第2話 漂流 ⑤

 要たちは、裏手からスポーツ用品店の中に入った。地下道から出た先では、カラスが二羽追ってきたが、狭い路地や庇をうまく使い、難なく中に入ることができた。

「ふう。ようやく着いたな」

 悠人が店内で安堵する。

「途中追ってきた時はどうしようかと思った。隠れる場所があってよかった」

 アキも少し気が抜けたようだ。カラスの襲撃に怯えながら歩くのは、思った以上に神経をすり減らす。地上での長い距離の移動は初めてで緊張しただろうが、取り乱すこともせずによく頑張った。

「よし、休む前に装備を整えるぞ」

 要が座り込もうとした二人を促す。要が案内したのはバドミントンの用具売り場。要は二人にバドミントンのラケットを渡す。

「これが武器だ」

「え? これが?」

 悠人はラケットを振り回しながら、使い方に気付く。

「ああ! こうやってカラスを追い払うんですね」

「正解。奴らに触れずに追い払うのにちょうどいいだろ」

 要はニッと笑う。

「でも、こっちの方が強そう」

 明菜がテニスラケットを持ってくる。

「テニスのは強すぎるんだ。カラスはそれほど丈夫じゃない。思い切り振るだけで一撃必殺の武器になっちまう。死骸から発生するウイルスを吸ったら、こっちがゲームオーバーだ」

 要はラケットを撫でながら肩をすくめる。

「そっか。それに重いしね」

 明菜はテニスラケットを三回程振り回してから、バドミントンのラケットに持ち替える。

「次はこっちな」

 要は、アウトドア用品のところに案内する。

「登山用のものは丈夫だし、使い勝手もいい。上着や靴、カバンなんかは山のものを使った方がいい。快適さがまるで違うから、持ってるといいぞ」

「ふーん」

 アキが上着を見て手ざわりを確かめている。

「お腹も空いたし、ちょっと休みません?」

 ハルが腰を下ろして声をかける。確かに腹が減ったな。ちょうどお昼時か。

「そうだなあ。よし、メシにするか」

 要が同意すると、悠人は少しほっとした顔になる。


 ボッ。キャンプ用のシングルガスバーナーに火がつく。その上に水を張った鍋を置き、おでんパックを温める。しばらくするとぐつぐつと煮えてきた。

「おでん、よく見つけたな」

 要が顔をほころばせる。悠人は嬉しそうだ。明菜も鍋の中を時々覗いて、煮えるのを楽しみに待っている。

「キャンプ用品ってすごいんですね。こんな小さいのに火力もあるし、すごくしっかりしている」

「ああ。一つあるだけで快適度がまるで違う。これから寒くなるから、寝袋も必須だぞ」

「煮えてきたよ」

 鍋を見張ってた明菜が嬉しそうに言う。鍋が沸騰してから約五分。そろそろいいだろう。悠人がおでんパックを鍋から取り出し、別の空の鍋の中に開ける。ほかほかした具材が湯気をあげながら美味しそうに鍋に転がっていく。

「いただきまーす」

 三人で手を合わせる。久々のあったかい食べ物。味気ない保存食や菓子が続いていたため、体があったまるおでんはご馳走だった。コンビニが営業していた時のような、よく煮込まれて味が染みたものではないけど、三人にとっては充分すぎるほどのご馳走だった。

「おでん、おいしいね」

 明菜がしみじみと言う。

「アキ、覚えているか?」

「うん……。初めて食べたおでん、覚えているよ」

「あの時のおでん、美味しかったよな。施設のみんな、大丈夫かな」

 悠人が皿に盛ったおでんを見つめながら、ぼそりとつぶやく。

「みんな、どうしているだろうね」

 要は二人からそっと距離を置く。久々のあったかいおでんは、二人にとって特別なものだったようだ。施設の子か。二人ともいい子だ。一緒に行動するのは初めてだが、悠人がちょくちょく話しかけてきたおかげで、この半年間、二人のことはよく見てきている。優しくまっすぐに育っているよ。施設の先生方、きっと誇りに思っていただろうな。二人の思い出の邪魔をしないよう、黙々とおでんを食べる。

 二人の育った施設が今、どうなっているか、容易に想像はつく。二人もそれ以上は触れないところを見ると、おそらく想像はついているのだろう。口にしないことで、わずかな願いを繋いでいるのだろう。


「ああ、美味しかった」

 三人でおでんを二パック。少し贅沢な食事だったが、これから厳しくなることを思えば、これくらいの贅沢は許されるだろう。片付けが終わると、悠人が要に声をかける。

「沖村さん、この先のことを考えると、聞いておきたいことがあります。カラスから身を守る上で、ウイルスが一番やっかいだと思います。カラスにやられた人に近づくのって大丈夫なんでしょうか」

「ん? ああ。多分大丈夫だ。カラスの死体には絶対に近づいちゃいけないが、人の死体はそこまで恐れなくてもいい。近づいただけじゃ死にはしない」

「え。大丈夫なの? 空気感染とかするって話じゃ」

「それはカラスの死骸の場合だな。仕組みはよくわからんが、感染した人が死ぬと、ウイルスは役目を果たして死滅するかもって話だ」

「……せめてもの救いですね」

「ああ。でないととっくに人類は滅びていたかもしれん。今のところわかっている感染ルートは二つ。カラスの攻撃による傷口からの感染と、カラスの死骸からの空気感染だ。この空気感染が一番やばい。ウイルスを肺に吸い込むと即死だ。カラスを攻撃できない、一番の理由がこれだ」

 悠人はごくりと息を呑む。

「生きている感染者からうつることはあるんですか」

「正直、よくわかっていない。生きている感染者に会うこと自体が少ないからな。感染ルートを考えると、傷が共通していると思うから、血に触るのはやめておいた方がいいだろう」

「……怖いですね」

「ただ、感染者に触れたくらいじゃ感染しないのは、はっきり言えるな」

「どうしてわかるの?」

「俺が生きているからだ」

 要は明菜の問いに答える。

「物資隊で、どれだけの者がやられたかわかっているだろう。傷を負った仲間を担いだり、最期を看取ったこともある。その俺は、こうやって未だにのこのこ生きている」

「そんなこと言わないでください! すみません、辛いことを」

「大事なことだ。気にするな」

 力なく笑いながら、要は悠人の頭をわしゃわしゃとした。

「てことは、触っただけじゃうつらないんだね」

「ああ。感染してから発症するまではだいたい半日。俺が感染者に触ってから数日たっているから、間違いなく大丈夫だ」

「発症したらどうなるんですか?」

 悠人は神妙な面持ちで尋ねる。

「高熱にうなされることになる。まともに動くこともできない。そこから一日保てばいい方だ」

 要は、数日前に感染した仲間を思い出す。息も絶え絶えになり、次第に意識がなくなっていった仲間。そのまま眠るように動かなくなっていった。避難所で数少ない、気の許せる奴だった。罠に嵌められて窮地に立たされた時、傷ついた仲間を救えなかった。自分の無力さを痛感したが、あの時のことを思うと怒りがこみあげてくる。

 二人の顔が強張ったまま、要を見つめている。気が付くと、拳を強く握りしめていた。きっと怖い顔をしていたのだろう。怖がらせてしまったか。しかし、これだけは言っておかなければならない。

「二人には言っておきたい。この世界で気をつけなければならないのは、カラスだけじゃない。カラスより、もっと注意しなければいけないのは――」

 少年たちは息を呑む。要が外を見ながら告げる。

「人間だ」

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