第47話 些細なこと

 昨日書いた『祈り』にイメージイラストがあったら、たくさんの人の目に留まってメッセージを届けられるだろうか、と、頭がいっぱいな本日。


 実はあまり世界情勢などに詳しくない私は、夫にご教授賜って、簡単に教えてもらう。冬季オリンピックの裏では、第三次世界大戦がもしや勃発してしまうか? というくらいの緊張感だそうだ。頭が少し妄想すぎる私でも、わかりやすく説明してくれた。さすが、長い付き合いだ。感謝。


 おお怖い。と思ったが、いかんいかん、『恐怖』は、闇の勢力のご馳走だったと考えなおす。恐怖を煽り、それが国民全体に広がって


 「それはいかん!戦わねばやられる!」


 と思う人のパーセンテージが51パーセントを超えると、それはじわりじわりと、そうでない人の心を動かしていくような気がする。


 大昔、街中の公園でイベントを主催していたことがある。二千人規模くらいだろうか、まぁまぁな規模のイベントで、出店も百三十店舗くらい出てもらっていた。こんなことを書いたらすぐ身バレしてしまうかもしれないというほど、有名ではないので、安心して書いていこうと思う。もう、今日の私は、お馬鹿な妄想くんに付き合う気はない。と思ったら、妄想くんも私の中に住んでいるため、そうだそうだと、それしか俺っちもないわと、言ってくるのが聞こえる。


 私が主催していたお祭りは、とても自由なものだった。百三十店舗ほどのハンドメイドやフードなどの出店があったが、基本、通路と、キッチンカー以外は場所を決めていない。運動会でよく使う白い線を引くやつで、なんとなく前日に私が線を引いて場所を決める。


 初めて出店する方は、え? どこに出せばいいの? と、迷うが、そこは、以前に出店して経験している人が、あ、ここどうぞ、などと言ったり、あ、じゃあ少しずれますね、などと言って、勝手に出店者さんを誘導してくれる。このイベントのコンセプトは、


 『できることを持ちよって作るお祭り』


 だからだ。では、私は何を持ち寄るかというと、公園でお祭りができるように、行政機関に申請を出したり、会場付近の御近所さんへご挨拶に行ったり、チラシをデザインして配ったりなどの広報活動をする。ということだろうか。


 基本スタッフは勝手に誰かがやっている。ガッチーズで集まっているママーズたちは、この勝手にスタッフさんたちだった人だと、書いていて気づいた。そうか、それで。ふむふむ。どおりで楽しいわけである。と、そこは置いておいて。


 ステージでは様々な催しがあり、東日本大震災以降に、人とのつながりをテーマに掲げて、始めたお祭りだったので、二時四十六分には、みんなで黙祷をしていた。


 そんなお祭りだったわけだが、いつもみんなが勝手にやりたいことをやってるのに、なぜか一度も問題を起こすことなく、七年ほど続けられたのだ。それは、そこにいる人の思いやりの心が作った「お祭り」だったからだと思う。


 それを一番感じていた出来事がある。それはゴミ。このお祭りでは、会場内にゴミ箱の設置はしていない。だが、ある時一度だけ、キッチンカーの人が店先にゴミ箱を設置したことがある。この時はいつもは怒らない私も、さすがにブチっと怒りの紐が切れて、かなりな勢いで注意させてもらった。


 「なんでゴミ箱置くんですか!!!ゴミ箱があったら、みんなゴミを捨てるじゃないですか!うちはゴミは各自お持ち帰りか、販売店に引き取ってもらうってしてるんです!ゴミ箱があったら、そこに捨てていいんだとみんなが捨てて、溢れかえるじゃないですか!それを見た人は、溢れているのに平気でまた捨てるんですよ!そんなのうちのコンセプトじゃない!」


 ひぃ、すいませんすいませんと、お店の人は謝ったので、はい、もうわかれば大丈夫です。できることを持ち寄るお祭りなので、ゴミは誰かに任せたらいかんのですよと、優しく補足して、すぐさま撤去していただいた。


