地下室の女

@asakusan

地下牢の女

鏡前に来ると、いつもあの頃のことを思い出す。


 わたしはかわいい。顔が小さく、鼻がシュッとしていて、笑顔になっても唇が変なふうには歪まない。自称アイドルなんかよりずっとかわいい自覚があるけど、アイドルはやらない。だってダンスや歌には努力が必要だ、めんどい。


 私が「努力なんかしてないけどできちゃった」と言うと喜ぶ連中がいるのを知っている。そいつらは努力もしないし、できもしないけど、自分が応援してる奴が自分と同じように努力してないと思うだけで、気が楽になるらしい。


 ちょろい。


 小劇場界隈で、女優の真似事をしている。わたしは顔がかわいいし頭もいいから、ブスでバカでどんくさい田舎女たちの中ではかなり上の方にランキングされる。面白いのは小劇場界隈が男原理で動いているせいで、私がクソなめてる女優たちも私のことをちやほやしてくれることだ。


 演劇をやるのが楽しくて仕方ない。地元のスーパーでアルバイトをしていたら味わうことのできなかった愉悦がある。セリフをおぼえて諳んじるだけで客が泣いたり笑ったりする。ぜんぶウソなのに。


 オンライン演劇とかダサくてバカみたい。自分の家なんて映したくないし、スマホの前で真剣に演技するなんて恥ずかしいことやりたくない。やっぱり劇場とか客席とかそういうハッタリがないと素の自分が透けて見えてしまう気がする。そういう素の自分を丸出しにできる人は、ダサくて嫌いだ。


 私に、放っておいても売れるほどの実力がないのもわかってる。だから気に食わないことがあったらすぐに演劇をやめたい。若いうちにやめたら惜しまれる。いつやめようかな、と考えるだけで楽しい。


 その人に会ったのは、知り合いの紹介だった。


 新作の出演者を探してる作演出家だと名乗ったその人は、ダサい服、ダサい髪型、ダサいメガネ、化粧っ気もなく、唇を歪めて笑う。だけど、最近注目されてきてる。紹介してくれた男は、いま出ておけば得をするとかなんとか。だからわたしは得意の笑顔で彼女を見つめる。うすぐらい喫茶店の灯りに照らされて、私の顔はきっととてもかわいい。


「す、すてきな笑顔、ですね、紹介してもらって、よ、よかったなあ」


 目を伏せた彼女を覗き込むように私は追い打ちをかけた。


「そうなんですか?自分の表情なんて考えたことないです」


 これは本当だ。私は鏡の前で練習なんてしなくても、子供の頃から人を魅了する笑顔を作れた。心の底とはなんの関係もなく、その笑顔を見ると誰もが私の言うことを聞いた。あんたがきっと、一生味わうことのできないような、幸せを何度も経験した。


 わかってるわかってる、自分に自信がないから私みたいなかわいい女優に自分の役を演じてほしいんでしょう。あんたの代わりに舞台に立ってあげる、あんたの代わりに褒められてあげる、あんたの代わりにみんなの記憶に残ってあげる。醜いあんたの書いた言葉をかわいい私がおぼえて話せば、あんたはもう用済みなんだから。


「きゃ、脚本読んでいただけました?」

「ええ、もちろん。ステキなお話でした」

「そうですか。ど、どの役をやりたいとか、やりたくないとか、ありますか?」

「そうですね、主人公の妹なんて、よくあてられる役かなって思いますけど、やってみたいのは向かいの家に住んでる義理の姉ですね、悪役って興味があります」

「ああ、そうですか。でも私は地下牢の女が合うと思いますね」

「は?」

「あの、地下牢の女です、劇中劇の」


 その脚本は奇妙な構成だった。主となる話は向かい合わせの家に住む、ふたつの美しい家族について。世間や、子供のクラスメイトたちは、不倫や、いじめ、アルバイトや家族の問題を抱えているが、そのふたつの家族はどこまでも美しい。ただひとつ、主人公の向かいの家に住む義理姉だけが、その美しさに疑問を持つ。やがて義理姉は世間と関わりを持ち、穢れをその家に持ち込み、やがてふたつの家庭は崩壊していく。


