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翌日の朝になった。いよいよ僕は勇者として村から旅立つことになる。
でも未だに心の中は不安で憂鬱で、心臓が締め付けられるように痛い。吐き気も目まいもしてきて、今にも倒れそうだ。
僕は戦いなんて出来ないのに……戦いたくないのに……。
ううん、戦いのことだけじゃない。傭兵の三人との関係だってそうだ。単なる知り合い程度のレベル。少し会話をしただけで、まだ完全に打ち解けたわけじゃない。
それと未来に待っている運命も、自分の無力さを自覚することも、困難にぶつかることも、とにかく何もかもが怖い。
怖い……怖いんだよ……怖くて仕方ないんだ……。
「我らの希望、勇者アレスの旅立ちだー!」
「アレス、万歳! 勇者ばんざーい!」
「アレスお兄ちゃん、がんばってね。ぜったいにまおうをたおしてねー!!」
今、目の前の広場には僕たちの旅立ちを見送りに、村人全員が集まっている。その視線は一様に希望と期待に満ちて、水面に反射した太陽の光のように輝いている。そのプレッシャーにも押し潰されそうだ。
なんでなの……? なんで僕に期待するの……っ……?
僕は剣も魔法も使えなくて、力も弱くて、ヘタレだって、みんなは知ってるはずじゃないか。
この小さな村で全員が家族みたいに暮らしてきてるんだから、知らないはずがない。全員が魔法か何かで記憶を操作されてでもいない限りは。でもそんな痕跡は感じられない。
うっぷ……また吐き気が……。
「――大丈夫ですよ、アレス様。そんなに緊張なさらなくても」
「ジフテルさん……」
「そうそう! 大船に乗った気でいなよ、アレス様♪」
「勇者様、何も心配はいりません。私もネネもジフテルも、全力であなたをサポートします」
「ネネさん、ミリーさんも……ッ……うくっ……うぅ……」
傍らで穏やかに微笑んでいる三人。彼らの言葉が僕の心に勇気を与えてくれる。温かさが染みこんでくる。嬉しくて思わず涙が零れそうだ。
……でもだからこそ、今はせめて涙を我慢しなきゃ。泣き虫の勇者なんてカッコ悪いもん。
…………。
……なのに……勝手に……涙が滲んで……。
「では、村長様。そろそろ私たちは出発いたします」
「頼みましたぞ、ジフテル殿。ミリー殿もネネ殿も」
こうして僕は魔王を討伐するため、傭兵たちとともに故郷のトンモロ村を旅立ったのだった。
◆
その後、約二日が経過した。今、僕たちが歩いているのはブレイブ峠を越える山道で、その先にあるシアの城下町が最初の目的地だ。ジフテルさんの話によると、現時点ではまだ行程の三分の一程度とのこと。
ちなみにこのルートは険しい坂が続き、危険なモンスターも多く潜んでいるので普通の人間は滅多に通らない。少し遠回りになるけど、交易商人や物資の売買に出かける村の大人たちは道が比較的なだらかでモンスターとの遭遇も少ないフォル街道を使うのが一般的だ――と、いつだったか村長様に聞いたことがある。
ただ、峠越えのルートならシアへ最短距離で着けるということで、ジフテルさんが僕たちにこちらの道を提案。それに対し、屈強で体力もあるミリーさんやネネさんは当然それに賛同したのだった。
確かにモンスターが出てもジフテルさんたちなら容易に倒せるだろうし、急な坂道だって軽々と上り下り出来るだろう。
一方、体力のない僕にとっては苦しい道。だけど僕もそれに従うだけだ。
だって、ひとりだけ反対するわけにはいかないじゃないか。パーティの和を乱すようなことはしたくないし。
「はぁ……はぁ……」
……とはいえ、ここまで遅れつつも死に物狂いでジフテルさんたちに付いてきたけど、もはや足が重たくて思うように動かない。呼吸も苦しい。頭全体が締め付けられているように痛んで、視界も霞んでいる。額に滲んだ珠のような汗は、すでに冷えて体温を奪っていく。
もう色々な感覚がグッチャグチャのスクランブルエッグ状態。あぁ、気を抜くとすぐにでも意識が飛んでしまいそうだ……。
「アレス様、お疲れのようですね。少し休みましょうか?」
前を歩いていたジフテルさんが歩み寄ってきて、俯きながら激しく呼吸する僕の顔を横から覗きこんだ。そして僕の背を手でさすってくれる。
ただ、シャツが汗が染みこんだまま乾いていないこともあって、その感触は冷たい。
