第12話 では、忠告しましたよ

「こんな早い時間にもう身支度ですか。さすがは勤勉な刑事さんですね。あっ、それとも刑事でも枕が変わると眠れないものなんですか」

「ぐっ。枕が変わって寝られなくなるのに、刑事かどうかは関係ねえだろ。それを言うなら、ほとんどがホテルで暮らしているお前が早起きってのはどういうわけだ。まさかいつも寝られないってわけじゃないだろ」

「そんなにムキになって言い返さなくてもいいじゃないですか。私の場合は単純に、いつも早起きなだけですよ」

 青龍のからかいに必死に対抗してみたものの、くすくすっと笑ってあっさり返されてしまった。

 そういう言い返し方があったのかと、雅人は思わず歯噛みしてしまう。こういう面でも負けている気がする。

「それはそうと、どうぞ。トイレですよね」

「あ、ああ」

 そしてあっさりと場所を譲られ、何とも消化不良のような気分になった。だが、青龍はそのまま撤退することなく、なぜか一緒に入ってきた。

「おいっ」

 邪魔だと抗議すると

「ついでに髭を剃りたいんですよ」

 と、ほっそりした顎を撫でて青龍は言う。

 見てみると、確かに少しばかり髭が伸びていた。普段は隙なくきっちり身なりを整えているところしか知らないから、こいつも朝にはちゃんと髭が生えるんだなと、妙な感心をしてしまった。

「邪魔したのは俺の方ってことね」

 足音に気づいて開けただけということか。確かに髭剃りの最中に誰かが入って来たら危ないと思って確認する。不意打ちを食らって、商売道具の一つである顔を怪我しては大変だ。

 空間としては一緒だがトイレは再びドアを開けた向こう側。洗面台とは別の位置だから、そこで青龍が何をしようと気にする必要はない。

「はあ」

 おかげで便座に座ると同時に特大の溜め息が出てしまった。それをしっかり青龍に聞かれて、くすくすと笑われる。

 やはり、ドアがあっても傍に人がいるというのは気になるものらしい。それはそれで嫌なものだった。

「なんだよ」

「いいえ。あちこち気疲れしているようで」

「誰のせいだ」

 くそっと、雅人はがらがらがらっとトイレットペーパーを引き出すと、盛大に鼻をかむ。青龍がまた笑ったが、今度は気にしなかった。

 こういう奴だと切り替えてしまえば、後はどうということはない。そうしている間に青龍は顔を洗い始める。ようやく静かな時間が訪れた。

 それにしても、成り行きとはいえ変な気分だ。どうしてこうやって追い掛けている相手と一つ屋根の下で過ごしているのだろう。あまりに奇妙だ。

 しかもこの潜入捜査、犯罪者と疑っている奴に直接取引を申し入れているものだから、雅人も楓も休暇扱いなのである。何とも理不尽ではないか。

「はあ」

 もう一度、雅人が溜め息を吐いた時

「ああ、そうそう、刑事さん」

 青龍が再び声を掛けてきた。

「あっ」

「そろそろ兜の緒を締めてくださいね」

「なっ」

 それは犯罪が起こるってことか。

 思わずトイレの戸を開けると、意外にも真剣な顔をしている青龍と目が合った。すでに舞台に立っている時と変わらないような、凛とした雰囲気を醸し出している。

「お前、一体何を知っているんだ?」

「さあ」

「おいっ」

「では、忠告はしましたよ」

 何か他に言うのか。そう構えていた雅人を残し、青龍は凛とした空気を収めてしまうと、とっとと洗面所を出て行ってしまった。

「なんだよ」

 中途半端なところで放り出された雅人は、当然のようにもやもやとした気分だけが残されたのだった。




 朝食は六時半からと決まっているが、その時間に全員が集まらなければならないというわけではなかった。旅館と同じで、その時間までに梶田が仕込む。そういう目安なのだ。

 早くから目覚めてしまった雅人が、楓と合流して六時半過ぎに一階の食堂に行くと、すでに用意が済まされていた。一体いつ仕込んだのかと驚かされるような、立派なビュッフェ形式の朝食が用意されていて、美味しそうな匂いが食堂に広がっている。

 先ほど会った青龍が来ているかと思ったが、彼はまだ現れていない。食堂にすでに姿を見せていたのは秘書の岩瀬だけだった。

 その岩瀬はコーヒーを片手にスマホで何やらチェックをしていて、休暇中だというのに仕事をこなしているようだった。手元には手帳が置かれていて、そこにはびっしりと書き込みがあるのが解る。

 秘書というのは意外と大変なんだろうなと、その姿に雅人は考えさせられる。

「うわあ、美味しそうですね」

「どうぞ、好きなだけ食べてください」

 しかし、岩瀬に気を取られていたのは一瞬だった。梶田が焼きたてのパンを運んできたところで、食堂全体に広がるいい匂いに、自然と腹の虫がぐうっと鳴いた。

「こりゃあ凄いな」

「ありがとうございます。とはいえ、仕込みはここに来る前に大半を済ませていたので、ここでは温めただけなんですけどね」

 そんな疑問にあっさり梶田が答え、にこっと笑う。昨日も夜遅くまで立ち働き、誰よりも早く起きているはずだというのに、疲れを微塵も感じさせない。朝から精力的な人物だ。

 そう言えば、青龍も昨日はステージのあれこれで大変だったというのに早起きだった。さらにいつも朝は早く起きるというし、世界的に活躍するにはそれくらいの体力が必要ということか。どういう世界でも一流になるというのは大変なものなのだろう。

「パンも美味しそう」

「でしょ。それは夜明け前に部下に運ばせたものですから出来立てですよ。さらにカリッと焼いてほしい方は申し出てください」

 楓が早速パンを摘まんでテンションを上げていると、それにもすぐ笑顔で対応。さらにはオーブンで焼くというサービスまでするという。

「それじゃあ、これ二つ。お願いします」

「はい」

「じゃあ、俺も一つお願いします」

「かしこまりました」

 そうしているうちに、青龍と航介が話しながら入ってきた。

 姿が見えないと思ったら、二人で喋っていたというわけか。何やら良からぬ企みを相談していたのではないか。そんなことを考えてしまうが、岩瀬がいるので問い質すことはできない。

 雅人は横目でチェックしつつも、さっさと料理を皿の上に盛り、ビュッフェを取る人たちが見える位置に陣取ると、ウインナーに箸を伸ばす。

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