第5話 秘密
薄暗い空間で少女は目を覚ました。虚ろな瞳で天井を眺める。右手をゆっくり上げて触れようとした。
半顔が歪み、右手を右の側頭部に当てた。貼り付けられたガーゼに気付いて、これは、と呟いた。
「痛みはある?」
左手の声に目だけを向ける。咲千香が仰向けの姿で天井を眺めていた。
「……ほんの少し。ここまで運んでくれて、ありがとうございます」
「それはいいから。吐き気や
「ありません」
「ひとまず安心ね。ここには機材がないから。応急処置はしたけど」
咲千香は上体を起こした。手元にあったケースを開いて見せる。麻酔の道具や縫合に使う三日月状の針、それに糸などが収められていた。
パタンとケースの蓋を閉める。その音は少し大きく、咲千香は少女に顔を近づけた。
「どうして、わたしを庇うような真似をしたのよ」
「……危ないと思ったら、身体が勝手に動いていました」
やや目を伏せて言った。
咲千香は鼻で笑う。手を左右に振ってやんわりと否定した。
「あのね。わたしもあの街の住人なのよ。流れ着いた生身のあんたとは身体の作りが違うの。わかる?」
少女はしっかりと目を開けた。
「咲千香さんはわたしと同じ、生身の人間ですよね」
視線を合わせて言い切る。咲千香は口籠り、目を逸らした。両膝を立てて抱えるような格好で前後に揺れ始めた。
「どうして、そう思うのよ」
「今日、二人のサイボーグの言い争いを見ました。一人の若い女性に人間らしくない行動を咎められた顎鬚の男性は、最大の侮辱と言っていました」
「それとわたしが生身と、どう関係があるのよ」
揺れを止めてちらりと少女を見た。促されてゆっくりと口を開く。
「サイボーグの人達は人間らしく見られたいと思っています。人間と同じ飲食をするのも、その為です。咲千香さんは液体燃料をわたしの目の前で飲んで見せました」
「サイボーグに見られたいからと、言いたいのね。それはどうかな。純粋にエネルギー切れを起こして、予備の燃料で補給したのかもしれないじゃない」
咲千香は少女の目を見て言った。
「どうして生身の人間を治療するキットを持ち歩いているのですか」
「あー、そうだわ。あんたを運んだせいで、エネルギーが不足しているみたい」
スカートのポケットから平たい缶を取り出した。立てたストローに口を付けて飲んだ。目にした少女は藻掻くようにして上体を起こす。
「あんまり無理しないで。外傷はあるんだから」
「わたしにも飲ませてください」
「……黒いよ?」
「大丈夫です」
「わかったわ」
苦笑いで缶を差し出す。手にすると少女はストローに口を付けて一気に吸い込んだ。二口程で飲むのをやめた。黒い舌を出して渋い表情を作った。
「とても酸っぱいです」
「野菜と果実を発酵させて作った物だからね」
咲千香は朗らかに笑った。
「まあ、隠していたことは謝るよ。実はわたしもあんたと同じで、この街に流れて来たんだよね」
「そうなのですか。でも、今は街の方々と同じ生活をしているのですね」
「最初はわたしも、あんたと同じような扱いだったよ」
苦しい過去を思い出しているのか。
「ある日、二人の夫婦に声を掛けられた。生前の娘とよく似ていたらしい。それから身なりを綺麗にして貰い、サイボーグとしての生活を仕込まれたわ」
「そのような事情があったのですか……ごめんなさい。過去の辛い記憶を掘り起こすようなことをして」
少女は頭を下げた。頭部の傷に響いて上体が傾く。咲千香は素早く肩を抱いて静かに寝かせた。
「無理はしないで。当分の間、食料はわたしが持ってくるから安静にしてなさいよ。わかった?」
「お言葉に甘えて、そうします」
「今後のことは身体が治ってから考えればいいよ」
言い終わると咲千香は中腰になる。その姿勢でブルーシートに突っ込み、外へと出ていった。
少女は静けさに包まれた。瞼を閉じて深い眠りに落ちてゆく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます