第3話


 布団で寝ていたエインズは、外の喧騒で目が覚める。

 夜のはずが、窓からは夕焼けのようなオレンジ色の光が入ってきていた。


「なにしているんだろう」


 寝ぼけ眼で窓を覗くと、多くの人が外で踊ったり走り回ったりしていた。


「何かの祭りかな? でも、なにも聞いてないや」


 エインズは不思議に思い、部屋から出て、リナとキルザに何の祭りなのか尋ねようと思った。

 二人の寝室に向かうとそこに二人はおらず、リビングにいるのかと思い、向かってもそこにも二人の姿はなかった。


 外の光が揺らめきながら家の辺りを照らす。

 玄関のドアは半開きになっていた。


「不用心だな。ぼくにはいつも戸締りと手洗いを口酸っぱく言ってくるのに」


 ドアを閉めようと向かうと、何かに躓いた。


「いたっ」


 思わずその場で転ぶ。受け身の手が床で滑り、頭も軽く床にぶつける。


「なんだよいったい」


 手についていた汚れを払おうとするが、手がぬめっていた。

 外の光が入り込み、手が真っ赤になった様子が見えた。


 血。


 エインズの転んだ一帯が血だらけになっている。

 何に躓いたのか。考えたのが先か、見つけてしまったのが先か。

 躓いた足元を見ると、そこには背中を肩から腰にかけて大きく斬られたリナが倒れていた。


「……な、なんで……」


 家の中をエインズの掠れた声だけが流れる。

 その掠れた声は外の喧騒で掻き消える。

 エインズはおぼつかない足でドアを開く。


 取っ手が外れ、ドアを固定していた上部が外れる。

 軽く押し開ける程度の力だったが、それだけでドアは朽ち果てるように崩れ落ち、開かれる。


「あつい……」


 冬が近くなるにつれシルベ村の夜は厳しい寒さになる。

 それが今、暑いのだ。

 外の夕焼けは、村の大火事だった。

 寝ぼけていたエインズの頭が目覚める。


 踊っていた人は剣で斬りつける者と斬られるもの。

 走り回っている者は、追手から逃げる者と追う者。

 祭りではない。


「……」


 言葉が出ない。


「たすけてくれ!!」


「この子だけは!」


 泣き叫び、命乞いをしながら無常にも死に逝く人たち。

 弱者が強者に狩られていく。

 エインズは膝から崩れ落ちると、ただただ目を見開いて外の様子を見ていた。

 村のほとんどがすでに死んだのだろう。


 ロジンとバーグが真剣を持ち、振るっている。

 15歳に満たない二人は村においてまだ戦力として数えられない。その二人が前線で剣を振るうとはそういうことなのだ。


 しかしそれでも相手は軽くいなし、反撃を加える。

 洗練された無駄のない動き。

 鍛え上げられた身体により鋭く剣を振るう。

 剣筋を一瞬残し、バーグの剣は手首から先を切り落とされる形で地面を転がる。


「あっ……がぁあ!」


 痛みにより前かがみになった上半身を下から膝で蹴り上げ、開かれた胸部に鋭い剣先を突き刺す。


「……うぐっ」


 小さなうめき声を残して、すぐに絶命する。バーグの胸部、手首を中心に地面に血が広がっていく。

 すぐ横でバーグが事切れた様子が視界に入るロジン。そこに憎しみもなければ、悔しさもない。あるのはただ純粋な恐怖。次は自分の番なのかもしれないという恐怖。


 体を動かしたことによる発汗なのか、恐怖から生まれた脂汗なのか。

 古くからのライバルであり友人であったバーグがいとも簡単に死んだことにより、ロジンの心が折れた。


 それは、汗と相まって、振るっていた剣が手から滑り落ちるという形で現れる。

 何もない。抵抗力も、武器も、防具も。ロジンはただ死を待つのみだった。

 ロジンの最期の表情は、安堵から来た笑みだった。


「……ぁ……で」


 その始終を見ていたエインズの口から出た音。本人は「なんで?」と言ったつもりなのだが、しかしとっくに発声すらもままならなくなっていた。

 苦しみなく一瞬で命を刈られたことによる安堵。それが生者、エインズには分からない。


 剣術の動きだけはすでに才覚を現わしていたエインズと同い年のサイアスが揺らめく炎の前を走って逃げる。