 ゴミが平気で落ちている場所だと、自分もゴミを捨ててしまってもいいと思う人がいる。逆に、ゴミが全く落ちてない場所では、誰もゴミをポイ捨てしない、かもしれない。いつもはポイ捨てする人も、なぜかできなくなると思う。これこそが小さなバタフライ現象だと、私はその時から実感している。


 あの、花火大会などのゴミ箱を思い出してもらうと良くわかるだろうか。ゴミ箱がなければ、持ち帰るのに、ゴミ箱があると、溢れかえっていても、その上に平気で置いて、ちゃんと自分はゴミを捨てた気になっている。そんな経験、もしかして一度くらいは誰でもないだろうか。それもまた、小さなバタフライ現象だと思う。溢れたゴミは、ポイ捨てしたゴミと同じくらい、誰かの迷惑になっているはずだ。


 私たちが主催していた、このできることを持ち寄るお祭りは、大勢の人が来場し、帰っていくが、あぁ、置き忘れね、というようなゴミは少しあっても、ポイ捨てを明らかにしたようなゴミは、全くと言っていいほど無いお祭りだった。


 当日視察に来た市役所の方がびっくりしていたほどだ。


 このことから推測するに、思いは伝染していくということだと思う。50パーセントの人がゴミのポイ捨てが平気。そうでない人も50パーセントであれば、多分会場内はゴミで溢れるだろう。ゴミが溢れているのを見て、いつもは捨てない人がその上に平気でおくのと同じである。でもそれがもし、51パーセントの人が捨てない人になり始めた時、きっと何かが変化する。


 そのきっかけは、些細なことだ。私の場合、それがゴミ箱の不設置だったと思う。最初から捨てれない状況を作っておけば、そして、お祭りの設営が始まる前に、会場である公園に落ちているゴミを全て私が拾えば、この些細なことになると、私は経験上知っている。そう、きっかけは、些細なことなのだ。



 昨日書いた『祈り』は、一話で切り取って短編にした。もっとより多くの人の心に届くことができて、そして少しでも心に響いて、


 「けんかはやめて、みんなともだち」


 って、51パーセント以上の地球人が願えば、世界は平和に、子供たちの未来も笑顔になるような気がしたからだ。


 「私」の作品が世に出て欲しいわけではない。ただ、願いを響かせることができれば、それは優しい光で書いた愛の言葉となり、また誰かの心に届くのではないかと信じているからだ。


 絶対に闇の勢力のささやきに、私は耳を貸さないし、愛の言葉を光で書いて、広げていきたい。


 そう、強く思っているのである。おっと、なんだか熱く語ってしまったではないか。いかんいかん。ここはお馬鹿な日記の場所なのに、と、思いつつも、やはりそう願うのである。学校の校舎の上からマイクで、もしや世界の真ん中から大声で? 声を大にして言いたい!


 「わーたーしーにー!!!」

 「絵やお話をかく才能があってーーーー!!」

 「たくさんの人に伝えられる力があればーーーーー!!」


 「けんかはやめて、みんなともだちってもっともっともぉっと!お手紙出せるのにーーーーーーーーーー!!!!」




 デモとか、そういうことをしたいわけじゃない。ただ、平和を願う人が、そう祈ることのできる人が、51パーセントを超えていけばいいだけだと思う。まずはそこからではないかと。


 そんな些細なきっかけの一部に私はなりたいのである。

 


 でも、本当は知っている。


 この惑星の51パーセント以上の人は、もうすでに、愛を持って、世界が平和であって欲しいと願っていることを。


 アオイロ王国の王様の耳元で、光の勢力の使者がささやけるように、優しい光の一部に私はなりたい。




 はあぁ〜、YouTubeでアニメーションにして流せる位のスキルアップしとけば良かったぁ〜!と、本気で思い始めてしまったので、本日はこの辺で。



 お読みいただきまして、誠にありがとうございました。今日もいい日になりますように。


 

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