第97話 忘却
「……ここ、どこなにょら? おねえさん、だれなにょら?」
ナルちゃんの発した、その言葉に胸がきゅうっと縮こまる思いがした。
半分無意識に身を起こし、ナルちゃんの肩をつかむ。
「ボ、ボクだよ、シルリアーヌだよ! 昨日みんなでご飯食べて一緒に寝て、あんなに楽しかったじゃない!」
「うぅ?」
だけど、ナルちゃんは不思議そうに首を傾げるだけ。
そんな!
本当に? 本当に昨日あったことも、ボクたちのことも忘れちゃってるって事?
何かがガラガラと崩れていくような感覚。
ボクが何を言っていいのか分からず口をぱくぱくさせていると、周囲のみんなも目を覚ましてくる。
「ん~~? うるさいのう、なんじゃ、朝っぱらから……」
「ふわ~~あ、どうしたのシルリアーヌ姫様、こんな朝早くに大きな声で……」
だからボクは、起きてきたみんなに叫んでいた。
「リリアーヌ、パルフェ! 聞いてよ、ナルちゃんが、ナルちゃんがぁ?!」
◇◇◇◇◇
みんなに事情を説明した後、とりあえず着替えて外に出る。
見張りをしていたエステルさんと、寝袋にくるまって外で寝ていたベルトランと合流し、みんなでナルちゃんを囲んで集まった。
「う、うぅ??」
戸惑ったようにきょろきょろと辺りを見回す、みんなに囲まれた状態のナルちゃん。
彼女にとって、朝起きたら周りに知らない人ばかりがいて、いつのまにか取り囲まれているように見えているのかな? それはきっと、とっても心細いことだろう。戸惑っている様には見えるけど、怖がったり怯えたりといった様子は見られないのが救いだとは思うけど。
「だからね、朝起きたらナルちゃんは昨日のこともボクのことも、すっかり忘れていたんだよ……」
しゅんとして言うボクの言葉に、うーんと唸るみんな。
「というか、そんな事があるのかのぅ? いや、お主を疑うわけではないが……」
リリアーヌが首をひねる。気持ちは分かる、そりゃそうだよね。
そんな間にもみんながナルちゃんに話しかけたりしているけど、それはナルちゃんが何も覚えていないことを確認出来ただけだ。昨日はみんなでご飯食べていっしょに寝て……あんなにも楽しかったのに、ぜんぶ忘れちゃうなんて……。
あ、ダメだ、涙が出てきた……。
「昨日あった事を全部きれいさっぱり忘れちゃった、ってこと? うーん、これはどうなんだろ? ねぇ、ベルトラン殿はどう思う?」
「そうだな……直接目にするのは初めてだが、話に聞いたことはある。あれじゃねぇか? 酷い目に遭った駆け出し冒険者や新兵が、たまになるヤツだ」
「……やっぱそうよね、パルフェも見たことはないけど、その症状に似てるよね」
ボクが一人でぐしぐしやっている間、パルフェとベルトランは真面目な顔で話を進めていた。
「……ナルちゃんがこうなっちゃった原因が分かるの?」
ぽろぽろと零れてくる涙を拭いながら聞いたけど、二人の表情は曖昧なものだった。
そして、困惑した表情のままパルフェが口を開く。
「似たような症状を聞いたことがある、というだけよ? パルフェが聞いたことのある症状とはすこし違うし、もちろんパルフェは専門家でもなんでもないのね? それをふまえた上で聞いて欲しいんだけど……」
真剣なパルフェに頷いて先を促すと、パルフェが続ける。
「ベルトラン殿が言ったとおり、駆け出し冒険者や初任務の新兵がたまになる症状に似てるのよね。なんて言ったらいいか……そういった人たちは初仕事で自分が大きな戦果を上げて褒め称えられる事を夢見ていることが多いの。うん……はっきり言えば、現実が見えていない、と言っていいわ。でも、現実はそう甘くない……」
「うん、それは分かるけど……」
脳裏に浮かんだのは、レックスに見捨てられランドドラゴンと戦わないといけなくなった時のこと。あの時は、どうなることかと思ったなぁ……。
「だから、そういう人たちが仲間や友人を目の前で酷い殺され方をした時……彼らの受ける絶望は計り知れないのね。命からがら生き残った時、彼らは現実を受け入れられなくなり……初仕事のことや仲間や友人を失ったことを、すべて忘れてしまう事があるらしいわ」
「え? でもそれって……」
と、という事は……。
「え? ナルちゃんはボクたちとご飯食べて一緒に寝たことが、そんなに嫌だったってこと? 現実を受け入れられなくなるくらいに……?」
ぶわっと涙があふれてくる。
「え? ち、ちがうわ? そんな訳ないじゃない! そういう意味じゃないわ?!」
「そ、そうだぞ! ナルもあんなに楽しそうだったじゃないか! どう見ても嫌なのを我慢してる感じじゃなかっただろ?!」
パルフェとベルトランが慌てて慰めてくれる。
ふたりとも、優しい……。
「じ、じゃあ、どういう意味なの?」
リリアーヌに渡されたハンカチで目元を拭きながら、問い返す。
パルフェの目をじっと見つめると、パルフェの目がふらりと泳いだ。
「ど、どういう意味と言われても、言ったとおり専門家じゃないから答えにくいけど……。そういう人は生きて戻ってからも、日常に起きた出来事を忘れてしまったりするらしいわ」
「ああ、ときどき記憶にぽっかりと穴が空いたようになったりするらしい。だからそういう奴は体が十分に回復したとしても、冒険者や兵士として復帰するのは難しいと聞いたことがある」
「そうなんだ、かわいそうだね……」