 サイアスの後ろを、それは朝の散歩のような足取りで歩く者。剣を持たず、防具を付けず、手には小さな木の枝が握られている。


「……よかった。サイアスは……」


 サイアスは逃げ切れる……。

 さほど仲良くはないが、それでも村で数少ない歳が同じ友人だ。

 サイアスの生存が確認されたことがエインズに言葉を紡ぐ程度の力を出される。

 が、


「□□□□、□□□」


 木の枝を持った男は、前を走るサイアスに向けて何か言う。

 喧騒もあって、エインズの耳には男の言葉が届かない。

 ぞわっ。


 エインズは得体の知れない悪寒を感じながらその男を見ていた。

 男の持っている木の枝が激しく発光したかと思えば、青白い光線がサイアスの身体を突き抜ける。


「えっ……」


 それはサイアスのものか、エインズのものか。それとも二人共から漏れ出た声なのか。

 サイアスはまるで何かに躓いたかのように急にその場に力なく倒れた。そこから起き上がることもなかった。


(なんだ、あれ……)


 何かはわからない。けれど、この惨状の中で、場違いにエインズの胸を熱くする何かであった。


「おっと、こんなところにまだ生き残りがいたんだねぇ」


 発光の収まった木の枝をサイアスから下げ、男はエインズに気づく。


「きみの仲間たちが次々と死んでいくこの惨状の中で、何もせず、きみは。抵抗することもなく、足掻くこともなく、憎しみを抱くこともなく、助けを呼ぶこともせず、逃げることもせず、命乞いをすることもせず、涙を流すこともせず、ただただその場にとどまり続けるきみ。ただただこの死屍累々の惨状に溶け込むようにいるきみ。きみは何かを為そうとして死んでいった彼らに恥ずかしくはないのかい?」


「……」


 揺らめく炎を背に、男はエインズに向かう足を止める。


「これだけ煽ってもきみは行動を起こさないのか」


 男は呆れたように、それでも笑って「いや、これはただの詭弁だね」と呟き、サイアスを射止めた木の枝をエインズに向ける。


「結局僕は、ただ人を殺めたいだけだから。……だけど、そうだねぇ。きみをただ殺すのは甘いねぇ。彼らには失礼だもんねぇ、何も為そうとしなかったきみと、彼らを同様に扱うのは」


 男はどこか慈しみを込めた目で辺りの屍に目をやる。

 男の右頬は、大きな傷痕が残っていた。


「あぁ、そういえば、この村には魔術という文化がなかったんだねぇ。みんな初めて見るみたいに驚いた顔して死んでいったよ」


「きみたちは生活魔法程度しか知らないんだねぇ。魔法と魔術の違いはまだ分からないだろうけど、——略式詠唱。『ライトニング』」


 サイアスの時と同じように木の枝の先端が激しく発光する。

 木の枝から青白い光線が放出され、それはエインズに向かってくる。

 しかし、狙いを元々エインズに設定していなかったのか、エインズの身体を大きく逸れ、家の上部にあたる。木の砕ける音が鳴り、玄関から家全体の崩壊が始まっていく。


 エインズは上を見上げ、ただただ自分に崩れ落ちてくる梁や柱を眺める。

 危険だということは理解している。しかし、体が動こうとしない。脳が指示を出さない。

 ガシャン!

 崩壊した瓦礫に完全に埋まってしまった。

 左脚の膝上に大きな柱、右肩から右手にかけて大小さまざまな瓦礫が覆いかぶさる。


「これはねぇ、雷の攻撃魔法だよ。何も成そうとしなかった自分を悔やみながら時間をかけてくたばるといいよぉ。村の仲間全員に懺悔する時間は優にあるとおもうからぁ」


 男は口元を抑えながらくつくつと笑う。

 エインズの身体にのしかかる瓦礫に炎が纏う。

 左脚を焼き切るように柱が赤々と燃える。右腕は既に感覚が無くなっていた。腕の肉はおろか、骨すら残っていないのかもしれないとエインズは思った。


「……ぁ、ぁ」


 熱い。

 右腕全体に覆っている瓦礫に纏う炎は威力を増すばかり。顔間近ということもあり、右目を酷く眩しく熱く痛みが襲う。

 瞼を閉じていても、皮一枚程度関係ないと言わんばかり炎が燃える。


 エインズはここで自分の死を覚悟した。

 しかし涙は流れなかった。

 恐怖はなかった。

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