空の消えたまち、太陽の拠り所

神楽むすび

第1話 空の消えたまち ①

 荒れ果てた都市。歩く人影は見えない。

 数か月前までは、首都と呼ばれていたこの街も、人がいなければこれほどまでにと思えるほど、恐ろしいほどの静けさを湛えていた。使われることのなくなったビルは、色あせて亀裂が所々に顔を出しており、風化が進むのが早い。時折、ビルの隙間から強く吹く風の音が、荒涼感を際立たせている。風が吹く度に空き缶の転がる金属音が鳴り響くが、片付ける者がいないその缶は、風の当たらないところまで転がり続けるだろう。

 そんな静けさの中で、ぼそぼそと話す声がするのはいつ以来のことだったか。

「アキ、こっちは大丈夫だ」

 地下道の入口で、二つの小さな頭が揺れ動く。地下道にこもって半年。久々に見た太陽の光は、思いのほか眩しく、少年は目を細める。風が運んでくる地上の澄んだ空気を吸うと、地下の空気がいかに澱んでいるのかを実感する。

「ハル! 頭出すと危ないから」

「しっ! ちょっと声を落として」

 悠人はるとに声の大きさを注意された明菜あきなは、しまったという顔をしながらも、不服そうな表情を少年に向ける。「最初に危ない行動をしたのはお兄ちゃんでしょ」と、声に出さずにくりっとした目が訴えている。

「悪かったよ。俺も気をつけるから」

 ひそひそした小声で素直に謝ると、明菜も少し表情を和らげる。

「ほんとに気をつけてよ。ハルの方が危ないんだからね」

「ああ、わかってる。女の子は狙われにくいんだよな」

「まあ、あたしをいつまで女の子と見てくれるかなんだけどね……」

「アキは小柄から大丈夫だよ。中学生にも見えるくら……」

 悠人は言いかけてやべっと思う。案の定、中学生と言われたアキは、不満げにむくれている。十六歳になっても小柄なアキは、ゆっくりとしか成長しない体を気にしているのだった。黒髪のショートボブのおかげで、余計幼く見えるのは言わないでおくけど。

 明菜と二歳しか違わない悠人は、中肉中背ではあるが適度についた筋肉のおかげでがっちりと見える。やや彫りの深い顔は年齢よりも老けて見られることが多いため、幼く見えるアキは、少しばかり羨ましいのだけど。身長のことを言われたアキは、先ほど声の大きさを注意されたばかりなので声には出さないけど、無言で向けてくる非難の視線が痛い。

 話題を変えよう。

「ところで。こっちの方って、誰か確認したことあるのかな」

「うーん。出てすぐのところにコンビニがあるって言ってたっけ」

 コンビニか。アキの答えにちょっとがっかりする。真っ先に人が探しそうなコンビニは、お目当てのものを期待しにくい。

「コンビニかあ。食べ物は残ってないかもな。せめてタオルとかでもあるといいんだけど」

「まあ、フツー食べ物探すならまずコンビニ行くからね」

「だよなあ。出口の近くなら余計行くよなあ。すでに荒らされてそう」

「期待できないねえ」

 兄妹は、顔を見合わせて「はぁ」と溜め息をつく。


 悠人たちは、地下道の階段を慎重に上がっていく。今のところ奴らの音は聞こえないが、油断はできない。周囲を注意深く観察しながら階段を上ると、立ち上るビル群と、ところどころに点在する木々が、やけに眩しく映る。過去のものとなっていた地上の風景。この地に人が溢れて辟易していた頃を思い出して、なぜか辛くなる。もう、あんな日は来ないのだろうか。横目で妹を見ると、どこか愁いを帯びたような表情をしている。アキも同じように感じているのだろうか。

「ねえ、あれじゃない」

 アキが指さした先に青いコンビニの看板が見える。ほんとにすぐ近くだ。

 コンビニまでの距離は二百メートルほど。走ってすぐの距離だが、ここから先は屋根のないところを歩かなければならない。

「アキ、怖いけどゆっくり行こう」

 明菜は無言で頷く。走ればすぐに着けるが、大きな音を立てたり、急な動きをするのはまずい。目立つ動きは奴らに気付かれる可能性もあるため、なるべく危険は冒したくなかった。

 二人は忍び足でゆっくりと道を歩く。たった二百メートルの距離が、やけに長い。

 バサッ。

 遠くで羽音が聞こえた。

 明菜が悠人の袖をギュッと握る。奴らが近くにいる。音がしたところからは若干の距離があるように感じる。このまま気付かれないようにと願う。

 ゆっくりと進む、コンビニまでの六分間はやけに長く感じた。周囲を警戒しながらなんとか店の前までたどり着くと、少し緊張が緩む。気付かれずに行けた。何の気なしにドアに近づくと、久しく聞くことのなかった電子音が鳴り響く。

 ピロリロピロリロ。入口に立った瞬間、音楽が鳴って自動ドアが開く。

 静けさの中では、あまりにも大きな音だった。マズい!

 同じように危険を悟った明菜と目が合い、慌てて中に入る。扉が閉まる瞬間、バサバサバサッと荒々しく風を切る、複数の羽音が聞こえた。

「クソッ。気付かれた!」

「何なの、もう! この間抜けな音、勘弁してよ!」

 二人は店内で毒吐く。コンビニの自動ドアは、音が鳴る仕組みになっていたことを忘れていた自分たちが腹立たしい。

「中には入ってこれないと思うけど、まずいな」

 きっと奴らは出てくるまで待っているだろう。

「うん……。出てく時もあの間抜けな音、鳴るんでしょ?」

「奴らが諦めるの待ってても、あの音じゃなあ。また寄ってくる」

 自動ドアに近づかないように気をつけながら外を窺う。

「うお!」

 悠人の目の前で、カツンと固いものがぶつかる音が響く。ガラスを隔てた目の前には、黒い生き物。獲物を見つけて騒ぎ立てる、奴ら――カラスの姿だった。ドアの向こうには、真っ黒なカラスが三羽、黒い目で獲物が出てくるのを待ち構えていた。

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