第5話 祝福

「なななな、何してるのさっっ!?」


 思わず両手で顔を覆って叫んでいた。

 そんなボクの前で、女の子は自分の着ていた純白のドレスをまくり上げる。


 両手の指の間からボクの目に飛び込んでくるのは、女の子のなめらかな肢体。

 その手足は、女の子でも農作業を手伝わされていた村では見たことも無いほど細くすらりと伸びていた。肌は染みひとつなく絹の様に白くなめらか。そしてその胸元と腰は、精緻なレースを施された純白の下着で覆われ、それはひとつの芸術品の様にボクには感じられた。

 

「だだだ、駄目だよ!  なんで脱ぐのさ!」

「なんじゃ、なにをそんなに慌てておる。おかしな奴じゃの」


 村に年の近い女の子はいない事は無かったけど、その肌を見る機会なんてもちろん有りはしなかった。だからボクは彼女を止めようとしたのだけど、彼女はそんなボクを見てまるで理解できない、という風に首を傾げる。

 そしてついに完全に脱いでしまったドレスを小脇に抱えると――


「ほれ、お主も脱ぐのじゃ」

「うひゃあ?」


 こともあろうに、ボクのズボンを引き下ろした。


「なななな、なんでなんでなんで?」

「ええい、抵抗するでない。じっとするのじゃ」


 ボクが着ているのは、レックスたちが古着屋で買ってくれた格安のズボンとシャツ、それとローブ。

 天職を格好や装備が関係ない最下位職のファイターだと思われていたので、ローブを着る必要は無いのだけど、ミランダがボクの醜い顔を見たくない、と言うのでローブを目深にかぶらされていたんだ。


 そのローブを脱がされ、シャツはまくり上げられる。


「なんで、こんなことするんだよぅ!」

「よいではないか、よいではないか。ローブもあるし丁度良いのじゃ!」

「なにが良いんだよぅ!」


 両手で体を隠し、思わず叫ぶ。

 なんだか涙もにじんでくる。

 しかし彼女は一切ボクのいう事は聞いてくれなかった。


 そして今ボクが身に着けているのものは、パンツ一枚だけとなってしまっていた……。


「なんじゃなんじゃ、肌を見られたくらいで何を動揺しておるのじゃ」


 そういう女の子は、下着姿で腰に手をやり仁王立ちしていた。

 その控えめながら形の良い双丘が強調され、ボクは思わず赤面し顔をそらす。


 貴族様は下働きのメイドなんかに着替えやお風呂を手伝ってもらうというし、平民に肌を見られた所でなにも感じないのだろうか?

 

 女の子は「それに……」と言うと脇に抱えていたドレスを宙に広げる。


「これをお主に着せるのじゃからな!」


 ばさあっ、という音とともにボクの視界は真っ暗になった。


「こら、動き回るでない。じっとするのじゃ!」


 そんなこと言ったって!

 彼女がボクの腕を抑え込みドレスをぐいと引っ張ると、ボクの視界は明るくなった。


「ああ……」


 そしてボクは理解した。

 自分の体を見下ろすと、ボクはついさっきまで女の子が着ていたドレスを身に着けていた。


 ボクは男なのに!


「プリンセスなのじゃろ? 妾のドレスを着れば天職オブリガシオンが使えるようになるじゃろ」

「そんな訳ないでしょ! ボクは男なんだよ! お姫様っぽくなんてなる訳ないよ!」


 こっそり母様の服を着てみたことを思い出す。

 誰も見ていないのにすごく恥ずかしかったのだけど、天職は発動しなかった。


 そのことを伝えたが――


「田舎の村人の服なんぞでプリンセスらしくなどなる訳ないじゃろ。その点このドレスは本物じゃ、不足などないじゃろ」


 女の子は、ボクが着ていたシャツ・ズボンとローブをごそごそと身に着けながら言った。

 ローブから顔を出した彼女は、古着屋で格安で売られていた服を身に着けていても、その美しい銀の髪とシミひとつ無い白い肌はなにひとつ曇ることなく輝きを放っているように見えた。


 どうみても平民には見えない。

 これが貴族、これが本物。


「それに引き換えボクは――」

「そんなに言うほど悪くなはいと思うがの」


 女の子は思わずうなだれたボクをじろじろ見ながら、ボクのまわりをぐるりと回る。

 ボクの手から魔導袋を受け取り身に着けると、後ろに回りボクの髪を無造作にまとめてある紐をほどいた。


 いつの間にか胸ぐらいの長さにまで伸びてしまった紙が、ばさりと広がる。


 その髪を、いかにも慣れてませんといった手つきで適当に整えた女の子は「どうじゃ?」と、にやりと笑った。


 だから男の僕がプリンセスの天職を発動出来るわけが――


 そう言おうとして


 「え?」


 自分でもなにが起こったのか分からなかった。


 かちり、と自分の中で何かが奇麗に噛み合ったような感覚。

 

 直感で分かった。

 これが天職。

 これが女神様から与えられた、天職の祝福。


 呆然と自分の両手を眺めていると、女の子がこちらを見てにやにやとしているのに気が付いた。


「どうじゃ、妾のドレスは。効果覿面じゃろう」

「……うん、正直驚いた。天職のことは分かってたつもりだけど、着る服ひとつでここまで変わるんだ……。男のボクが着てもお姫様のように見えてしまうなんて、本当にすごいドレスなんだね」

