11話

 カーテンから差す朝日を睨んで上体を起こした。着ていた下着はぐっしょりと濡れている。

 見上げた掛け時計が示す時刻は午前七時の少し手前。山川との約束の時間にはまだ余裕がある。これなら一度シャワーを浴びても問題はないだろう。


「しっかし、嫌なことばっかり鮮明に覚えているな……僕は」


 自分の未練がましさが本当に嫌になる。あんなことを思い出したってなんの意味もないって言うのに。頭をかきながらベッドから這い出て、洗面所へ向かう。その途中でドタドタと慌ただしい足音が聞こえた。

 廊下の角を曲がってすぐ。僕とぶつかる寸前で彼女は身を捻って回避する。けれどスピードを殺しきれずに転倒した。朝から廊下を走るなよ。「いたた」と足元で沈むポニーテールを眺める。意識の覚醒具合からして今日は早起きしたらしい。


「静香にしては珍しいな。普段もそのぐらい早く起きてシャキッとすればいいのに」

「いつもギリギリまで睡眠時間を取っていたいの!」


 足元からそう吠えられると、道端で気性の荒いチワワに絡まれたような気分になるな。落ち着け静香、人間になれ。


「今日の練習試合は遠征なんだよ。だからアタシも静香ちゃんもちょっと早起きなの」


 和己が落ち着いた足取りでこちらに向かってきた。彼女はいつも通りすっきりと目覚めを迎えたようだった。


「……そっか。母さんは?」

「まだ寝てる。朝ごはんはちゃんと済ませたよ。兄ちゃんの分もついでに作ってあるから、早めに食べちゃって」

「了解。シャワー浴びたら食うわ」

「兄さん汗、ぐっしょりだもんね。臭う」

「……そこまでひどいか?」

『うん』


 笑顔で頷くな、入江ツインズ。お兄ちゃん泣くぞ。


「でも兄さんがその状態でデートに行くほど非常識じゃなくて安心したよ」

「そうそう。ホッとしたね」

「デート? ……どっから仕入れたその情報」

『山ちゃん』


 彼女らは口を揃えて言った。山川あいつどんだけ僕とデート推しなの? いや、まあ確かに今回出かける目的はこの二人にあまり大声では言えないけどさぁ……。もうちょっと他の言い方はなかったのかよ。


「あのバカ……」

「おっ、兄ちゃん照れてる?」

「呆れてるんだよ。まさかとは思うけど、お前らも男女二人で出かけるからデートって言い張るつもりか?」

「そうだけど?」

「そうに決まってるじゃん」


 当然と言わんばかりに彼女たちは僕を見上げた。なんなんだよ。その強い一体感は。

 しかし、このまま勘違いされっぱなしというのも困る。間違いは早めに修正しておくべきだろう。どう言いくるめようか考えていると、さっきで落ち着いていた和己が慌て始めた。


「おっと、いけね。このままじゃ電車遅れちまう。もう行かなきゃ。行こうぜ静香ちゃん」

「うんそうだね」


 静香が返事をして廊下の先にある玄関に向かう。それから二人並んで靴を履き替えてこちらに振り返った。


「じゃあ兄さん、私たち行くよ」

「行ってくるよ、兄ちゃん」

「ああ、鍵は僕がかけておくから、そのまま行っていいぞ」


 二人は頷いて、和己が鍵を開け、それからドアノブに手をかけた。

 

「お前ら、怪我だけはするなよ」


 普段は無言で彼女らを見送る。でも今日は言っておかなければいけない気がした。今朝見た夢のせいかもしれない。

 彼女らはきょとんと眼を丸くして、確認するようにお互いを見る。それから耐えきれなくなったのか吹き出すようにして笑った。


「わかってるって。兄ちゃんは心配しすぎ。な、静香ちゃんもそう思うだろ」

「……そうだね」

「静香、頷くな。俺は本気で心配してんだぞ。ったく……」


 なんだよその反応。心配して損した気分だ。


「というか、兄さんもデートで失敗しないように気を付けて。人の心配している場合じゃないでしょ」

「それな」

「だから、デートじゃねぇ!」


 二人は僕の声を笑って受け流すと、玄関から飛び出して行く。結局、彼女たちの間違いを修正することはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る