第5話
○
エバンが左脚と右腕を失ったエインズを背負い、エバンの荷と地図を持ったシリカがその後ろを歩く。
シリカの目に涙はもうない。
あの場で半刻ほど泣き、次に立ち上がった時にはその目に悲しみはなかった。
「……いい目だ。もう二度とこの子の前でさっきの醜態を晒してはいけないよ。それは——、」
エバンは続けなかった。
「わかっています」
シリカの声は小さいけれど、そこには力強さがあった。
エバンは残酷な運命にいる男の子を背負いながら、先ほどのシリカの言葉を思い出す。
(この先もこの子には残酷な運命が降りかかるだろう。だがきっと娘がこの子を導くはずだ。俺は、この子を導く娘を正しく育てる)
それがこの子のためになる。
エバンたちがタス村に戻ったのは夕方だった。
村に着くとそれぞれ解散し、エバンとシリカは家に戻った。
「ただいま、母さん」
エバンが扉を開け、その後ろからシリカが入る。
「おかえり。……その子は?」
エバンの妻、シリカの母であるカリアは、夫の背に乗っている男の子に目を向ける。
「……シルベ村の生き残りだ。ただ——、」
エバンが男の子をソファに降ろす。
「っ!」
カリアは目を見開いた。そして、目を伏せる。
およそ6歳の男の子のその身体にこの子の将来を憂いずにいられる訳がない。
「この子の身体を清潔なタオルで拭いて俺のベッドに寝かしてくる。話はそれからだ」
それはこの子へ接し方。シリカの覚悟。エバンたち家族のこれからのこと。
テーブルの上に置かれた豪勢な夕食。心身ともに疲れ切った夫と娘のためにと用意した夕食だったが、それはとても静かに、これまでで一番静かな夕食となった。
食べ終わったあと、今後のことを決め、その日はすぐに眠ることにした。
それから3日後、いつものようにカリアが最初に目を覚まし、エバンとシリカを起こす。
「起きて、あなた」
エバンは寝起きよく、すぐにソファから起きる。
「いたたた」
ベッドを男の子の寝床としたため、エバンはソファで少し窮屈に眠ることとなったのだ。
固まった身体を伸ばすことでほぐす。
カリアは娘の部屋の扉を開け、布団をぐしゃぐしゃにしながら眠るシリカをゆすり起こす。
3人がテーブルについて朝食を取り始める。
「今日はまた山に入らないとな。そろそろ雪が降りそうだ」
「そうね。朝晩の寒さがかなり厳しくなってきたものね」
「ああ。一応、冬を越すだけの食料は目星がついたが、あって困るものでもないからな」
「シリカは今日どうするの?」
「今日は道場に行かないと。顔を見せろって、ギースさんから言われてるの」
シリカはやれやれと肩をすくめる。
「だから、あの子の様子を見てから道場に行くわ」
「そうね。あの子もそろそろお腹を空かして目が覚める頃だものね」
カリアは小さく微笑み湯気の立つスープに口をつける。
その後も和やかに朝の時間を過ごし、食事を終える。
エバンは弓と剣を身に着け出かけて行った。
「シリカ、食器を持ってきてちょうだいね」
「わかってる!」
キッチンで使用した食器を洗っているカリアに、日頃口酸っぱく言われているシリカが多少苛立ちながら答える。
カリアのもとへ食器を持っていき、そのまま濡れタオルとお湯の入ったバケツをもらう。「しっかり拭いてあげるのよ」
「わかってる」
今度は静かに答える。
リビングを出て、階段を上り、エバンの寝室に入る。今はシリカが助け出した男の子が眠っている。
「入るわよー」
聞こえていないだろうけど一応言っておくか、とシリカが断りを入れる。
扉を開けると、そこには、上半身を起こした男の子がいた。
「……えっ?」
一瞬呆気に取られたが、すぐに状況を理解した。
シリカは思わずタオルの入ったバケツを落とす。
「お、お母さん! 来て! ……あの、えっと……、目を覚ました! 男の子!」
言葉が頭についてこない。
脈絡なく紡がれる言葉。
「なに言ってるの、シリカ?」
下からカリアの声が聞こえてくる。
「いや、だから、男の子が起きてるの! ……あつっ!!」
今になって足にかかったお湯に意識が行く。
片足立ちでバランスを取りながら、お湯のかかった足を抱えて悶絶する。
「……あの子は、なにやってるのかしら」
呆れながら、ゆっくりとカリアがやってくる。
部屋に入ると、片足で飛び跳ねている娘と窓の方に目をやる男の子が見えた。
「……目が覚めたのね」
「だから、そうだって言ってるじゃん!」
「あんな言い方だと分からないわよ、まったく」
カリアは娘をひとまず置いておくことにして、男の子のもとに寄ってかがみ込む。
「目が覚めた?」
カリアはできるだけ優しく声をかけた。
「……」
男の子は窓から目を離し、カリアの方へ向く。
髪は銀色でシリカよりも長く伸びている。喜怒哀楽の何の感情もこもっていない表情。目は開けているが、果たして見えているのか、何も映っていない。
しかし、カリアと目が合っているのできっと見えているのだろう。
「おなか、空いた?」
「……」
男の子は何も答えず、じっとカリアを見つめる。
「もしかして、言葉が分からないのかしら」
シリカがカリアに訊く。
「そんなことはないわよ。シルベ村もタス村も言葉は同じだもの」
カリアの発した「シルベ村」という単語に男の子は肩をぴくっと動かしたが、それだけだった。
その様子をシリカは見ていた。
言葉は分かる。今の反応から会話も聞こえている。
だったら言わなければいけない。この子に教えなければいけない。
「きみの村、シルベ村、……なくなっちゃったわ」
後半につれ、シリカの声が消えかかる。
「…………しってる」
男の子の声が小さく広がる。
「……お父さんも、みんなもがんばってくれたけど、きみ以外に……、だれも見つけられなかった」
「……しってる」
「きみを瓦礫の中から見つけ出したときには、……そのときにはもう脚と腕が」
シリカが目を伏せながらいう。
「しってる。全部、しってる。……見てたから。何もせずに、見てたから」
「……」
男の子は、失った腕や脚を憂いなく、一瞥もせず、ただただそう述べた。
「今は気持ちの整理が出来てないだろうから、少し一人にしてあげたら?」
カリアがシリカの肩に手を置く。
「そう、よね。……きみ、名前は?」
「エインズ」
「そう、いい名前ね。わたしはシリカ。こっちはお母さんのカリア」
「カリアよ。ひとまずごはんを作るから席を外すけど、食べられそうだったら食べてね? シリカ、準備を手伝ってくれないかしら?」
「分かった」
カリアとシリカが部屋を出た。
出る間際、エインズがぶつぶつと何か呟きながら左手を動かしているのをシリカは見た。
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