第54話 動機


「ああ。杉山さんと大喧嘩していたものね。あら、でも実際に入られたくなかったんじゃないの?」

 詳しい事情を知らない桑野は目を丸くしている。庄司は隠すことなくオープンにしていたというが、丁度二人が別れている時期に入った桑野には、その事情を知る機会がなかったのだろう。

 青龍はばらしても大丈夫かと、一応は二人に視線を向けて確認をする。すると、大きく二人揃って頷いた。

「もともと隠していませんでしたし」

「ええ。むしろ知ってもらっておかないと」

 岩瀬と庄司がそう揃って言うのを、桑野は不思議そうに見ていた。しかし、女の直感と言うべきか、すぐに事情を見抜けたようだ。

「ああ、そう。そういうことだったの。それじゃあ、杉山さんに入って来られては困るわねえ」

「ええ。実際は、岩瀬さんがこのままでは会社が駄目になると距離を取ったことによって発生した、少々ややこしい状態だったんですよ。庄司さんは距離を取られる意味が解らず、当てつけとして杉山さんと付き合っていたんです。そして、この誕生日を機になんとか仲直りしたかった。だから、杉山さんにはきつく書斎に入るなと命じていたんです」

「ふうん。じゃあ、夜にはこそこそ二人で会うはずだったというわけね」

「部屋割りからしても、庄司さんが意図するところはそれだったでしょう。岩瀬さんは事情を知る梶田さんと同室で、しかも別館の一階です。そこは庄司さんの書斎と最も近い部屋であり、他の目を気にせずに行動できる位置ですからね」

「なるほどねえ」

 桑野はそうだったんだと納得した顔をしていた。

 杉山のことを気に食わないと感じていたようだから、ただの当てつけだったと知ってすっきりしたというところか。死んだ人を悪く言うつもりはないが、あまり受けのいい人物ではなかったのは確かだろう。

「そういうわけですので、初期メンバーだった神田さんも二人の仲は当然のように知っている。庄司さんに確実にダメージを与えられるのは岩瀬さんの方だ。これも知っていたわけです。特に杉山さんが死んでから、庄司さんは隠すことなく岩瀬さんとべったりでしたからね。余計に、ムカついたのかもしれません」

「っつ」

 そこで今まで呆けていた神田が息を飲んだ。図星だったのだろう。そして、憎しみを込めて岩瀬を睨む。

「おいっ」

 余計なことをしないように、雅人は思わず神田の肩を掴む。そのくらいの気迫はあった。

「この反応からしても、岩瀬さんに対して、いい感情を抱いていないのは確実ですね」

 しかし、青龍の指摘に神田の身体から力が抜けた。見破られて罠を張られ、さらには青龍と入れ替わりが行われていた。その事実がずんっと重たく圧し掛かっているのだろう。

「そう言うわけですから、予防線とはいえこの罠にはある程度の仕掛けが必要でした。それが入れ替わりです。部屋に入った段階で素早く入れ替わる。岩瀬さんにはドアの陰に隠れてもらって見つからないようにするだけですが、タイミングが間違えば確実にばれてしまう方法ですので、私としてもかなりドキドキする作戦でしたよ」

 そう苦笑する青龍だが、ほぼ成功すると確信していたのは間違いないだろう。相手は復讐で目がくらんでいる。庄司の書斎に入ったところを見届ければ、確実にそれは岩瀬だと思い込む。

 それでも、照明をいくら絞っていたとしても、特徴的な青龍の髪は隠せない。だからこそ、堂々と寝たふりをして構えることが出来たのだ。今もその髪は、きらきらと光を受けて青色に輝いている。

「でも、どうしてなの? 野々村君の技術が画期的なのは神田さんだって認めてたじゃない」

 桑野は神田が殺そうとまで思った理由が解らないと溜め息を吐く。それに、神田はまたぎっと睨んだ。

「あんたには解らないさ」

 そして忌々しげに吐き出す。それは自分の苦悩を誰も理解してくれない。そんなニュアンスが多分に含まれている。

「解らないって。どうしてよ。神田さんが不要になったわけじゃないでしょ」

「ふん。そんなもの、いつそうなるか解らないだろうさ。技術の発展についていけなくなった人間なんて、いつかお荷物になる。知っているか、今の世の中、大企業でさえ、最新技術についていけなくなった技術者をリストラする時代だぜ。それも業績が黒字だろうと関係なくな。

 理由は簡単。新しい技術を持っている奴に高い給料を払うためさ。新しい技術、新しい方法についていけない奴は不要になるんだよ。それが、この会社で起こらないとどうして言えるんだ」

「それは」

 思っていたよりも明確な理由が出てきて、桑野は口を噤む。自らもまたその最新技術を買われてこの会社に来たのだ。それがいつか神田のポジションを奪うことになるかもしれない。それを、全く考えていなかった。

「人工知能分野は特に進歩が速い分、前の技術は不要になっていく。俺は、怖かったんだよ。必要ないといつ言われるのか。それが、怖かったんだ」

 普段はどんな時でも笑わせようとする男の苦悩に、庄司も岩瀬も暗い顔をする。神田が抱える不安に気づけていなかったことに、経営者として負い目を感じているのだろう。そんなことはない。その可能性を僅かにでも提示していれば、今回の事件は防げたかもしれないのだ。

「うんざりだったんだよ。どんどん新しい奴が入って来て、どんどん人工知能が入れ替わっていく。それに、いつ俺は耐えられなくなるんだろうって、周囲を気にしながら生きていかなきゃいけないことに。そして、いつかデータサイエンティストさえ必要のない人工知能が出てくる。それを開発する奴がこの会社に入ってくる。それを考えると、怖かった」

 そこまで吐き出すと、神田はがっくりと肩を落とした。そしてテーブルに突っ伏すとおいおいと泣き始める。何もかもがここで終わった。それをついに実感したのだろう。

「雨は、上がったみたいですね」

 青龍がぽつりと呟くので窓の外へと目を向けると、うっすらと外が明るくなっているのに気づいた。

長い長い夜は、こうして犯人の泣き声とともに終わりを告げたのだった。

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