閑話 王宮にて
ここはサントゥイユ王国王都サンヌヴィエールにある、プロヴァンス城の国王の執務室。
高価だが華美ではない、品質の良い調度品に囲まれた執務机で、一人の男が大量に積みあがった書類にひとりで目を通していた。
男の名前はフィリップ・ド・プロヴァンス=サントゥイユ、この国の国王で今年で45歳。金髪碧眼の壮年の男で、覇気のみなぎる覇王、というよりは生真面目で実直な実務型の王、という印象の男だ。
「ふぅ……」
もう夜も遅い。
フィリップは一息つき、凝った肩をほぐすように回した。
「紅茶をお入れいたしました」
そのタイミングを見計らっていたように、ひとりの老執事が音もなく現れ机の上に紅茶を差し出した。
老執事は軽く60を超えているような歳ながらその背筋はぴんと伸ばされ、身に着けた燕尾服には皺ひとつ無い。優し気で落ち着いた表情の老人だが、その一番の特徴は光を失った左目と、左目に走る大きな傷痕。優し気な老執事、といった風でありながら、歴戦の戦士のような風格も持ち合わせていた。
「セバスか……」
フィリップは言うと、紅茶のカップを口に運ぶ。
ゆっくりと一口味わって飲み、そしてもう一口。
「美味いな。さすがセバス、お前の入れた紅茶はこの王城の使用人の中でも一番だな」
「恐悦至極に存じます」
ほっと表情を緩めフィリップが紅茶の味を褒めると、セバスは慇懃に一礼する。
フィリップはもう一度紅茶を味わうと、「それで?」と問いかけた。
「それで、とは?」
問い返す老執事。
「とぼけるな。何の用もないのにお前が自ら紅茶を入れて持ってきたりするものか」
フィリップが呆れたような表情で言うと、老執事へ視線を向ける。
老執事は現在はセバスと名乗っているが、本来の名前はセバシリオ。
元冒険者で、『
30年前の戦争には若いころのフィリップも参加していた。
年若く未熟なフィリップは右往左往するばかりで、30代で全盛期のセバシリオにはなにかと助けられたし世話になった。だから今は雇用主と被雇用者という関係になってはいるが、戦友で古い親友、という感情をフィリップはこの老執事に対して抱いていた。
セバスが軽く頭を下げると、本来の要件を切り出した。
「シリル様の件で、お礼を申し上げようと思いまして」
「やはりその件か……」
フィリップが深く息を吐くと、椅子にもたれかかる。
フィリップはセバスを親友だと思っているし、おそらくセバスも自分に対して同じように感じていると思っていた。しかしそれは『友人』としてであって、セバスは自分を『主』だとは認めていない。セバスが主と認めているのはフィリップの亡くなった三番目の側妃フランシーヌと、その血を引く
フランシーヌの血を引く子供、すなわち王女でもあるリリアーヌと、そしてもうひとり――
「シルリアーヌ……いや、シリルか。セバスよ、儂は知らなかったぞ。なぜ黙っていた」
フィリップがセバスを睨みつける。
フィリップは、フランシーヌが生んだ子供は双子の姉妹だと思っていた。姉の方は生まれてすぐ死んでしまったと聞かされ、残ったリリアーヌは愛したフランシーヌの娘だと思い自分なりに大事にしてきた……つもりだ。
シルリアーヌの王位継承権を凍結としたのも、フランシーヌが懇願してきたからだ。
元々体の弱かったフランシーヌだが、出産してからはみるみる衰弱していった。もしや衰弱したフランシーヌの心はシルリアーヌの死を受け入れられていないのではと思い、余命わずかなフランシーヌが心安らかになるのなら、とシルリアーヌの王位継承権を一時凍結とした。
だが、姉の方は本当は兄で、しかも生きているなど全く聞かされていなかった。
「なぜ……ですと?」
セバスの光を失っていない右目が、国王へ向けるものではない鋭い光を放つ。
「本当は分かっているのではないですか? 第一側妃ヘレーネ様のお産みになった第二王子マティルド様は、フランシーヌ様が懐妊なされる半年ほど前に暗殺されましたよね?」
「う……」
「第二側妃オフィーリア様のお産みになった第四王子エイブラム様はフランシーヌ様が出産なされる直前に毒殺されています。男児を出産なされたフランシーヌ様が何を危惧されたか、お分かりになりませんか?」
「…………」
「私も正直当時は考えすぎではないか……そう思いましたが、現在在位中の王子殿下はすべて王妃様のお子。王女殿下は側妃様のお産みになったお子が何人もいらっしゃるのに、王子殿下には1人もいらっしゃいません。フランシーヌ様のご懸念は正しかったのではないですか?」
セバスは淡々と自分の考えを述べていくが、フィリップの顔色は悪い。
「……徹底した調査をしたが、なんの証拠も見つからなかった」
「私も調査に参加しましたから、知っておりますとも」
頷くと、はぁ、と息を吐くセバス。
「王妃エリザベート様は立派な方ですが、悪い噂は後を絶ちません。王族とはいえやはり滅びた国の人間を、妃とするべきではなかったのでは……」
「やめよ」
セバスの言葉が一線を越えようとした時、それをフィリップの厳しい声が遮った。
「儂はお主の事を友人だと思っておる。だが、それと同じようにエリザベートの事を愛しておるのだ。儂はお主にこれ以上口にして欲しくはない」
「……分かりました」
その言葉にセバスは長い溜息を吐くと、かすかに首を振った。
フィリップは深々と椅子に体を預けると、天井を見上げ、目を閉じる。
「お主が何を言いたいかは分かっておる。しかし、30年前の戦争でいくつもの国が滅び、大量の難民が我が国に流れ込んできた。あの混乱を乗り切るために、滅ぼされた王国ブリテラの王女エリザベートを妃とすることは必要な事でもあったのだ」
目を閉じたまま言うと、フィリップはセバスの言葉を待つ。
しかしセバスは何も言わない。
セバスとて、国王フィリップの肩にのしかかる責任と重圧の重さは理解している。そして国王とて、感情もしがらみもある、ただの人間。常に最善の選択肢を選べわけもないし、すべての事柄に対する責任を果たせるわけもない。
だからフィリップの執務机に近づくと、懐から取り出した一本の瓶をその上にコトリと置いた。
「これは?」
「私の妻が作ったブランデーです。自家製なので見た目はいまいちですが、味は保証いたしますよ」
フィリップは、ほう、とその何の変哲もない瓶に入った液体を眺める。
「今日はもう遅いです。今日はお休みになって、また今度酒でも酌み交わしましょう」
セバスはにこりと笑うと、一礼して執務室を後にした。
そして自分一人となった執務室で、フィリップは残っていた紅茶にとくとくとブランデーを注ぐと、ゆっくりと口へ運ぶ。口の中に広がる、紅茶の香りとブランデーの芳醇な味わい。
フィリップはカップをことりと置くと、しみじみと呟いた。
「うまい」
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