第19話 防衛戦③

*****


 乾いた風が畑を抜けてロルカの頬をなぶる。


 豊かな土の香りはロルカにとって心地よく、同時に己を鼓舞する役にも立った。


 満天の星空には雲ひとつなく、星明かりがロルカの確かな足取りを助けてくれる。


 ゆったりと流れる川の水は夜闇を黒々と映し、時折川縁で水が弾けていく。


 ……ここで|虚無を食い止めるのだとロルカは固く誓った。



 ……そのときだ。



 視界の端で、ゆらり、と。影が動いた。


 咄嗟に剣の柄を握ったロルカはしかし……その影に目を見開く。


 黒い革鎧と星々を集めたような白銀の双剣。


 風に踊るローブのフードをはらりと落としたその髪は紫水晶のような美しい色彩。


 誰とも見間違うはずがなかった。


「シャルロ……?」


 一歩、また一歩。


 彼女はゆっくりと足を踏み出しては柔らかな土に下ろし、静かに言う。


「あなたに問う、ロルカ」


 風に乱れる髪を気にする素振りすら見せず、シャルロは伏し目がちだった薄紫色の瞳を上げてロルカに向けた。


「――あなたは神繭カムンマユラなの?」


 ロルカははっと息を呑み、彼女が握る白銀の双剣が煌めくのを見て小さく呻く。


 なぜ彼女が剣を握っているのか。


 なぜ彼女がロルカに『神繭かどうか』を尋ねるのか。


 導き出せる答えを――ロルカにはひとつしか持っていない。


「…………シャルロ。まさか……君は……」


「聞いているのは私。――でも、その返事が答えだね、ロルカ……」


 彼女は悲しそうに笑みを浮かべ、両手をゆるりと持ち上げる。


 瞬間、思いのほか素早い動きで踏み込んできた彼女の切っ先が空を裂いた。


「……ッ」


 咄嗟に上半身を引いて躱したロルカは息を呑み、数歩下がって首を振る。


 ひやりと冷たいものが背中に触れたような感覚に、全身から冷や汗が吹き出して止まらない。


「やめてくれシャルロ! いまはそれどころじゃ……うわッ!」


 問答無用。


 息つく暇もなく身を低くして追い掛けてきたシャルロが右の剣をロルカの左側から振り抜いた。


 ロルカは今度も攻撃を躱し、再び離れてから意を決して口にする。


「――なぁシャルロ。なら……俺からも問う。――君は……俺の村の人をどうしたんだ?」


「……ッ」


 攻撃のためにと踏み出していたシャルロは足を突っ張って動きを止めた。


 その顔が酷くつらそうに歪むのを見たロルカは畳みかけるように言葉を紡ぐ。


「俺と同じ黒髪の男女はいた? 炎みたいな赤髪の女性は? 色白のおじさんや恰幅のいいお婆さんは?」


「…………やめて」


「皆……人間だ。父さんも母さんも神繭の一族だけど神繭じゃなかった。俺だって神繭だとかそんなの関係なく皆と楽しく暮らしていただけ――なにか悪いことをしたわけでもない」


「やめてッ! 神繭を護る人も狩らないと駄目なの! 私は……繭狩りだからッ……!」


 両手を振り抜いて叫ぶシャルロが再び踏み切る。


 ロルカは剣を抜き、右足を大きく一歩踏み込んで彼女の双剣を受け止めた。


 ギィンッ


 鈍い音とともに至近距離で視線が絡む。


「あんな……惨い仕打ちを。君が……村の皆にしたのか? 本当に?」


 静かで――けれど確かな怒りを宿す声音。


 飛び離れたシャルロは、ギリ、と歯を鳴らし、震える声で言った。


「――あなたと出会ったのは……私が迷いを断ち切るための試練だと思うの。私の気持ちがどうであれ迷っていたら駄目なの……だから……私が……!」


「…………」


 それを聞いたロルカはゆるりと構えを解くと剣を収め、深く息を吐き出した。


「話しただろシャルロ。俺の『野生の勘』はシャルロの気持ちを尊重しろって言ったんだ」


 口にしながらもどこかほっとしている自分がいて……ロルカの声音は自然と和らいでいる。


「……いまも同じ。俺の『野生の勘』は……君がやっていないって言っている。だからもういい、やめようシャルロ。ここから離れてくれ……虚無ヴァニタスが来る」


「…………え?」


 ロルカはまだ剣を構えたままのシャルロを無視してその横を通り、川のほうへと向かった。


 動くことができなかったシャルロは胸のなかでざわざわと気持ちの悪い感情が蠢くのを感じ、ぎゅっと瞼を瞑ってから振り返る。


 再び持ち上げられた瞼の下、薄紫色の瞳が揺らいでいた。


「やめよう……? なに、言っているの。いまさら無理だよ……私、神繭は狩るものだと思っている、誓っているの……いまも――これからもッ!」


 蹴った土が宙を舞う。彼女は泣きそうな顔で思い切り双剣を振りかぶった。


 ――ロルカの村に行くまで――狩りを躊躇ったことなんて一度もなかったのに。


 その思いを弾き飛ばし、シャルロは腹の底に力を入れる。


「はあぁッ!」


「!」


 ロルカが翠色の双眸を見開き肩越しに彼女を見る。


 無防備な彼が咄嗟に防御することはできない――そのはずだ。それなのにシャルロの刃が彼を捉えることはなかった。


 代わりに、ギリリ……と、金属が鬩ぎ合う音がする。


「……ったく。なんだって俺がこんなことしてんだかな……」


 首の後ろで束ねた夜闇でも明るく見える蜂蜜色の髪。


 体ごと振り向いたロルカの前、シャルロとのあいだに入った彼の剣を握る腕が震えている。


「ニーアス……⁉」

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