*2-3-5*

 沈痛な空気に支配されたまま終わりを迎えた機構と国連の会合から半刻が過ぎ、シークレットルームの近くに位置する総監執務室へ戻ったレオナルドとフランクリンの2人は“この後”のことについて意見を交わしていた。

 テーブルには淹れたばかりの湯気が立ち昇るコーヒーが置かれている。それはレオナルドが気持ちを落ち着けたいと思った時に飲む、浅煎りで仕上げられたお気に入りのブルーマウンテンだ。

 深く思考を巡らせたい時、落ち着きたい時、気分を取り戻したいという、まさに今のような時に飲むのが日頃の常である。

 2つのコーヒーカップから実に香ばしい香りが立ち昇り室内を満たした。

 張り詰めた空気から解き放たれ、コーヒーの優雅な香りが包み込む空間。戦争が起きているという今の現実に目を向ければ、自分達のような立場の者がこのような時間を過ごすことが良いことだとは言えないだろう。

 しかし、言い換えれば “そういった時だからこそ”落ち着いて、冷静に物事を見極める為に必要な行為でもあるのだ。

 長年、機構という巨大な国際機関を率いてきたレオナルドは感覚としてそのことを誰よりも理解していた。


 フランクリンはレオナルドに差し出されたコーヒーを口に含み、じっくりと味わってから言う。

「総監。くどいようですが、宜しかったのですか?」

 レオナルドは首を横に振りながら応える。「言いたいことは分かる。だが、他に取るべき道も、選べる道もない。マリアの言ったことがまさしく全てだ」

「機構が国連の言いなりになる。相互不干渉の原則があるとはいえ、やはり根本は昔から変わらぬものです。ただ、その号令を発する人物の物言いについて、今日はいつになく傲慢さを装って話をしていた節がありますが」

「随分前からそうではないかと思っていたが、やはりあの子もリナリア公国に所縁をもつ者か。私の数十倍を生きる彼女を“あの子”と呼ぶのも些か妙な話ではあるがな。今日に限っては、姫埜中尉やイグレシアス隊員の面前であるという状況が彼女にそういう態度をさせたのかもしれない。或いは、彼の前だからと……そう思うこともあったのやもしれん」

「彼、とは。ヘンネフェルト隊員のことですか?」

「無論。彼とマリーが特別な関係にあることは、ハンガリーで起きた例の事件から変わっていない。むしろ、直近のミュンスターでの一件以来はより強固な間柄になったとみるべきだ」

「ヴァチカン教皇庁からの依頼という体裁ではありましたが、実質的には国連からの要請。いえ、セクション6主導による依頼であった事件。ウェストファリアの亡霊、ミュンスター騒乱」

「仮に、依頼を受けた段階で対象Aがあれほどまでに深い関与をしていると事前に知っていれば、要請を辞退したかもしれない。ヘンネフェルト隊員には申し訳ない命令を下した。前回に限ったことではないが実に強かだな、マリーは」


 レオナルドはふっと溜息をつきながら言うと、コーヒーを飲んで深く息を吐いた。

 対象Aという言葉を聞き、フランクリンは言う。

「総監。総監は、これより我らが立ち向かう相手についてどのようにお考えですか」

「むしろ私が君に問おうと思っていた問いだ。質問を返すようだが、君はどう思う?ゼファート司監。いや、フランク。ここには我々しかいない。今は立場の話を抜きにして聞かせてくれないか」

 フランクリンは少し思考してから言った。

「とても、正面切って立ち向かうべき相手であるとは思えません。善悪の定義を抜きに、ただ危険でしかありませんから。例え公国出身で、異能を操る力を持つ彼女達の助力があったとしてもです。決断は間違いなく、機構の隊員達を酷い危険に晒すことになります」

 レオナルドは深く頷きながら応える。

「決断を下した責任は私にあるわけだが、本心で言えば私もそう思うよ。あの映像を見て、同じように思わない人間などいないだろう。機構の隊員達を、その命を預かる者として抱く危惧として当然であり、立場を抜きにしてもやはり同じ感想を抱くだろう」

