第40話

 厄災竜ジャガーノートに触れた時、私が最初に思ったのは、自分と似ているということだった。


 世界を滅ぼすことを使命づけられた厄災竜ジャガーノート

 世界を救済することを使命づけられた聖女わたし


 対極に位置にある私たちだけど、その使命に縛られ、人生を滅茶苦茶にされたという点では一緒だ。

 そして、その最期ですら似ている。

 人から疎まれ、攻撃され、やがて終焉おわりに至る。


 私は転生者で、厄災竜ジャガーノートは不死。

 人生を繰り返す者と、人生を続ける者という点でも私たちはとても似通っていた。


 厄災竜かれに同調するのは、簡単なことだった。

 何故なら目の前にいたのは、結局私なのだから。

 私は厄災竜かれの声を聞く。


『助けて……』


 1本の生糸のようなか細い声に集中する。

 さらに私は語りかけた。


「今、助けるわ。だから、私の手に捕まって」


 私は手を伸ばす。

 声の聞こえる方に目一杯、力の限り。

 でも、聞こえてきたのは、否定の声だった。


『助けてほしい……。でも、怖い』


「怖い?」


『ぼくは厄災竜ジャガーノート……。いくつもの世界を壊してきた、何千億人という人を殺してきた、何兆という命を奪ってきた』


「何が怖いの?」


『だから、怖いんじゃないか。いつか何兆という命がぼくの命を奪いにやってきて、何千億という人がぼくを殺しに来て、世界そのものがぼくを壊しにやってくるかもしれない。それがぼくが怖い』


 なるほど。

 厄災竜ジャガーノートは知っている。

 世界の終焉を担う役目がありながら、世界の美しさと、人の愛しさと、命の尊さを知っている。

 だったら何故? と思うかもだけど、それが彼が負わされた役目であるなら仕方ない。

 問題は厄災竜ジャガーノートを作った存在だ。


 世界の終焉なんて役目を与えて置きながら、同時に命を奪うことの罪悪感も与えた。

 人間なら気が触れる。

 それを厄災竜ジャガーノートは、人格を切り離して回避した。

 自分が思っていたよりも、厄災竜は傷付いている。


 厄災竜ジャガーノートもまた被害者なのだ。


 今ここで誰もあなたを憎んでいない、誰もあなたに仕返しをしたりしない、あるいは私が守って上げるといっても、絵空事で空虚でしかない。

 厄災竜ジャガーノートを憎んでいる人も、復讐したいと思っている人は、きっとごまんといる。そんな人たちを止めるほど、私は万能ではない。


 そしてこれは私の推測だけど、厄災竜ジャガーノートが怖いと言っているのは、復讐されることじゃない。おそらく生き延びても、また人を殺してしまうことに本能的に怯えているようにも見える。


 今ここで打開策は私にはない。


 だからひたすら私は厄災竜ジャガーノートに語りかけた。


厄災竜ジャガーノート、聞いて……」


 語り出したのは、自分のことだった。

 厄災竜ジャガーノートは、ムルンやアーベルさんとは違って、まだ私の心の外にいる。

 今は、自分の言葉を以て、自分のことを喋るしかない。


 転生者として、世界を救うことになったこと。

 聖女として、周りからもてはやされたこと。

 厄災竜ジャガーノートや魔王と言われるものと戦ったこと。

 世界を救いながら、私は結局人間に処刑されてしまったこと。


 普段、あまり人に言いたくないことも、厄災竜ジャガーノートの前なら話せた。


 何故なら、目の前に闇の奥にいるのは、私自身だからだ。

 こういうのもなんだけど、何だか親近感が湧いてきてしまった。

 確かに厄災竜ジャガーノートがやったことは許せないことよ。

 でも、厄災竜かれが自主的にやったことならまだしも、誰かにそう仕向けられたなら話は少し違ってくる。


『君は、何故人間といるの?』


「また処刑されるかもしれないから? 確かにそうね。世捨て人みたいになって、山にでも引きこもって生活した方がよっぽど有意義だったかもね。でも、そんなことは最初から無理だったわ」


『それは何故?』


「家族がいたから。特にライザお姉ちゃんね。あなたが言うようになるべく人と関わりを待たないようにしていたけど、無理だった。ライザお姉ちゃんは可愛げのない妹を、自分の〝妹〟だっていう理由だけで、命を張ろうとした。さして仲が良かったわけじゃないのに……。それを見たらね。こりゃ無理だって思ったのよ。どんなに自分が遠くへ行こうとしても、手を繋ぎ求めてくる人がいる。……今の私とあなたのようにね」

 

 私は声の方向に向かって、手を差し出す。


厄災竜ジャガーノート、私と友達になってよ」


『ぼくと? 友達?』


「友達でも、家族でも、隣人だっていいわ。……私はあなたの側にいたい」


『何故? ぼくは厄災竜ジャガーノートだよ。終末の竜だよ』


「悪いけど、それを言葉にできるほど私は賢くないの。……ただあなたともっともっと話していたい。こんな戦場のど真ん中じゃなくて、朝食を食べながらとか、昼休みの休憩とか、訓練の合間とか、お休みの日部屋の中で1日中――は言い過ぎかしら。……ともかく私はあなたに興味がある。そうね。もっと簡略化していうと――――」



