第五章

第42話

『ママ! おはよ!! ママ、おはよ!!』


 ベッドの上で、小さな竜はいきなり私の顔に飛びついた。

 小さな後肢あんよと、前肢おててで私の顔を挟み込むと、柔らかなお腹を顔面に押し付ける。極めつけは、ベロベロとおでこを舌でなめ回してきた。


『あらあら。朝からお熱いわね』

『あははは。僕たちほどじゃないさ』


 窓の外の木に止まった雀が、ピーチクパーチクと騒いでいる。


 えっと……。私ってば朝から何をされているのだろう。

 竜にママと言われるわ、舐められるわ、雀には皮肉を言われるわ、最悪なんだけど。


 一応私って世界を救った英雄なんだよね。

 この仕打ちはないんじゃない?

 火あぶりよりはマシかもしれないけど。


 私はスライムみたいに貼り付いた小竜を、無理矢理引き剥がす。

 小竜と侮るなかれ、とんでもない力だ。

 おかげで、うっかり顔の肌が持って行かれるところだった。


「ぷはっ! 死ぬかと思った! ちょっと君ぃ!! 一体、何なの! いきなりレディのベッドの中に入って。いーい、男女7歳にして同衾せずって言葉があってね」


 ん? でも、この場合、15歳の私の方に責任があるのかしら。

 どう見ても小竜は7歳以上に見えないしね。

 いや、そもそもこの諺ってあってるのかしら。


 ともかく小竜を叱ったわけだけど……。


『ママ~。ママ~』


 可愛い姿とは裏腹に鋭い牙を見せて、小竜はにこやかに笑う。

 爪が付いた手足をパタパタと動かし、尻尾をプラプラと振った。


「か――――」



 かわいい!!



 こうやってマジマジと見ると、可愛いじゃない。

 確かに獣っぽいところもあって気を付けなければならないけど、大きくて黒目の多い瞳とか愛嬌があっていいし。この小さな手とか足とかめっちゃ可愛い。


 何よりさっきから聞こえる『ママ~』っていうのが、母性をくすぐるというか。


 平たく言うと、やっぱりかわいい……。


 私はそっと小竜に自分の胸に引き寄せる。

 よしよし、と頭を撫でてやると、小竜は嬉しそうに目を細めた。


「はあ……。自分に子どもができた時ってこういう感じなのかしら。それも悪く――――」


 悪いわよ、落ち着け私――――!!


 目の前にいるのは、スモールサイズの竜なのよ。

 なのに、和んでどうするのよ。

 可愛いのは100歩譲っても、保護者として受け入れてどうするのよ。


 それにしても、もしかしてこれって私が育てる流れなのかしら?

 竜なんて何を食べるの?

 肉? 魚?


 すると、小竜は私の胸を叩く。

 催促でもするかのように、ど真ん中を射貫いていた。


 いやいやいやいや……。

 それはダメダメだって。


 まあ、こういう時は我が参謀に聞くしかないわね。


「ムルン、いるんでしょ? 見てないでこの状況を教えてよ」


『やれやれ。ボクのことを忘れていたのかと思ったよ』


 突如、部屋の中に小さな白い鳥が現れる。

 サイズは鳩ぐらいでも、どっちかというと白鳥のような気品を感じる。

 ムルンを携帯する時の姿だろう。

 大きな姿は魔力を使うし、何よりこっちの方がかわいい。


『おはよ、ミレニア。いつか起きるだろうと思ったけど、目を覚まして良かったよ』


「え? 私、どれぐらい寝ていたの?」


『心配しなくても、9時間程度だ。健康的な睡眠時間だね』


「な~んだ」


 意識を失うぐらい寝るぐらいなら、もうちょっと寝ていたかったわ。


 でも、外を見ると朝みたいだし。

 夕方から夜まで戦闘があったことを考えると、9時間というのは打倒か。

 なんだかんだとありながら、結局私はいつも通りの時間に寝て、起きただけなのだ。

 うん。やっぱりなんか損した気分だわ。


 あれ? それにしても、戦闘?


「あ!! 厄災竜ジャガーノートは!!」


『やっとその話になるのかい? さすがに気付くの遅いという、もはやわざとやってないかいと疑いたくなるレベルなんだけど』


 ムルンは私を半目で睨む。

 そんな顔をしなくてもいいじゃない。

 起きたてで頭が回っていないんだから。


「それで厄災竜ジャガーノートはどうなったの?」


『君の胸の中にいるのが、そう――――なはずだ』


「え゛え゛!!」


 うっすらとだけど、そういう予感はしてた。

 そもそも私の周りに、竜の知り合いはさほど多くない。

 というか、約1匹を除いていないのだ。


「やっぱりこの子が厄災竜ジャガーノートなの?」


 私は視線を落とす。

 いつの間にか私の胸に貼り付いたままスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。

 竜という姿を除けば、本当に赤ん坊みたいだ。

 まあ、その竜の姿を除いてしまうと、全部消滅してしまうのだけど。


『ボクはそう結論づけているだけだ。むしろ君の方が詳しいと思うのだけど』


 私が厄災竜ジャガーノートを対話した後、光の玉を抱えたまま意識を失ったという。

 そして、その光の玉から生まれたのが、この小竜なのだそうだ。


 小竜は生誕してから今まで、私のことを『ママ』と呼び続けているらしい。


『何か心当たりはないの?』


「いや、まあ…………」


 あるにはあるのよね。

 厄災竜ジャガーノートの意識に触れた時、私は赤ん坊のようだと思った。

 実際、厄災竜ジャガーノートは自分の役目以外、何も知らない生物だった。自分が世界を壊し、人を殺し、命を奪っていることへの罪悪感を感じながら、それが何かすらわからなかった。

 ただ自分が罪を犯し、それに対して復讐されることだけは、過去の人間の行動を見て、学んでいるように見えた。


 でも、だからと言ってこんな小さな竜になるなんて。

 しかも、受ける感じから自分が厄災竜ジャガーノートだって忘れてそうだし。


『なるほどね。――で、どうするの?』


「どうするって言われても……」


 このまま放置するわけにはいかないよね。

 そもそも宿舎って、竜を飼っていいのかしら。

 使い魔がいいのだから問題はないと思うんだけど、さすがに厄災竜を飼うのは……。


「アーベル……あ、いや、総帥代行ゼクレアに聞いてみるわ」


 気が重いけどね。

 ゼクレア師団長って、頭が硬そうだし。

 「小竜を宿舎で飼っていいですか?」って質問した時のゼクレアの顔が目に浮かぶようだわ。


 これ幸いなのは、みんなが私よりも先に小竜のことを知っていることね。

 ある程度説明を省けるのは助かるわ。


『じゃあ、まずはひと仕事しようか、ミレニア』


「何? 私、これでも疲れてるんだけど」


『心配しなくても今日いっぱいは、医療従事者以外、師団には全休言い渡されてるよ。瓦礫の撤去も明日からだってさ。それよりも、ミレニア。君はその小竜の「ママ」になったんだった。まずやらなくちゃいけないことがあるだろう』


「ミルクでも作るの?」


『もう抜けてるなあ……。しっかりしてよ、〝ママ〟』


 その〝ママ〟っていうの、地味に傷付くからやめてくれないかな。

 私、一応15歳なんだけど……。


『名付けだよ。名前は必要だろ。厄災竜ジャガーノートって大げさな姿でもないしね』

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