 その話の主人公の妹が読書感想文を書くために読んでいる本の中に出てくるのが、地下牢の女だ。家の外の出来事は、すべてが伝聞で描かれるくせに、地下牢の女だけは舞台に出てきて、奇怪な振る舞いをする。


「でも、ト書きには、醜い女って書いてありましたよね」


 私はつとめて平静を装いながら聞いた。すると彼女は屈託のない笑顔で私の目を見て言った。


「ええ、ぴったりだと思うんです、お客さんはきっとびっくりしますね。わたしあなたをお客さん全員から嫌われるように演出する自信があります、ていうか特に何もする必要はないんですけど。私あなたが出てる舞台見たことあるんです、すごく印象的でした、何もしてなくて。ああいう存在感て無自覚であればあるほどホラーだと思うんですよね。ずっと困ってたんです、顔がきれいな人って心もきれいだったりするじゃないですか。でも私がほしいのはそうじゃなくて、本当に女優しか出来ないって感じの人に演じてほしくて」


 最後の方は頭がぼうっと熱くなって聞き取れなかった。私は震える手で伝票を掴み、ひったくるように上着を掴むと、レジへ向かって歩き出した。


「やりたくないんですね、地下牢の女」


 席から声がする。返事なんかするものか、なんて失礼な奴。紹介した人になんて言おう、あることないこと言って貶めてやろうか。いや、言われた通りのことを言えばいい、なんて言われたっけ?


 自分の分だけ払って喫茶店を出た。


 大通り沿いの並木道は雨が降ったのか湿気ていて、所々に水たまりがある。水たまりを踏まないように歩いて駅へ向かう。


 かつて、いちどだけ、舞台の作演出をやったことがある。酒の席でおだてられて調子に乗って、金は出してやるとかなんとか言われて軽い気持ちで手を出した。客席は満員だったし、評判も悪くはなかった。だけど、思ったようにはうまくはできなかった。次の機会もなかった。なにより、私自身が自分の限界に気づいてしまっていた。


 私には存在感がある。私には存在感しかない。


 私は誰の望む姿にもなれる。私は誰も望む姿にしてあげられない。


 背後から、声がする。あの女が私を追いかけながら話しかけてくる。振り向いてやるものか、ぜったいに。


「な、なにか気に障ったらすみません、わたし、うまくひ、人と話せなくて。失礼があったのかなと思うのですけど、地下牢の女、やってもらえないなら自分でやろうかなって、でもそれってなんか、ちょっと面白くなっちゃうじゃないですか」


 意味がわからない、なんの話?


「きれいな人がやることに意味があると思うんですよね、すごくかわいくて、笑顔がすてきで、なんで自分が舞台に立ってるのかまったくわかってない感じの人が」


 思わず立ち止まり、振り向いた。


「だからそれ、私じゃなきゃだめな理由、あります?」

「お、怒った顔も、すてきですね」



 もうすぐ、本番が始まる。わたしは白いぼろぼろのワンピースを着て、鏡前で髪をボサボサにしている。なんで自分がここにいるのか、未だにわからない。


 この公演が開けたら、初演から十年が経ったことになる。私はずっと地下牢の女だ。捕らえられたまま、ずっと地下室にいる。あれからたくさんの舞台に出たし、オンライン演劇にも出た。映画やテレビにも呼ばれて、どの現場でも地下牢の女を絶賛された。演じることの意味も、演劇とは何なのかも、シェイクスピアもスタニスラフスキーも全部あの人に叩き込まれたけど、地下牢の女として鏡前に来ると、全部忘れてあの頃の自分に戻る。


 おぼえたセリフをただ諳んじるだけで、観客は泣いたり笑ったりする。


 ちょろい。


 開幕のベルが鳴る。私の出番は20分後、それまでは鏡前であの頃を思い出していよう。あの人に言われた言葉、なんて言われたっけ?


 思い出せないけど、ほんとひどい言葉。


 私は微笑んで、唇の端をかすかに歪めた。

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