第5話 受け継がれる意志 ⑤
「おふろ、ありがとうございました」
女の子が髪を拭きながら風呂から出てくる。愛想はあまりないが、幼さの残るかわいらしい子だった。一方の男は。お、割とイケメンだ。髭を剃ると、端正な顔つきがくっきりとし、なかなかの男前だった。
「二人とも、きれいになったね」
「はは、俺ら、ひどかったですね」
「うん。正直、臭かったよ」
伊藤があっけらかんと言い放つと、横で浅見がすごい剣幕で睨んでくる。そこに原田がやって来る。
「そうだ。伊藤二曹、思ってても直接言う奴があるか」
「今は変なにおいしないから大丈夫ですよ」
「司令、二曹。二人とも、フォローになっていませんよ」
浅見が溜め息をつきながら突っ込んでいる。原田も一年半ぶりの来客に関心が高いようだ。思えばこの司令、残された幹部の中で、よく重圧に耐え、駐屯地司令を務めている。本来、この駐屯地司令は一等陸佐が務めていたところ、幹部が軒並みやられたことで、三尉でしかなった原田が務めることとなったのだ。下士官の伊藤と三階級しか違わない。
「ところで、君らはどこからきたんだ?」
「新都です」
沖村が答える。おい、新都って。都心部じゃないか。ここからどれだけ離れてるんだよ。
「ちょっと、新都って百五十キロ以上あるでしょ!」
「ええ。一年かかりましたね」
常識の範疇を超えている。一年もカラスの襲撃の危険がある地上で暮らしながら、百五十キロも歩いてくるなんて。しかもこんな女の子を連れて。無事だったのが奇跡に等しい。
「外はどんなだった。頼む、情報がほしい」
原田が頭を下げる。そう、それだ。他の駐屯地とも連絡がとれず、外の状況は何もわからないのだ。たまに無線が聞こえると、かじりついて連絡をとるが、断片的なことしかわからない。無線が生きていることで、佐伯以外にも隊員が活動しているとわかるだけでも救いだったが、政府機能と指揮系統が壊滅していることしかわからなかった。どれだけの人がどこにいるのか、そして物資の補給は。
要するに、情報に飢えていた。
「行政機能は生きていません。報道機関も放棄されています。俺たちが最初に避難したところは、地下鉄の駅でした。そこで、物資を集めて細々と。他の駅でも、おそらく同じような状況だと思います。公民館などは、無残なものでした」
伊藤たちは息を呑む。避難所として真っ先に活用される学校や公民館。多くの人々が集まるだろうが、避難所として機能するためには、行政職員が物資を調達したり、管理する機能があってのこと。助けが来ない中でただ人だけが集まる。これほど怖いことはないと思った。
「横山基地は生きています。ただ、三万人ほどの避難者が集まって、混乱を極めていました。結局、そこも出ていきました」
航空自衛隊横山基地。よかった。生きていた。その事実に思わず涙ぐむ。
この世界は、絶望ばかりじゃない。
しかし、三万人の避難者。佐伯では二千人でも手を焼いているのに、それだけの数を相手にすると思うとぞっとする。
「わかった。通ってきたルートとか、もう少し詳しい情報が欲しい。ちょっと来てもらえるか」
沖村が頷いて原田についていく。
「寂しいでしょうけど、あなたはちょっと待っててね」
伊藤が明菜の頭の高さまでしゃがみ、優しく声をかける。
「寂しくなんかないですよ……仇ですから」
少女は男の背中を見つめながら、無表情に答えた。
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