「べつにドレスが凄いという訳でもないのじゃがの……」


 呆れたようにため息を吐く女の子。わけが分からない。

 でも、これでゴブリンくらいなら……と思い自分の手の平を見下ろすと、着せられたドレスが目に飛び込んでくる。


 思わず、顔が赤くなるのが自分でも分かる。


 ボクはなにをやっても上手くいかない落ちこぼれだけだし、貴族の女性のドレスなんか着せられて身分不相応だしなにより気持ち悪いとか思われてるだろうけど……。


 手のひらを、ぎゅっと握りしめる。


 だけどボクは、生まれて初めて発動したこの天職オブリガシオンを試してみたいと、そう思っていた。



◇◇◇◇◇



「準備はいいかの?」


 岩で身を隠した女の子がこちらに振り返り、聞いてくる。

 その岩の十数メートルか向こうには、うろうろと歩き回るゴブリンが7匹。


 緊張しているのだろうか、ごくりとつばを飲み込み、腕の中の剣をぎゅっと握りしめる。

 この剣は女の子が魔導袋から取り出した細身の剣レイピアだ。平然と「父上の執務室からくすねて来た剣じゃ」とか言っていたのが正直恐ろしく、いかにも高価そうな造りでグリップやガードには精巧な彫刻が入っている。


 はぁ、と息を吐く。


 そして、こくりと頷いた。


「行くよ!」


 岩陰から身を乗り出し、地面を蹴る。


 蹴った瞬間感じるのは、まるで自分が羽毛かなにかになったような感覚。

 戸惑いつつも、体全体に風を受けながら数歩踏み出すと、次の瞬間すぐ目の前にゴブリンの顔が迫っていた。


 十数メートルは離れていたはずなのに!


 「ふっ!」


 反射的に手の中の剣を振るうと、大した手ごたえも無くあっさりとゴブリンの首が飛び、血が噴き出る。


「ギャギャギャギャッ!?」


 仲間が倒された事に気が付き叫び声を上げるゴブリン達。

 手に持つこん棒や錆びた剣を振り上げるが、その動きは今のボクにはひどく緩慢に見えた。


 ベルトランに教えてもらった剣術を思い出すんだ。

 力の弱いボクは、相手の動きを見て体全体を使って突きを繰り出すしかない。

 

 早く! 速く! 捷く!


「はあああああっ!」

「グギャギャギャアァァァーー!」


 気が付くと、一瞬で残り6匹のゴブリンの心臓を貫いていた。

 崩れ落ちるゴブリン達。


「……はぁ、はぁ」


 緊張していたんだろうか、乱れた息を整えながら自分の手を見下ろす。

 ……まるで自分が自分でないみたいだった。

 今までの体を動かす感覚とは違う、思考した瞬間に体が自分のイメージした通り、いやそれ以上の精度で動く感覚。


 とはいえ、魔物を倒したならやることがある。

 ボクは、ゴブリンの死体の横に座り込み、胸の心臓がある位置の少し横に剣を突き刺す。カチン、と硬い物にあたる感触があったらそこをえぐり、小指の先くらいの大きさの硬質の物体を取り出す。


 ――魔石だ。


 どくどくと血が流れだし、正直グロい光景だけど、これは仕方ない。

 すべての魔物は心臓の横に魔石を持っている。厳密には石ではないみたいだけど、詳しいことは分かっていないみたい。分かっているのは、これが魔物の生命の源、魔力の塊で、魔導具の材料となる事。

 ギルドに持っていくと換金してくれる、冒険者にとって重要な収入源の一つだ。


 ゴブリンの魔石は黒っぽい色でこぼこしていてあんまり綺麗じゃないし、大した値段はつかないのだけども。


「やったのじゃ! さすが妾! 思った以上なのじゃ!」

 

 ゴブリンの魔石を取り出していると、ボクの中古のローブを着た女の子が、よほど嬉しいのか向こうからぴょんぴょん跳ねながら走ってくる。


「妾の考えは間違ってなかったのじゃ! これで妾の名を王国中に轟かせることが出来るのじゃ!」


 女の子がボクの前に仁王立ちする。

 あ、やっぱり背の高さはボクと同じくらいなんだなぁ、なんて事を考えていると、彼女が叫ぶ。


「妾の名は! 妾の名はリリアーヌ! その力を妾の為に使って欲しいのじゃ!」


 ……そして急によくわからない事を言い出した。

 あ、でも女の子の名前はリリアーヌっていうのか。……うん、奇麗な彼女らしい美しい名前だと思う。

 名乗ってもらったんだから、ボクも名乗るべきだよね。


「ボクはシリル。よろしく……「違うじゃろがーーッ!!」


 名乗ろうと思ったら、リリアーヌに大声で話を遮られた。


「やはり気付いておらんかったのか! このバカタレ!!」


 大声で耳がじんじんする。なんで?

 ボクが思わず一歩下がり、信じられない、という気持ちで見ていると、リリアーヌは控えめな胸を張り名乗りを上げる。


「妾の名はリリアーヌ・ド・プロヴァンス=サントュイユ! なぜ気付かぬのじゃ、この国の第七王女の名に!」 

「えええええええぇぇぇぇ~~っ!」


 ゴブリンの死体の上に、ボクの叫びが響き渡った。

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