「苦しいでしょう? 楽にして差し上げましょうか?」
「え……あ……もしかして回復魔――っ!? ……ッ! ……がはっ!」
突然、僕の腹全体に衝撃と激しい鈍痛が走った。
一瞬、息が出来なくなって目の前が暗くなって、胃液がわずかに口から吐き出される。苦いような酸っぱいような味と臭いが口と鼻の中を支配する。
気が付くと僕はそのまま膝から崩れ落ち、へたり込んだまま自然と両手で腹を押さえていた。ただ、なぜか意識は途切れずに保っている。
……く……さっさと意識が消えてしまえば良かったのに。それならこんな地獄のような苦しみを感じなくて済んだんだから……。
「ぐっ……がはっ……ごほっ……ッ!」
「へぇ、意外と打たれ強いんですね。あんなフラフラな状態で私の膝蹴りを食らったというのに、失神しないなんて」
温かみが微塵もない、蔑むような声が耳に響く。
その声の主が誰なのか、僕には分かる。信じたくはないけど間違いない。
苦しみに耐えつつなんとか顔を上げると、そこには冷笑を浮かべたジフテルさんが佇んでいて、こちらを見下ろしていた。
ううん、彼だけじゃない。ネネさんもミリーさんもまるで汚いもの――ボロ雑巾とか汚物とか――そういうものを見るような目で僕を眺めている。
「チッ、腐っても勇者の血筋ということですか……。…………。何が勇者だ! 反吐が出る!」
ジフテルは僕に向かって躊躇いもなく唾を吐き捨てた。そして今度は僕の横腹を蹴り上げる。
当然、僕は抵抗できず、そのまま仰向けに転がされてしまう。痛む場所は増え、どんどん体力――というか、命そのものが少しずつ抜け出ていっているような感覚さえする。
「ジフテル、それくらいにしておきなよ。ガキの体に不自然な傷が残ったらどうするんだ? 万が一にもそういう状態で死体が誰かに発見されたら、あたしたちが疑われて厄介だよ」
「っ!?」
今、ネネさんは恐ろしいことをサラッと言った。
確か死体がどうとかって。しかも話の流れから察するに、そうなるのは……。
僕は愕然として頭の中が真っ白になる。背筋が寒くなる。
「……心配ないでしょう。その時は死体が残らないように処理すればいいんですから。例えば、私の火炎魔法で骨すらも灰にしてしまうとか」
「その前に身ぐるみを剥いでからな。ガキの持ってる路銀、確か結構な額だっただろ。持ち物は……いらないか。安物ばかりだから売っても二束三文だろうし。まっ、いずれにしても村長から受け取った依頼金と合わせて、あたしら丸儲けだぜ」
「カネの亡者め」
ジフテルとネネはクククと喉の奥で笑い合い、実に楽しげだった。そしてこれがコイツらの本性なのだと僕は悟った。気付くのが遅すぎたけど……。
ただ、なぜだろう、不思議とあまり悔しさは感じない。ふーん、という感じで呆れ果てているからなのかな?
あぁ、考えるのがメンド臭い。もうどうでもいいや……。
――と、そんな感じで全てを諦めていると、今まで黙って様子をうかがっていたミリーが神妙な面持ちで静かにこちらに歩み寄ってくる。そして僕の顔の横でしゃがみ込んで、真っ直ぐこちらを見下ろす。
なんだろ、香水か何かのいい匂いが漂ってくる。
「勇者様、申し訳ありません。もうお気付きだとは思いますが、私たちは最初からあなたやトンモロ村の人々を騙し、金品を巻き上げる目的で近付いたのです。でも安心してください。私、ジフテルやネネには決して勇者様に手出しさせません」
「……え……っ?」
僕は耳を疑った。だって予想だにしてなかった言葉がミリーさんの口から出たのだから。
僕に手出しはさせないって……っ?
ということは、もしかしたら彼女は実は僕の味方で、ジフテルやネネから僕を守るために村長様か誰かが送り込んでいてくれたのかもしれない。
ははは、そっか……そうだよね……。彼女だけは出会った時からなんとなくほかの二人とは違う雰囲気がしたもん。
最後の最後に一筋の希望の光が――。
「せめてもの情けです。なるべく苦しまないよう、私が一撃で天国へ送って差し上げます」
そう言い放つと彼女は立ちあがって腰から片手剣を抜き、切っ先をゆっくりと僕の首へ向けて止めた。
僕の心に生まれた微かな希望は一瞬で絶望へと変化し、次の瞬間には……。
BAD END 1
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