カラーレス

たげん

世界は鮮やか

『ムート、お前は弱いんじゃない、心を強く持てないだけだ。守るものができた時、守ると決意した時、その時が来たら、お前の──』

父の最後の言葉はこれだった。だけど、最後の一言だけ思い出せない。ほんの五年前だというのに。父はこの言葉を残して僕を守るため、この街の人を守るために死んだ。父は決して弱くなかった。むしろこの国で指折りの剣士だった。しかし、相手が悪かった。

数世紀前、王国の半分を一夜にして壊滅させた伝説のドラゴン「黒龍」だった。

父が勝てない事は、当時十歳の僕が見ても明らかだった。しかし父は住民の避難が終わるまで時間稼ぎをすると言って一人黒龍に向かっていった。おかげで街の住民は誰一人死ななかった。父を除いて。父は命と引き換えに黒龍の左目を潰した。そのおかげで、黒龍は唸り声と共に去って行った。

父が死んでからはこの街の人は父を英雄ツィールとして讃えていた。が、それ故にその息子である僕にも凄い期待をした。『次に黒龍が現れても英雄ツィールの息子がいるから安心だ! またこの街を守ってくれる!』そんな声もあった。

しかし、皆、僕の才能の無さを知って落胆し、失望し、そんな声も聞かなくなった。

僕も自分の力量は理解していた。訓練では体が動いても、実際にモンスターと戦うとなると体が重く、足が動かなくなる。父が死んでからはそれがさらに強くなった。

僕は『英雄ツィールの息子』という言葉が嫌いだ。英雄の息子でなければ、勝手に期待されることもなく、勝手に失望されることも無かった。


✳︎✳︎✳︎


世界はモノクロだ。父が死ぬ前も、死んだ後も変わらない。世界はとてつもなく広く、僕はその一部でしかない。僕が居ても居なくても、この世界は何一つ変わらず、正常に回り続ける。僕が生きてる意味はあるのだろうか。いや、意味なんて元々無いのかもしれない。

「ムート! 早く起きなさい。学校遅刻するわよ!」

いつもの姉目覚ましで、今日も朝がやってくる。

僕は姉さんと二人暮らし。母は僕が生まれた時に亡くなり、父は五年前に死んだ。そのため姉さんがパートで稼いでくれているが、収入は雀の涙ほど。けれど父が英雄だったことにより、街の人のご好意でなんとか暮らして行けていた。

「はいはい……」

「なんだその元気のない返事はっ! もっとシャキッとせんか!」

姉さんはいつも朝から元気百パーセントだ。どこからそんな元気が出るのだろうか。もしかしたら産まれる時に僕の分の元気も持って行ったのかもしれない。きっと僕は姉さんの残りカスで生まれたのだろう。

「ほら早く!」

姉さんに急かされ、僕はテーブルに向かう。パンとスープが並んだ食卓。そして姉さんと向かいの席に座り、手を合わせる。

「いただきます」

 パンを手に取り、ちぎって口に運ぶ。

「最近学校はどうなの?」

 姉さんは毎朝学校について聞いてくる。しかし学校をサボっているので、話せることはない。

「別に何もないよ」

 いつものように適当に返す。その態度に姉さんはぷんぷんとしているので、すぐに食べて家を出るのが日課になっていた。

「はいっ! 今日のお弁当! 学校がんばってね」

 姉さんはいつも玄関でお弁当を渡してくれる。この瞬間はいつになっても罪悪感で胸がちくりと痛くなる。

 俯く僕に姉さんは背中を強く押しながら言う。

「あなたは英雄ツィールの息子なんだから、もっと胸を張りなさい!」

 英雄ツィールの息子。僕はこの言葉が嫌いだ。

「……」

 僕は学校の方へと足早に歩き出した。


 学校の裏は大きな山があり、その山には街を一望できる場所がある。父がよく連れて行ってくれた特別な場所。同時に、父と修行した場所でもある。幼い頃から毎日ここで修行していた。だから父が死んでからも体に染み付いた習慣は変わらなかった。午前は剣技の修行、午後はゆっくり読書する。誰とも関わらない、誰にも期待されない、誰にも失望されない。      

この色の無い世界で、一人になれる唯一の時間。

 今日も例に漏れず、この場所で読書に耽っていた。

 すると突然、背後から何か気配を感じた。急いで振り返ると、そこには比較的弱いゴブリンの魔物がいた。背は低いが、筋肉質のゴツゴツとした体をしていて、目が血走っている。