 そう言った後、背をソファに沈めながらレオナルドは続ける。

「では、次にゼファート司監。機構の司監としての意見を聞かせて欲しい」

「クリスティー局長の言う通り、我々に選択の余地など残されていない。取り組まざるを得ない問題であると認識します。ただし、任務の危険性から考えて少数精鋭による最小規模での部隊編成を行うべきであると付け加えましょう。サンダルフォンの乗組員の他は、小隊マークתに加えマークצ〈ツァディー〉の乗艦が適当かと。それと……」

「それと?」

 フランクリンはレオナルドの目を見据えて言った。

「サンダルフォン艦長の責務は“私が引き受けたい”と考えます」

「本任務に限り、君がサンダルフォンの艦長を代行すると?」

「はい」


 フランクリンの進言にレオナルドは考え込んだ。そこにどういった理があるのか。反対に、彼が乗艦しないことで失われる理とは何なのか。考えた上で言う。

「サンダルフォンの艦長はロブソンだったな」

「えぇ、ロブソン・ディアス大佐がその責務を負っています」

「彼は実に優秀で素晴らしい好人物だ。確か大佐もウェイクウィールド少佐と同じく、元国連軍の指揮官だったか。しかして、それほどに優秀であるが故に此度のようなイレギュラーな任務は荷が重いと、君はそのように考えたというわけだな」

 フランクリンは無言で頷いた。


 本来は関わるはずのない戦争に関与し、さらに国連軍と最前線へと赴くという事態。

 さらに、ただ目的海域へ向かい調査任務を行うというわけではないという事実。

 おまけに艦に乗り込むのはリナリアの忘れ形見というべき超常的な存在が多数。

 元々機構の隊員である玲那斗は除くとして、他に同行するのはイベリス、アルビジア。ロザリア、アシスタシア。マリア、アザミ、アイリス。立ち向かう相手は対象Aこと“アンジェリカ”。

 深い事実を知らぬまま、機構の調査任務という〈普段〉とは明らかに違う状況で指揮を執るのは、確かに彼ほどの人物といえど荷が重いに間違いない。


 レオナルドはフランクリンの意見を認めて言う。

「承知した。ディアス大佐には先に私から伝えておこう。君の代わりに、中央司令からサンダルフォンの航行をサポートする役に徹するようにと、添えてな」

「ありがとうございます」

「君に進言する。背負いすぎないように。現実的な判断だが、此度我々が立ち向かうべき問題と相手は“現実的とはいえない”」

「肝に銘じておきます」

「それと、セントラル2から先んじて出航したメタトロンと追従艦隊はウェイクフィールド少佐が指揮を執っている。うまく連携したまえ。少佐にはマリアの言いつけ通り、〈マリアナ海溝を注視して観測しろ〉と指示を下している。情報を求めれば即座に対応してくれるだろう」

「マリアナ海溝。私には、彼女の言葉の真意を測りかねます」

「そこに“何かあると知っている”のやもしれぬ。それも、彼女が言うからにはまず間違いなく“良くないもの”だ」

「しかし、あそこに存在するのは……」

「マリーが何を指して注視しろと言ったかは知れぬが、別の何かがあると仮定しても内の1つは我々にとっては失ってはならないもの、だな」


 2人の会話はそこで途切れた。

 言葉もなく、動きもない静寂に満ちた室内で、立ち昇るコーヒーの湯気だけが時を刻むかのようにゆらゆらと揺れる。

 マリアナ海溝に存在する“失ってはならないもの”。

 それは機構にとっての生命線。存在を知る者は限られた一握りの人間のみ。総監と、一部の司監しか知らぬ事実。


 セフィロトの樹における中央を支えるセフィラ。

 セントラル1-マルクト-

 セントラル2-ケテル-

 セントラル3-ティファレト-

 以外に、中央にあってしかし、隠され秘匿されたセフィラが存在する。


 セントラル4-ダアト-


 知識を司るこの場所に眠るは、人類における叡智の結晶〈全能の神が万物を視通す目〉。


 マリアが示した〈監視対象〉とは果たして、機構の生命線を指す意味合いだったのか。

 それとも、以外に何かがあるというのか。


 真意の見えない指示が示す答えを思い、2人はしばし押し黙ったまま沈黙の時を過ごした。



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