 あなたのことが好きだってことよ。



 厄災竜ジャガーノートが反応する。

 今まで帳のような真っ暗な闇が、徐々に晴れて、雲の中にいるようなぼんやりとした明るさになっていく。

 ずっと井戸の底の水に浸かっていたような冷たさは消え、周囲にたゆたっていた殺意や怒気も霧散していた。


『ぼくが好き? 本気で言ってるの、それ?』


「勿論!」


『でも、ぼくは――――』


「怖いなら無理やり出てこなくていい。あなたが傷付くようなことは私も望んでない。けど、あなたがこの手を取ってそこから出たいなら、私は全力であなたを守る」


 私は銅鑼を叩くように自分の胸を叩いて、さらに続けた。


「確かにあなたがやったことで、多くの人があなたを恨んでるでしょう。でも、今あなたの周りを囲んでいる人たちは違う」


『どうして言い切れるの?』


「優しくて、良い人たちばかりなの。でも、これはあくまで私の感想……。あなたが出す答えじゃない。そもそも私もわからないの。この世界の人が、みんな何故優しいのか? だから、一緒に答えを見つけない?」


 わからない者同士……。

 世界の命運をかけた者同士……。


『騙されるな!!』


 白く晴れていく空間の中で、大音声がこだまする。

 誰と聞かなくてもわかった。

 擬態側の声。つまり、純粋に厄災竜ジャガーノートとしての役目を担う側の声だ。


 今の私にはわかる。

 本体側が震えていること、怯えていることがわかった。


『そいつはお前をそこから引きずりだして、首を刎ねるつもりだ。騙されるな』


「そんなことしないわ」


『嘘だ!』


「嘘じゃないわ。――――ていうか、あなたもいい加減、今の自分に嘘を吐くのをやめたらどう?」


『我が嘘を吐くだと……』


「いーい! 心なんて簡単に切り離せるものじゃないの。あなたは世界の終焉を告げる役目を担う厄災竜ジャガーノートで、それを悲しむのも厄災竜ジャガーノートなの!!」


『我は悲しんでいるなど……』


「じゃあ、なんであなたは私と出会った時に、私に何故泣いているかヽヽヽヽヽヽヽヽを尋ねたの?」


 確かに厄災竜ジャガーノートは私に言った。

 何故、泣いているのか?

 そんなこと彼にとってどうでもいいはずなのに。

 彼はこれまで人間を絶望の底に落としてきた。

 泣き顔など、いくらでも見てきたはずだ。


 じゃあ、何故問うたのか?


「あの時、私だけじゃなく、あなたもまた泣いていた……。だから、その意味を知りたくて厄災竜ジャガーノート……私に質問したんじゃないの?」


 厄災竜ジャガーノートは赤ん坊みたいなものなのかもしれない。

 誰かに気付いてほしくて、必死に叫びながら、心のどこかで常に問いかけている。

 厄災竜かれらにとって必要なのは、それを一緒になって考えてくれる親や家族なのかもしれない。


 擬態の気配が徐々に弱まっていく。

 ピンと張り詰めた空気が緩むと同時に、目の前が晴れていった。

 現れたのは、あの球根形の本体だ。

 その外殻が1枚、また1枚と剥がれていく。


『いいのか、聖女』『ぼくたちは厄災竜ジャガーノート』『世界の終焉を告げる邪竜』


「あなたたちが邪竜かどうかはともかくとして、命にも限りがあるように、世界にだって終わりがある。永遠にあるものなどない。それを教えてくれるだけでも、あなたたちは貴重な存在じゃないかしら。それに人間は過ちを犯すものよ。取り返しの付かないことをした時、思いっきり叱り付ける存在も必要だわ」


『ふん。聖女とは随分剛胆だな』


「懐が深いって言ってよ。まあ、私はもう聖女じゃないんだけどね」


 いや、聖女であった私なら厄災竜ジャガーノートを払っていたかもしれない。

 事実、私はこの厄災竜ジャガーノートと以前戦っている。

 竜を滅することを、前世の私は疑問に思わなかった。

 それが私の役目だからだ。


 厄災竜ジャガーノートを受け入れたい。


 こんな気持ちになれたのも、きっと今世で私に関わった人たちのおかげね。


「わかった? 殻に閉じこもる必要もない。心を分かつ必要もない。厄災竜じぶんを閉じ込めたり、厄災竜じぶんを切り貼りする行為は結局、厄災竜じぶんを傷付けるだけよ。心の健康によくないわよ。それよりも、私と楽しいことをしましょう!」


『楽しいこと? それはなんだ?』


「友達と一緒に仕事をして、一緒にご飯を食べて、一緒に遊ぶことよ」


 私はもう1度、球根形の本体に手を差し出す。

 すでに球根は剥ききり、中の本体が露出していた。

 そこに眠っていたのは、あの厄災の竜とは思えない小さな小さな竜だった。


 竜は翼を広げて、ゆっくりと飛び立つ。

 パタパタと羽を動かし、私の手を取るのではなく、その手の平に降り立った。


「よろしくね、厄災竜ジャガーノート


『よ、よろしく』


 ちょっと照れくさそうに厄災竜ジャガーノートは初めて挨拶するのだった。

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