宵闇に輝くジェダイトの乙女

りべろ

第1話 プロローグ・すべてのはじまり


  ― プロローグ ―


 この世には説明のつかない出来事がある。それらを隣人のせいだと言う人々がいる。「それならしょうがない」と受け入れているのだ。彼らは隣人が居るか居ないかの論争はしていない。最初からそこに居るものとして話をするのだ。


 古い時代、隣人こそがこの世の覇者であり、すべてだった。あれから幾度も大きな諍いが起こり、人間の住むこの世界が現世と呼ばれるようになると、いつしか隣人たちは姿を消してしまった。だが、居なくなったわけではない。常世と呼ばれる世界で彼らの時間軸の中、今もそこに居るのだという。


 総じて彼らは気まぐれでいたずら好きである。気に入ったものがあれば手を貸し、飽きれば存在事忘れてしまうような薄情さもある。


 そんな隣人が暮らす世界は、我らが行きたいと思っても行ける世界ではない。だが、意外にも入口はそこかしこにある。基本的に扉は閉ざされているのだが、一年の内、二回ほど現世と常世の境界があやふやになる時期がある。さらに陽が沈む直前、時に抗いようのない力を生む。


 このお話は隣人のきまぐれから大きく運命を変えた、一体の人形から巻き起こる物語である。




  (1)すべてのはじまり


 音もなく雨が降っている。大通りから一本外れた裏道を通るのは、近くのアパートメントの住民くらいだ。それも夕飯の準備を始める今頃は、特に人気がなくなる時間である。


 町の片隅に彼女は居た。いつから居たのかもうわからないくらい長い月日、そこに居る。小さなお店の決して大きくないショーウィンドウの中、目立たない隅に置かれた古びた人形、それが彼女だった。


 今日も音のない世界で一つ瞬きをする。彼女は長くここに居すぎて少し色褪せてしまった。いつここへ来たのか、彼女自身、ほとんど覚えていないくらい昔、この店の主であるおじいさんが、彼女をここへ置いた。


 おじいさんは毎日彼女を抱き上げては髪をとかし、服の皺をのばし、優しく話しかけてからまた定位置へと彼女をそっと置く。彼女の毎日はそうして一日の大半をショーウィンドウに座って過ごす、変り映えのない穏やかな日々だった。



『お前の名前は、そうだな…。ミリア、ミリアにしよう。古い言葉で奇跡という意味だよ。ミリア、なんて可愛い子だ』


 おじいさんは、彼女を買いたいと言う客にも、決して首を縦に振らなかった。その代り、ずっと彼女を大切に扱いこう言いきかせていた。


『お前の本当の主人に巡り会うまで、わしはお前を手放すつもりはないよ』


 ミリアは落ち着いたアッシュブロンドの人形だ。今は色褪せてしまった洋服も、初めて目にした時はまばゆく輝いていた。彼女にいつ心が芽生えたのか定かではないが、彼女の瞳には、翡翠ひすいがはめ込まれている。内包された傷がきらめきを返す貴重な石だ。


 鉱石をつかった人形には魂が宿ると言われている。彼女もそんな人形のひとつだった。そのせいか彼女のその煌めく瞳だけは、彼女が自我を認識したと同時に動かすことができた。気づかれない様そっと視線を巡らせて、通りを行く人や店の主の姿を追っていた。


 そんなミリアだが、実は瞳以外にも秘密があった。彼女が彼女であることを自覚してから季節が一巡りした頃、全身を動かせる事に気が付いたのだ。最初から動けたのか、急に動けるようになったのかは定かではない。


 彼女がその秘密に気づいたのは、おじいさんが店仕舞いをして、お気に入りの彼女を一撫でして帰った後のことだった。暗い店内に柱時計の音だけが響くようになってしばらくすると、どこから現れたのか羽音を立てて虫が向かってきた。逃げようと思った時には、すでに体が動いていた。



 その日から深夜と呼ばれる時間だけ、自由に動けるとわかったミリアは、まず大好きなおじいさんにこの重大な事実を伝えようとした。だが、それはミリアにはとても難しい事でもあった。


