幕間 第一回、入江圭対策作戦会議

「離して」


 イラつきながら、とげとげしく私はそう言って、握られた手を払った。あまりにも突然に手を取られていた私はようやく自由になる。五十嵐君は「悪い」と視線をそらした。


「でも緊急事態だったからな。許して欲しい」

「そうだね。緊急だった」

「ケイがいた。それも眼鏡の女の子と二人で。三つ編みじゃなかったけど、あれが黛が言っていた山川って奴か?」

「たぶん、ね。普段と印象が違ったけれど、入江君と一緒に居たってことは、間違いないと思うよ」


 これは私の失態だ。入江君と山川さんが今日何をするのか、私は知っていた。今日この場にいる可能性だって考えられなかったわけじゃない。今更こんなことを考えたって仕方がないことはわかっているけれど、悔やんでも悔やみきれなかった。


「入江君、こっちに気付いてたよね」

「ああ、間違いないな。俺とは目が合った。戸惑っていたとはいえ、黛の手を握って逃げたのは間違いだったな」

「そうだね。まったく、余計なことをしてくれたものだよ」


 八つ当たりもいい所だ。悪態をついてみたけれど、彼に落ち度があるわけではない。むしろ失点を最小限に留めようとする姿勢は評価できる。まあ今回は傷を広げているのだけれど。


「でも、悪いことばかりじゃないよ。五十嵐君は逃げるのに必死で見ていなかったとは思うけれど、山川さんはあの後入江君から逃げてた」

「逃げてた? どういう状況だよそれ」

「私が聞きたいね。何があったのか、判断するだけの情報は得られなかった。でも、一つわかったことは……山川さんの牙城も完璧ではないってことぐらいかな」


 これまで私は山川さんに翻弄されていた。これまでの戦いは彼女のペースで進んでいたのは間違いない。周到に用意されていた計画、長年に渡って積み重ねてきた年月は私の介入を阻んできた。それがここに来てぐらついてきている。

 この隙は閉じ込められた洞窟に刺す一筋の光明のように感じられた。逃す理由は考えられない。


「だから、仕掛けるなら今だ。私が距離を詰めるのに最も相応しいタイミングだよ。早速放課後遊びに──」

「待て、それは止めろ」

「それはどうして」


 首を振った彼に私は問いかける。五十嵐君の表情は真剣そのものだった。


「あいつだって人間だよ。そんな機械的な感覚で距離を詰めるな。黛、お前は良くも悪くも効率を求めすぎだ」

「じゃあ、このまま指をくわえて見てろっていうのかな? 五十嵐君は」


 入江君と山川さんの間に生じた不和。それがどのようなものなのかはわからない。けれど、どのようなものであったとしても、立て直すだけの力は山川さんにはあるだろう。油断なんてしていられないし、時間もかけていられない。


「頭の良いお前が、理解できてないとは思いたくなかったんだけどな……」

「なんだ。喧嘩を売っているのかな? 今なら買うよ。割と虫の居所が悪いから」

「いや、売ってない。落ち着けよ」


 ドウドウと五十嵐君が私を宥めようとする。馬じゃないぞ、私は。


「いいか? 黛が俺と手を繋いでいる所は見られている。お前にとってのチャンスは来ているけど、同時にピンチでもあるんだ。もしも俺とお前がそういう仲だって誤解でもされてみろ。チャンスは一転、一気にピンチだ」


 それは確かにそうだ。単純なことだった。それに頭が回らないほど今の私は頭に血が上っていた。自分の都合の良い所しか局面が見えていない。そういうところでここまで足元をすくわれてきたんだ。修正しなければならない。勝つために。入江君を私のいる場所に引き入れるために。


