第29話 上手く利用している

「そうですよ。今回のお仕事は二泊三日だと承っておりますので、こちらで休んでいました。片付けをしてそれから休んだから、何時だったかしら」

「午前一時くらいじゃなかったですか」

 それまで黙っていたもう一人の女性、池内より少し落ち着いた雰囲気のある市原小鈴いちはらこすずがそう指摘した。するとそうだったわねと森も大きく頷く。

「それから朝の四時に起きるまではぐっすりでしたよ。あれこれとやることがあって疲れていて」

「私も」

「私もです」

 つまり、部屋の中にいた三人は昨夜、何か不審なことがあっても気づかなかったということか。だからこそ、部屋からいなくなって騒がしいという言葉を、そのまま信じることが出来たということか。しかし、何か気づきそうなものだがと、雅人は首を捻る、

「ここ、下からの料理の匂いが漂ってきますね。これなら、横の部屋の血の臭いが気にならなかったのも、仕方ないかもしれませんよ」

 航介が鼻をひくひくとさせて言った。確かに、梶田が夕食の支度を始めたのか、厨房から何やらいい香りが漂っていた。おそらく階段から匂いがダイレクトに上がってくるのだろう。本館では全く気づかない料理の匂いが、ここだとはっきり感じられる。

「意外と別館というのは、ちゃんと機能しているものなんですね」

 青龍も向こう側では気にならない料理の匂いが漂ってくるので、本館と別館が分けてある理由は、こういう作業の過程を覆い隠すためにあるのだなと気づいた。

 その昔は本当にこちら側は使用人しか使わなかったのだから、本館にいる主人への配慮がなされている設計なのだろう。

「状況はご理解いただけましたね。皆さん、もう部屋から出ても大丈夫ですけど、隣の部屋に入らないようにお願いします。現場を保存しなければなりませんから。庄司さんには我々の方から報告しておきます」

「わ、解りました。そろそろディナーのお時間ですよね。では、私たちは厨房の手伝いに入ります」

「ええ」

 慌ただしく用意を始めた三人に別れを告げ、青龍たちはそのまま別館の階段を下った。ぎいぎいと音を立てるのは本館と同じで、やはり年季が入っている。

 いや、こちらの方が激しく音を立てていた。本館と違ってあまり手入れされていないのだろう。その点を考えると、犯人が犯行後にこの階段を使ったのか怪しくなってくる。

「意外と気にしなかったのかもしれませんよ。こういう音が常にするというのも、小さな音を気にしなくなる理由の一つですからね」

 青龍があまり音を立てることなく階段を降りながら指摘する。そちらの方が気になるが、歩き方によっては音があまりしないで済むということか。さらに、犯行が行われている時に何か音がしたとしても、誰かが廊下を歩く音だろうとして取り立てて気にすることなく、聞き流されたのでは。そう考えているというわけだ。

 確かにこの別荘では常にどこかで音がしているから、徐々に気にしなくはなっている。それにここではトイレに行くのに、どうしても廊下を通らなければならない。そうすると、誰かが廊下を歩いていたとしても、トイレだろうと聞き流してしまうのは当然だった。

「ちっ。この別荘が上手く利用されているわけか」

「そうですね」

 そんな話をしつつ一階に下りてみると、丁度よく厨房から梶田が現れた。一段落付いたのか、大きく伸びをしている。

「おや、刑事さんに氷室さん、それに及川君まで」

「どうも。ちょっとこの別荘の構造を確認しようということになりましてね。未だに見つかっていない杉山さんを隠すならばどこがいいか、マジシャンの目からも確認してもらっているんですよ」

 雅人がすかさずそう説明すると、なるほどねと梶田はあっさりと納得した。そして、厨房も見ていきますかと誘ってくれた。作業の邪魔になるようだったら後にしようと思っていたので、出てきてくれたのはありがたい。

「あっ、そうそう。お手伝いの子たちにも声を掛けておきましたので、もうすぐ手伝いに来ると思いますよ」

「ああ。それは有り難い。庄司の奴が不祥事として言い触らされちゃ駄目だからって、刑事さんたちが外に行った後に真っ先に閉じ込めちゃったんですよ。さすがに可哀想で差し入れを入れてましたけど、事が事でしょう。犯人が誰か解らない状況で勝手に出ていいって言うわけにもいかず」

 困ったもんですよ、と梶田は四人を厨房の中に招き入れながらぼやく。

 なるほど、取り乱しながらも社長として、会社の信用問題が先に頭を掠めたというわけか。

 さすがは当てつけで付き合っていただけのことはある。会社の人間が不用意に言い触らす心配はないが、お手伝いの人たちが外部からの派遣だとすれば、その対策を取りたくなる気持ちも解らないでもない。

「ほう。これは凄いですね」

 厨房の中は広々としたもので、シンクや冷蔵庫、さらにオーブンといったものはレストランなどにあるような最新の設備と同等のものがあった。これは梶田が要望して替えさせたのだという。

 なんでも梶田が来るまでは、古風な洋風の台所だったのだという。オーブンも薪で焼くものしかなく、さすがにそんな昔ながらの厨房だと動き難いので替えてもらったとのことだった。

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