 文字を知らないミリアは手紙を書けない。それ以前に紙もペンも背の高いカウンターの上か、戸棚の中にしかない。店の中に紙屑は落ちていてもペンはそうそう落ちていない。何日も策を考えたが、現状で彼女に打つ手はなく落ち込んだ。


 ただ、朝になれば動けなくなるミリアだが、店に居る人形は何も彼女だけではない。他の人形達は皆、指一本、瞳すら動く気配がない。そこに意思があるように見えなかった。ミリアだけが特別だった。


(嘆いていても仕方ないわ。いつか、おじいさんに伝えられる日が来るかもしれない。それに文字を書けないのなら、覚えたら書けるようになるじゃない)


 ミリアは頭を切り替えて過ごそうと決めた。




 それからの日々はこれまで以上に楽しくも忙しかった。ある時、おじいさんが棚の隙間に新聞を落としてしまったのを、ミリアは小さな体を利用してどうにか手に入れた。もちろん文字を覚えるためだ。そんなミリアの助けとなったのは、店の壁に貼られたアルファベットの書き方ポスターだった。


 随分と古ぼけていたが、文字に古いも新しいもない。書き方、読み方、意味、いくつかの単語、例文までが一文字ごとに紹介されているそれは、子供向けとあってイラストもたくさんある。何度も同じ文字をそこから探して、何とか理解できるようになった。


 それに聞き取りは最初から問題なくできている。そこに当てはまる文字を探すのは謎かけのようで、彼女は夢中になって覚えていった。店で母親に本を読んでもらっている子がいたら、彼女も一緒に耳を澄ませた。夜に絵本を開いてその文字を辿って記憶とすり合わせた。


 新しい事を覚えるのは、退屈な日々とは違い、彼女のこれまでの中で一番充実していた日々だった。ミリアはいつかおじいさんに、自分の秘密を打ち明ける日が来ると信じていた。



 そんな日々の終わりは突然やってきた。いつものように彼女を抱き上げて、言葉を交わしショーウィンドウへ置いてすぐ、低い呻き声をあげておじいさんが床に倒れこんだのだ。ミリアは声なき悲鳴をあげて、心で一生懸命呼びかけたが、おじいさんは倒れたきりぴくりとも動かない。


 しばらくして、近所の人が気づいて店に入ってきた時も、大勢に抱えられて慌ただしく店の外へ運び出された時も、その閉ざされたまぶたが上がることはなかった。ミリアはただ座っていることしかできず、恐ろしく長い一日をそのまま過ごした。



 大好きだったおじいさんは、そのまま帰ってこなかった。翌日、貴重品や私物を取りに来たらしい人たちの会話で、おじいさんが亡くなったことを知った。その彼らも必要な物を取ると慌ただしく帰っていった。それから長い間、店の扉は閉ざされたままになった。


 すっかり色あせてしまった、古い服の内側に刺繍ししゅうされた彼女の名前。その名を呼ぶ優しいバリトンはもう聞けない。突然訪れた深い悲しみに打ちひしがれ、茫然と座ったまま過ごしている内に、ミリアの体は前と同じ、指一本動かせない本当の意味でただの人形になっていた。


(おじいさんが居なくなったから、ただの人形に戻ってしまったのよ。だって、もう誰も私を必要としていないもの。文字を覚えたって伝えたい相手もいない)


 それからいく日も過ぎ、彼女自身、数える事をやめてしまってから随分たっていた。


(今日も終わってしまうわね)


 ミリアにはどうすることもできない。静かにあるがままを受け入れるしかなかった。


(倒れた時、私が動けていたら…おじいさんとお話できていたら、何か変わってたのかな…)


 答えのない堂々巡りばかり考えてしまうのは、再び訪れたただの人形の日々があまりにも悲しかったからだ。灯りのともらない店内で幾晩も過ごした。



 ある日の陽がかげり始めた頃、突然ガチャリという音と共に扉が乱暴に開けられた。すぐにつんと澄ました若い男が店に現れる。後ろには黒い服を着たおじいさんの奥さんが居た。何度か店で見かけたことのある、物静かな初老の女性だ。


