家なき子と魔女の魔法

星野 ラベンダー

第1話

 青天の霹靂、という言葉を聞いたことがあるが、今まさに美穂はそういう状況に置かれていた。


「どうかしたの? 固まっちゃって」


 鰯雲の浮かぶ、橙の天高い空を背後にして。ふわふわと宙に浮く箒に腰掛けた女性は、不思議そうに首を傾げた。女性は、黒いとんがり帽子を被り、黒いローブを羽織っていた。


 どうしてもこうしてもないと、頭の中の冷静な一部分が言っている。


 町外れにある滅多に人の寄りつかないこの森は、美穂のお気に入りの場所だった。


 こぢんまりとした花畑や小さな川があって、静かすぎず騒がしすぎない雰囲気が気に入っていた。特に背の高い木があり、その木にある大きなうろの中にスケッチブックやクレヨンなどの画材道具や好きな本を隠してあって、いつもそれで遊んで過ごしていた。


 今日もお絵描きをしたり本を読んだりして過ごしていたら、突然自分は魔女だと名乗るこの女性が現れたのだ。驚くなというほうが無理な話だったが、体のどこもかしこもが固まっているせいで、口に出して訴えることができなかった。


「やっぱり、いきなり話しかけたのがまずかったんじゃないですかね?」


 魔女の顔のすぐ傍で羽ばたくカラスが、人の言葉を紡いだ。男性の声だった。


「全然動かないねえ、この人間……。まさか目を開けたまま寝ちゃった?」


 箒の柄の先に座る黒猫が、やたらのんびりした口調で話した。こちらは少年の声だった。美穂と同じくらいの、十一歳の男子に近い声の高さだったので、恐らくそれくらいの年齢なのだろう。


「アメリのこと、不審者か何かだと思っているんじゃないですか?」


 カラスに“アメリ”と言われたその女性は、困ったように菫色の瞳を細めた。緩くウェーブのかかった、腰まである長い黒髪を指でいじりながら「そうねえ」と零す。


 おもむろに、髪先をいじっていた指をぱちんと鳴らした。その瞬間、辺りをはらりはらりと舞い落ちていた赤や黄色に色づいた葉っぱが、突然全て動きを止めた。


 かと思うと、一斉にアメリが鳴らした指先まで一直線に向かって飛んでいき、一塊になる。直後、まるで花火のようにして、一つの塊になっていた葉っぱがぱっと弾け飛んだ。


 一連の動きを呆然と眺めていた美穂に、アメリは箒の上から微笑みかけた。


「信じてくれたかしら?」

「……うそ……」

「嘘じゃないわよ。私は魔女。人間の願いを、素敵な魔法で叶えるために来たの」


 アメリは少しだけ前のめりになった。宝石のような紫の瞳が、じっと美穂を見つめる。


「お嬢さんに何か願いがあるようだから、私は現れたのよ」

「えっ」


 美穂は、アメリを初めて見た衝撃のときとは違う理由で固まった。どうしてそれを、と。


 口には出さなかったが、顔に出ていたのだろう。アメリは片目を瞑り、人差し指を立てた。


「魔女はなんでもお見通しなのよ。……それでどうかしら、人間のお嬢さん。あなたさけ良ければ、話を聞かせてくれない?」


 美穂は俯き、視線をさ迷わせた。どうしよう、と迷う。怪しいと感じるし、正直に言って怖いという気持ちも若干ある。


 しかしそれとは別に、今ここで嫌だと断ったら、この魔女は二度と自分の前に現れてくれないだろうという確信もあった。そうなったら、自分の“願い”は、どうなるのか。


 美穂はアメリを見上げ、ゆっくりと頷いた。すると、アメリの乗る箒の硬度が、見る間に下がってきた。


「とりあえず、私の家まで行きましょう。後ろに乗ってちょうだい」


 促されるまま、美穂は箒に近づいた。おずおずと箒に跨がった瞬間、同じように箒に跨がり直していたアメリが、両足で地面を蹴った。


 刹那、下から強い風が湧き起こった。箒は、まるで打ち上げられるように、宙へと浮かび上がった。一気に顔にかかった風に、美穂は思わず目を瞑った。次に目を開けたとき、その先に広がっていた光景に、言葉を失った。


 眼下に広がる紅葉の森。普段見るよりもずっと近い空。心なしか、夕暮れの色が更に澄んだものに映る。木よりも高い場所から見える景色が、こんなものだったなんて。


 地平線をはっきりとこの目で見たのも初めてのことだった。強い風が吹いているが、不思議とその寒さは全く気にならなかった。西に沈んでいこうとしている太陽の光が、とても眩しかった。


 衝撃を受けすぎて、景色を楽しむ余裕など無いまま、箒がぐんぐん森の上空を進んでいく。やがて、森の入り口からずっとずっと奥まった場所で、箒が降下し始めた。


「さあ、着いたわよ」


 箒から下りるとき、美穂は膝から力が抜けて、その場で転んでしまった。止まない体の震えに、自分の思う以上に、今体験した出来事に衝撃を抱いていることがようやくわかる。


 なんとか体に力を込めて立ち上がると、最初に見えたものは一軒の家だった。


 煉瓦の壁に、赤い三角屋根。その家の庭先には、「魔法使いアメリのお悩み相談所」と書かれた木の看板が立っていた。

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