部隊との付き合いは長いのだ。魚と鳥と蛇と蜥蜴の戦いは暗雲渦巻く激戦になりそうだ。


etc.....

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