第108話 小さな悩みと幸福論

 新学期が始まってやっと日常を取り戻した、本日。


 なんだかんだとバタバタしていた春休みモードもいよいよ抜けて、普通の日常が戻ってきた。いつものキッチンカウンター席で、もうぽかぽか足湯くんはないけれど、お気に入りの椅子に、右側にはコーヒーマシーンである。


 淹れたてのコーヒーを飲みながら、ヒートテックではなくTシャツにスウェットという出で立ちは、なかなか季節の違いを感じさせてくれる。でも少々問題ありなのだ。それは、何かと尋ねられたら、


「Tシャツでノーブラに何かを羽織ってちょっとそこまで買い物はできへんやーん!」


 切実な問題だ。冬はヒートテックにユニーなクロさんのフリースのベストを着てスウェット姿でも、その上にコートを羽織れば、ドラッグストアくらい軽く外出できたのに、Tシャツの時期にはそれはできない。引きこもりの私としては由々しき問題だ。


 やっと日常を取り戻したから、キッチンについているカウンターにやってきて、ノートパソコンを広げ、これから『伝書猫』の第三章を書き始めようと楽しみにしていたのに、洗濯も掃除も洗い物も終わらせて、さぁ書くかと、準備万端だったのに、……愛する夫ちゃんがお昼ご飯を食べに帰ってくると連絡があった。


 幸せな話である。嬉しすぎて心は尻尾ふりふりなのに、足りないのである。何が足りないかというと、お昼ご飯のリクエストである天津飯の準備は完璧なのだが、アイスコーヒーを御所望された時の氷がないのである。なぜなら、子供たちが学校に持っていく水筒に入れてしまったから。


「えー、買いに行かなきゃじゃん!」


 現在の生の声である。冬と違ってノーブラではまずい。え? そんな下に? まさか、それって、ち、ちく……?なんて思われたらいけない。五人も育てたら、そうなるし! なんて言えない。いや、そんな下ではないと思いたい。あ、これを読んでる人は脳内再生して読んでるんだった。


「違いますよー! めっちゃ上の方についてますよー! すごくきれいな色で、ピチピチしていますからねー!」


 これでどうだろう。必死さが伝わるとまずいが、多少修正はできたのではないかと思う。ゴージャスな姉妹までは行かずとも、その半分くらいはあるであろう、上向きの形の整った美しいバストだと、妄想し、脳内再生をお願いしたい。


 しかしそんなことはさておき、どうしよう。ブラをつけてドラッグストアに行かなくちゃやっぱりダメだろうか。帰る時に買ってきて、と言えばいいのかもしれないけれど、あちらは仕事をして、その合間に愛する私に会いたくて帰ってきてくれるというのに、専業主婦の私はときたら、朝から最低限の家事をこなし、リビングから見える庭の新緑を楽しみながら、お一人様時間をコーヒー片手にカクヨムで楽しんでいる。この飲んでるコーヒーも彼の稼いだお金で買ったものだ。


 むむ。そんな状況に感謝しながら生きている私としては、自分で買いにいかねばならない。そんなことは誰が聞いてもそりゃそうだ案件だ。これは、ブラ付きタンクトップを着て、その上に、……その上に、……。衣替えをしてないから着る服がない気がするが、何か探して着て出かけなくてはいけない。


 でも、昨日のトップスは唯一あったトップスで、もう洗濯をしてしまった。ジーパンは苦しかったし、旅行に着て行ったワンピースはお出かけ用だから、ノーメイクのマスクで着るような代物ではない。


 なんてことだ。着る服がないということに書きながら気づいてしまった。どうしよう。困った。これではドラッグストアに氷を買いに行けない。え? でもちょっと待って、昨日買い物に行く時は何着てたっけ? えっと、Tシャツにスウェットで、春コートをその上に羽織っていた気がする。いや、春コートは今日はダメだろう。なかなかな気温だ。あの人おかしい人になってしまう。着るものは季節感が大事だと、お茶の先生に言われているではないか。


 そう言えば、明日はお茶のお稽古。着物の用意もしなくてはいけないではないか。着物……。だめだ。着物は季節感のあるものをチョイスできるが、ドラッグストアに着物はおかしい。


 どうしよう。ドラッグストアに行くだけなのに、ブラ付きタンクトップを探して、ちょっとそこまでお買い物の装いを探さなくちゃいけない。もうこれは早々に衣替えをして、去年の服を出してこなくては。ん? 去年の服はまた縮んでしまっているものばかりで、着れないのではないか? 昨日がそうだったように。


 と、いうことは、いよいよ春夏の洋服を買いに行かなくちゃいけないということになるのだろうか。めんどくさい。非常にめんどくさい。田舎から街に出るのは面倒だ。それに、パソコンに向かって書く時間も減ってしまう。それは一日仕事じゃないか。ネットで買うと失敗することはわかっている。だから行くしかないのに、行く気になれない。あんなにお買い物が好きだったのに、何よりも書くことが好きになってしまった。


 そんなことをつらつら書いていたら、もうお昼になっている。早くしなくては、愛する夫が帰ってきてしまう。その前にお風呂にも入りたい。こんなボサボサの髪の毛では、見慣れているといっても、あんまりだ。そうか、今書きながら気づいたけれど、このボサボサの髪の毛ではドラッグストアにもいけないではないか。


 もう観念するしかないのか。



 そんな本日はお天気も良く、家は静かで、新緑は美しく、なんて平和な日なのだろうかと思う。でも、朝見ていたニュースは、胸が張り裂けそうだった。


 ちょうど国際ニュースを見ていたのだが、ロシア軍にレイプされ殺された人の話などを報道していた。どうしてそんなひどいことができるのだろうか。戦争は、人を変えてしまう。だんだん麻痺してくるのだと思った。


 人に言えないような悪いことはしてはいけないと、常々子供たちに言っているけれど、戦争でそんなことをしたら、一生抱えて生きていかなくちゃいけないんじゃないかと思う。それはとても辛いことだと、そんな人生を生きてきた日本人だっているはずだ。私の祖父も戦争の話はしたがらなかった。優しいとしか言いようのない祖父でさえ、言いたくない過去があったのかもしれない。


 戦争は、そんな人を作り出す。普段はそうじゃないのに、きっと変な麻薬が脳内に出て、狂ってしまうのかもしれない。そう思ってしまった。


 どんなに意見が違って争っても、戦争だけはやっぱりしてはいけない。


 それに関わった人々の心をいつまでもいつまでも苦しめる。


 子供たちの未来は、戦争のない世界であって欲しい。


 もう私たちの世代までで終わって欲しい。



 だから私のドラッグストアへ行かなくちゃ問題はとても幸せで、とても小さい。世界中の人がこんな小さな悩みで大きく悩むくらいの、平和な世界に早くなって欲しいと、切に願っている。




 戦争で亡くなられた方々に鎮魂の祈りを。

 頭が狂ってしまった人たちが早く愛に目覚めますように。

 




 ――黙祷。



 戦争のない世界を願っています。


 本日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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