その話を聞いて、自然と目を伏せてしまう。
記憶や経験というのは、人の人生でとても大事なものだと思う。それを忘れてしまうほどの体験というのは、とっても辛かったんだろうなぁと思う。帰ったら、そういう人たちへの対応はどうなっているのか宰相様に聞いてみよう。
と、考えがそれちゃった。
今はナルちゃんのことだ。
「じゃあナルちゃんは……」
「ええ、過去に何かとても辛いことがあった、もしくは今も辛い思いをしていることが原因で、記憶に障害が出ている可能性があるわ」
「そんな……」
思わず、みんなに囲まれた状態のナルちゃんを見つめる。
「うぅ?」
ナルちゃんは何が起こっているのか分からないみたいで、目をまんまるに見開いてきょきょろと辺りを見回していた。
その様子からは、とても耐えられないくらい酷い目に遭っているようには見えない。初めて会ったときも、パパにネコ耳のフードをもらったと嬉しそうに話していた。……いや、その辛いことを忘れてしまっているかもしれない、って話だ。なら、見て判断できるような話ではないんだと思う。
きっとナルちゃんは過去にとても辛い思いをして、その影響で寝て起きたら昨日のことを忘れてしまうようになっちゃったんだ。
「うぅ、ナルちゃんかわいそう……」
また出そうになった涙を我慢していると、リリアーヌが口を挟んできた。
「ナルに今起こっているかもしれない症状については分かったがの……つまり、これからどうするのじゃ?」
リリアーヌの言葉に、はっと顔を上げる。
確かに、大事なのはこれからのことだ。どうやってナルちゃんを元に戻してあげるか、だよね。
むうっ、と考えを巡らしていると、パルフェが口を開いた。
「うーん、そうねぇ、まずここに置いていくってのは「うえええええっ?!」
その言葉に思わず声を上げる。
「だ、ダメだよ! ゼッタイ、だめ! こんなに可哀想なナルちゃんをひとりここに置いていくなんて、そんなのありえないよ!!」
「わ、分かってる、分かってるわよ。ダメだよね、って言おうとしただけじゃない……確認、ただの確認よ……」
「そ、そう? ならいいけど……」
パルフェの言葉に、ほっと息を吐く。
「そうだよね、ゴメンね。優しいパルフェが、そんなことする訳ないよね」
「うっ、そう言われたら言われたで、信頼が重い……。近衛騎士としての立場もあるんだけど……」
安心して出たボクの言葉に、うっと一歩引くパルフェ。
なんでだろ?
首をかしげるボクに、ベルトランが続けて言う。
「もちろん連れて行くしか無いだろうな。自己紹介して仲良くなるのも、もう一度やり直しだろう。手間だが……大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ! 手間だなんてことないよ!」
ベルトランの気遣うような声に、背筋をぴんと伸ばして答える。
一番辛いのは、きっとナルちゃんなんだ。もう一度自己紹介するくらい、なんてことないよ!
「もう一度くらいなら構わないだろうが……今晩寝て起きたら、また同じ状態になっている可能性も……ある」
「あ……」
言い辛そうなベルトランの声を聞いて、伸びた背筋がへにゃりと曲がる。
そうか、そういう事か……。
「記憶に障害の出た新兵は、それからずっとその症状に悩まされるらしいわ。完治して立ち直るまで、長い年月がかかるとも聞くわね」
パルフェの言葉に、心がぐらりと揺れる。いつまでナルちゃんと一緒にいれるのか分からないけど、寝て起きるたびに全て忘れられているのは確かに辛いかもしれない。
……うん、でも大丈夫。それでも、一番辛い思いをしているのはナルちゃんのはずなんだ。ボクは何度だって、「はじめまして」って言うよ?
そんな思いを込めて、こくりと頷く。
「大丈夫だよ、ボクは。何度も自己紹介するくらいなんてことないし、ナルちゃんの症状が治るようにがんばるよ!」
「そうか、ならいい」
「シルリアーヌ姫様なら、そういうと思ったわ。パルフェも協力するよ」
ボクがむんと力を入れると、ベルトランとパルフェがほっとした表情をする。
ふたりにも気を遣わせちゃったかな? でも大丈夫、がんばるよ、ボクは!
ボクが誓いを新たにしていると、「ちょっといいですか?」とエステルさんが挙手をした。
「なに? エステルさん」
「あの、ナルさんのことを考えていて思ったのですが……ナルさんは『パパ』のことは覚えていましたよね?」
「あ……」
確かにそうだ。
「私たちのことは忘れてしまっているようですが、パパのことは覚えているのです。肉親のことですし、ナルさんに何かあった時以前のことは普通に覚えていられる、という可能性もあります。ですが、そのネコ耳のフード……」
エステルさんが、ナルちゃんの身につけているネコ耳フードに視線を向ける。
ナルちゃんが「うぅ?」と首をかしげて、フードのネコ耳がぴこりと揺れた。
「見たところ、ほつれなどもあまりありませんし、それほど昔に貰ったものだとは思えません。おそらく最近貰ったそのフードのことは、きちんと覚えているのです。で、あれば……ナルさんにとって特に親しい人や特に嬉しかった事は覚えていられる可能性があります」
おお……
「それだ!」
思わず声を上げていた。
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