第3話 人間の定義
一個のパンが少女に活力を与えた。朝の早い時間帯にも関わらず、精力的に動き回る。曇天で薄暗い中、一端の目利きとなって麻の袋を満たしていった。
昨日を上回る量に表情が明るい。はち切れんばかりに膨れ上がった袋を抱え、妊婦のようによたよたと歩く。三度の休憩を挟んでゲートを潜った。
街は今日も瑞々しい青空を提供した。整った身なりの人々は優雅な足取りで通りを行き交う。流れに加わろうとした少女は突然の怒号に驚いた。道の端に寄ると、その場に袋を置いた。人々の目が自身から離れている間に何事かと現場に近づいていく。
白い顎鬚を蓄えた男性が女性を指差した。
「私が人間らしくないだと! それは最大の侮辱だぞ! 口汚い女狐が!」
「本当のことを指摘されて逆上ですか? その手にした物をよく見なさい」
黒いドレス姿の女性は蔑むような目となった。男性の左手には平たい物が握られていた。隠すように巻かれたハンカチの上部が僅かにずれている。
遠巻きに見ていた若者が、液体燃料か、と口にした。周囲のざわつきに当事者の男性は訴えるような目になる。
「誤解しないで欲しい。いつもは自宅で補給を済ませている。今日は急ぎの用事で時間が取れなかった。人間らしい食事は排出されるだけでエネルギーに変換されない。それにハンカチで配慮もしたではないか」
「見えているので意味がありません。形状と黒い色で瞬時に商品を割り出せます」
「黙れ、女狐!」
男性は前のめりとなった。女性は自前のハンカチで鼻を押える。
「黒い歯でオイル臭い息を吐き掛けないでください。ドレスに臭いが移ります」
「ゆ、ゆる、許さんぞおおお!」
男性は女性の左肩に右手を伸ばす。
「止まって見えます」
女性は笑みを
「こ、これ、は」
「思い知ったか!」
男性の掌から銀色の刃が飛び出した。低い音が右肩から聞こえ、内部の熱を排出して白い湯気が立ち昇る。
女性の左胸が濃い黒色に染まる。手足が不自然に揺れて右目が裏返った。
カチンと硬い音がした。周囲で見ていた数人が、ほぼ同時に走り出す。
「その目は――」
全てを言えず、男性は沈黙した。眉間に丸い穴が空いていた。女性の白目に仕込まれた高出力レーザーは対角線上にある店舗の一部も貫いた。
二人は同時に膝を突く。瞬く間に黒い血溜まりが出来た。巻き添えを嫌った人々が速やかに現場を離れる。その中には少女も含まれていた。
青空の一部が内側に引っ込む。中から現れた丸い物体は、のっぺりとした月のようだった。気付いた女性は白目を戻して真上に叫ぶ。
「わたしは人間です! この街に相応しい人間なのです!」
その切なる声は聞き届けられなかった。二人は同時に細かい振動に見舞われる。人工の皮膚はゲル状となって流れ落ち、人型の金属と化した。時間を巻き戻すように部品へと分解されて路上に撒き散らされた。
その一つが転がり、避難した少女の足に当たった。女性のICチップを拾わず、静かに手を合わせた。足早に袋へと引き返す。
「……人ってなんだろう」
膨らんだ袋を抱えた少女は人目の付かない路地へと入っていった。
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