 ふー、と細く長く息を吐く。そして、落ち着いた頭で改めて考えを彼に述べる。


「……でも、何もしなかったら、山川さんにしてやられる。それは間違いない。今の停滞だっていつまで続くかわからないんだから」


 それでも手は打たなければならない。リスクを恐れて何もしないのは愚の骨頂。問題は手段だ。夏祭りまで時間はない。加えてこれまでのような直接的なアプローチは難しい。

 彼の誤解は解く。自分にとって有利な状況を構築する。それでいて自分は動かない。そんな神の一手が要求されている。けれど、そんな都合のいい行動は思いつけない。


「ああ、そうだな。だから仕掛けるのは賛成だ」

「でも、私が動けないってなると、どうしようもなくない? 他人が何しようと結局私と入江君の問題だし」

「黛、お前の思考はワンマンすぎるんだよ……。今やっているのはチームプレイ。お前ポ〇モンで最初の一匹を使いつぶすタイプだろ?」

「問題ある?」

「うわ……当てずっぽうだったのに、当たってたのかよ」


 五十嵐君、何? その顔は。別に何の問題もないはずだよ。だって一番強いんだから、一番使われるべきでしょう?


「いいか黛。たかが人間にできることには限界がある」

「それはできないと思ってるから。やってないだけ」

「じゃあ黛、アメリカと日本を三十分以内に移動して仕事してこいって言われたらできるか?」

「……それは、流石に無理難題じゃない? 私に『どこでもドア』の持ち合わせはないよ」


 私は肩をすくめて『おいおい、何言ってるのかわかんねぇぜ』って洋画でよくあるポーズをした。本当に彼の言っていることが理解できない。当たり前のことを羅列してどうしたいんだろう。彼は二本指を立てて話を続けた。


「二人いれば二手に分かれられる」

「人数を足すなんてズルくない?」

「足すなとは言ってないからな。お前にその発想が無かっただけだ」


 まあそれは間違っていない。でも、わざわざ人数を増やして情報や行動にノイズが乗るのは嫌いだ。人間はいつだって自分の都合のいいように動くもの。誰も彼も好き勝手やるのが常だ。不確定要素を好き好んで増やすのはごめんなのだ。


「で、結局何が言いたいのさ。五十嵐君は」

「たまには別の駒を使おうぜって話」

「別の駒? そんなの無いけど?」

「……そこまで察しの悪いことある?」


 彼はため息をついた。それも飛び切り大きくてわざとらしい奴だった。五十嵐君はちょいちょい神経を逆撫でするな。


「俺だよ、俺。いるじゃん、協力者」

「えー、信用できないな」

「露骨に嫌そうな顔をするの止めてくれ。泣くぞ、俺」


 ちゃんと伝わったようで良かった。伝わらなかったら私が泣いていたかもしれない。


「だいたい君、協力は情報提供だけだって言ってたじゃない」


 協力するときに彼とした約束だった。今日は例外だ、別に対価を設けていて、彼がそれに乗っただけに過ぎない。だから彼は使用不可能な駒だと判断していた。まあ、使用する気もなかったけれど。


「事情が変わったんだよ。表舞台に出るつもりはなかったんだけどな。やってもいいって思えるようになったってだけ」

「……そう。私としては願ってもないことだけれど。ただ働きはしてくれないだろうし、条件も付くんでしょ?」

「それはもちろん」


 そう頷く彼に「言ってみて」と促した。彼は真剣な表情で私に人差し指を立てる。


「一つ、手段は俺に任せること」


 まあ私が手段を思いつかないから、彼に任せるしかない。


「二つ、失敗しても怒らないこと」


 ん? なんだ、子供か? 急に小学生の約束みたいなことを言い出したぞ。


「三つ、明日購買で菓子パン四つ奢って」


 いや、やっす。本当に高校生なのだろうか。それでいて「いや~やばい。やりすぎた。滅茶苦茶な条件を吹っかけちゃった……失敗したな~」みたいな表情をして目を逸らさないでくれ。せめて交渉が終わってからにして欲しい。

 私としては問題ない。他に手段だって無い。心配になるけれど、彼を信じるしかない。


「……わかった。その条件を呑もう。任せたよ」

「おう、任された」


 五十嵐君は右手で自分の左胸を叩いて笑う。晴れ晴れとした彼の表情とは対照的に、私には不安しかなかった。

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