 ミリアは落ち着きなく瞳を動かして二人の様子を探った。瞳だけは今でも動かすことができる唯一残された場所だ。なぜそれをおじいさんの前で見せなかったのか、悔やまれて仕方がないが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。


 若い男と奥さんは、長い時間をかけて店中の品物を見て回っている。何やら呟く声が聞こえるがはっきりと聞き取れない。ただ、あまり楽しい話題ではないことは伝わってくる。二人の雰囲気と、店内の子ども向け装飾の不釣り合いさが滑稽こっけいに見える。


 二人がショーウィンドウに顔を向けた。その時になってようやくミリアは、彼らが商品の値踏みをしているのだと分かった。不安げな奥さんが見守る中、若い男は商品一つ一つを手に取り、三つに分けていた。


「これは廃棄。これも廃棄。…これは、一応転売だな。これは、このまま…保留だ」


 ミリアはいよいよ白い顔をより青ざめさせた。何より恐ろしいのは、男が下す[廃棄]の札の多さだ。店ごと空っぽにする勢いである。いや、むしろそれが目的だと言えよう。


(お店ごと処分するつもりなんだわ。私、どうなっちゃうの?)


 大半の品に[廃棄]の赤い札が付けられていた。[転売]はまだましかもしれないが、それでも殆どない。[転売]の品はその場ですぐに袋に詰め込まれている。その扱いからして、ろくな行き先ではないだろう。そして残念なことに、子ども向けのこの店に価値の高いものなど最初から存在しない。


 奥さんの目的はわかったが、新しい店が何になるのか見当もつかない。店を飾るインテリアになりそうなものしか、[保留]は付いていない。それでなくても、元々老人一人で切り盛りしていた小さな店だ。品数は決して多くない。


 生き残れる道は[保留]だが、ただの古ぼけた人形である彼女に下されるとしたら、[廃棄]の可能性が高いのは少し考えただけでわかる。


 店の外では稜線の向こうに陽がまさに隠れようとしている。ただ神々しいまでの美しい夕景に気づくものは、店の中に誰一人いない。



(これを絶望的…っていうのかしら)


 ミリアは煌めく瞳をそっと伏せた。いよいよ、二人がミリアのいる一角に目を向けた。手前の品からどんどん赤い札を貼られていく。



 ――― ねえ、何がそんなに悲しいの?


(…え?)


 突然頭に響いた、懐かしいような澄んだ声にミリアは知らずに瞑っていた目を開ける。そこに見える光景は何も変わらない。先ほどより赤い札が多く目につくだけだ。その時また声が響いた。


 ――― そんな顔していたら、せっかくの瞳が台無しだよ。


 頭の中に直接響くような声に、ミリアは理解が追い付かない。その時ついに、隅のミリアに気が付いたのか、片眉を上げた若い男が彼女に手を伸ばしてきた。


(やっぱり…私、いやっ)


 ――― いや、なんだね。……じゃあ、助けてあげる。

 ――― パチンっ


 「助ける」という単語が頭に響いたのと同時に、どこかで指を鳴らす音がした。男の驚いた顔が見える。その肩越しに見える夕焼けが揺れたような気がしたのもつかの間、彼女の視界は白一色に塗りつぶされた。


 それと同時に座っていたはずの床が跡形もなく消え、落ちるような感覚に意識が囚われていく。あるはずのない心臓がぎゅっと縮こまったように痛みを訴えていた。ミリアは白一色の世界から一転、暗闇の中に放り出された。暗転したのか、目をつむったのか、はたまた落ちているのか、もう彼女には知るすべはない。



『幸せにおなりよ、ミリア』


(! お、おじいさん…!)


 途切れそうな意識の中、懐かしいバリトンの声が聞こえたが、上も下もわからない浮遊感についにミリアの意識がそこで途切れた。


 次に、彼女のその瞳に映し出されたのは、白銀の世界だった。ミリアは夜の雪原に一人立っていた。二本のすらりとした自分の足で。


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