おかしい。僕が住む町はこの大きな山と巨大な堀のおかげで魔物が侵入してくることはないはずだ。

慌てて剣を構えるが、体が震えて全く動かない。ここでヤらないと街に降りて人を傷つける。だから僕がやらないと……。

しかしゴブリンの方は僕を気にも留めず、走り去って行った。

動けなかった。震えて何も出来なかった。僕は膝から崩れ落ち、早くなった呼吸を必死に整える。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 やっぱり僕は弱い。心も、体も。魔物に斬りかかるどころか、ゴブリンが逃げ去って少し安堵してしまった。そんな自分が情けない。 

 と、その時だった。

「グワァァァア!」

 突如、轟音が鳴り響く。何かの鳴き声のようだ。どこかで聞いた事が……っ。顔をあげ、街の方を慌てて見る。するとそこには、街に降り立つ巨大なドラゴンがいた。

全身石のような漆黒の鱗で覆われていて、力強い2つの大きな翼があり、前足には鋭い爪が光っている。高さは大人十人を縦に積んでも届かないだろう。そのドラゴンの最頂部には、二本のツノが生えた頭があり、ギロっとした瞳の中には細い黒目、口から大きくはみ出す牙は長く鋭い。そして何より、潰れた左目。あれは間違いなく、五年前父を殺した憎き「黒龍」だ。

 ドラゴンのいる場所は家の近く。しかも、今日は姉さんの仕事が休み──。

「姉さん!」

それを見た時には駆け出していた。山を急いで駆け降りる。途中で足を取られても、転けても、すぐに立ち上がり走り続ける。

町に出ると魔物がそこら中にいて、街の剣士がそこら中で戦っていた。まるで戦争。

早く姉さんの所に行かないと! もう、大切な人を失うのは嫌だ。

全身泥だらけになりながら、走って走って走って、ついに家の前にたどり着いた。

「なんで……」

 しかしそこにあったものは破壊された家の残骸だった。僕はまた家族を失うのか……。

「僕を、一人にしないで……」

 すると、家の台所があった場所で何か動いた。

「姉さん!」

 急いで駆け寄ると、大きな柱の下に足を挟まれた姉さんがいた。

姉さんは僕に気づくと顔をあげる。

「ムート、私のことはいいから、早く逃げなさい。あの黒龍が近くにいる。だから早く!」

「で、でも、姉さんを置いて逃げるなんて出来ない……」

 姉さんの足に挟まる柱をどうにか退けようとしていたその瞬間、僕と姉さんの横の地面が抉り飛んだ。地面から痺れるような衝撃が全身に伝わる。どうやら黒龍が前足を振りかざしたようだ。それを見た姉さんは必死に訴える。

「ムートお願いだから、早く逃げて!」

「違う、僕が姉さんを……」

 姉さんを守る。そう言いかけて、止まった。守る? 僕が? 守れるのか? 僕みたいな奴に何ができるのか。黒龍を倒す。倒す? そんな事ができるのか? 

 でも、ここで僕が戦えなきゃ、姉さんが……。ここでやらなきゃ、一生後悔する。

 体を無理矢理黒龍に向かわせ、剣を構える。

しかし、やはり足が動かない。体が全く言うことを聞かない。手が震え、体からは冷や汗がどっと噴き出す。

 やっぱり僕には無理なのか……。所詮は英雄の息子。息子に価値はない。皆が求めているのは全てを救う英雄。僕にはその力は無い。

 だから、僕にはもう……。

「ムート」

諦めかけた思考に一つの音が響いた。

「あなたは英雄の息子、だけど、それ以前に父ツィールの息子。それに私の大切な弟。だから、もっと胸を張りなさい」

 振り返ると、姉さんがいつもの笑顔で僕を見ている。僕は強く背中を押された気がした。

英雄の息子という言葉は嫌いだ。しかし、父は好きだった。強くて、頼もしくて、暖かい。憧れの存在。本当は僕も父さんみたいになりたかった。

みんなから尊敬されるような、英雄ツィールの息子として誇れる人に。姉さんを守れるような強い人に、大切な人を守れる人間に、そんな人に、


『ムート、お前は弱いんじゃない、心を強く持てないだけだ。守るものができた時、守ると決意した時、その時が来たら、お前の──世界は色づく』


「──僕はなりたい!」


 この瞬間、僕の見える景色が一瞬にして色づいた。カラフルな美しい世界。常にモノクロだった僕の世界が、景色が、一変する。

全部思い出した。父さんの最後の言葉。

「僕はこんな素晴らしい世界にいたのか……」

 見える。木々の彩り、花の美しさ、生物の力強さ。僕には何も見えていなかった。

 そして体を縛られていたような重さや、腕の震えが治っていく。

「僕は、英雄ツィールの息子、ムート! 残虐の黒龍を討ち果たす者!」

 僕は胸を張り、剣を構え直す。

「いざ、参る!」

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