第2章 -栄冠のヒュブリス-

第1節 -Two as One-

*2-1-1*

 西暦2037年9月24日 午前7時頃

 世界特殊事象研究機構 大西洋方面司令 セントラル1-マルクト

 航空機 第5格納庫にて


 答えなど存在しない、思考の袋小路。

 思えば思うほど考えは歪む。一体なぜ、世界はこのような事態に見舞われることとなったのか。

 今しがた格納庫に到着したばかりの“とある国際機関”の物々しい外観の航空機から、ある人物が降り立つのを見やりながらレオナルドは大きな呻り声を漏らした。


 西暦2037年9月8日。その日が世界の運命を分けた日である。

 グラン・エトルアリアス共和国大統領アティリオ・グスマン・ウルタードが全世界に対して宣戦を布告して早2週間。

 以来、目まぐるしく変わりゆく世界情勢は間違いなく悪化の一途だけを辿っている。各機関から毎日、いや毎時機構へ報告される情報は目を覆いたくなるものばかりで、希望を抱くことの出来るような報告など何一つとして上がって来ない。


 世界のどこが戦場となり、どこの国の軍にどれだけの死傷者が出たか。

 世界のどこが例の国によって制圧されたか。


 自分達の元にやってくるのはそうした情報だけだ。

 アメリカ合衆国、英国、フランスがグラン・エトルアリアス共和国本土周辺海域で共同戦線を張った戦いを行い、早々に敗退を喫して以後から聞こえてくる情報に吉報など皆無である。

 先の3国だけではない。ロシアを含む欧州地域や中東地域も軍備と人員に甚大な被害を被っているという。


 とはいえ、第三次世界大戦というべき戦いの火蓋が切って落とされてから、これまでの僅かな期間において、自分達機構はただ傍観者側として戦況を観察してきたに過ぎない。

 戦争に直接的な関与をしないという立場を明確にしている機構が行うのは、あくまで戦場となった場所の安全が確保された後の負傷兵に対する救護活動と人道支援のみ。

 他国にとってどれほどの悪い状況を知らせる情報が流れ込もうと、機構自体が被害に遭う事態は避けられてきたわけだ。

 設立から十数年が経過した、2020年代に起きた東欧戦争の時でも機構のそのような立場が変わることは無かった。

 しかし、今回……今日という日に至っては機構もそうした“立場”を根本から覆す重大な決断を下さなければならないだろう。

 このただ1点の事実こそが、世界特殊事象研究機構という巨大組織の総監であるレオナルドに深い重圧を与えていた。

 個人で抱えるにはあまりにも大きな重責から、普段の気品と精悍さを兼ね備えた佇まいも数日の間に随分と影を潜めてしまっている。


 絶え間なく襲い来る耐えがたい心痛。のしかかる重圧を僅かばかりでも和らげる為、レオナルドは隣に立つ強面の男に話しかけた。

「ゼファート司監。君は彼らについてどう思う?」

「は、彼らとはグラン・エトルアリアス共和国についてでしょうか」

「以外に何もあるまい」

 実に彼らしくない返事だ。レオナルドは彼を横目にそう考えた。


 傍らに立つ男。フランクリン・ゼファート司監。

 2010年の世界特殊事象研究機構設立当時から、常に右腕として自身を支えてくれた戦友のような存在だ。

 細身ではあるものの、大きく筋肉質な体格にバズカットのヘアスタイルと鋭い眼光という容姿から誤解を与えやすいが、非常に思いやりのある人物で、物事を冷静に分析できるリアリストでもある。

 しかし、だからなのだろう。質問に対して、間を濁すような分かり切った答えが彼の口から出てくるということは、きっと彼自身も表には見えない重圧によって幾分か憔悴しているに違いない。


“本音を言えばあまり口にしたくない”


 そのように言い換えることもできる。

 春から夏にかけての数か月で、突然降って沸いた第三次世界大戦などという悲劇を前にして、痛みというものを感じずにはいられない彼だからこそ答えなかった。答えられなかった。


 フランクリンの心中を察しつつも、レオナルドは自身の話を進める。

「私は常々考えるのだよ。彼らの言い分は真の本心であるのか?と」

「と言いますと此度の戦争の目的、本当の狙いは言い分とはまったく別の所にあると?」

「どうにもそう思えて仕方ない。世界におけるグラン・エトルアリアス共和国の地位を見つめ、その上でウルタード大統領の言葉を客観的に聞けば、発言と事実の間に相当な乖離があることは明白だ。

 彼らは大昔から先進の科学技術力を以って世界の大国とも“ほとんど対等に”渡り合ってきた……いわば世界における強者の側に立つ存在だ。支援の手が無ければ運営そのものが行き詰まってしまうような未開発国や経済後進国とはわけが違う」

「そんな彼らが“奴隷”、“圧力”、“従属”などという言葉を用いるのは不適切であるとおっしゃるのですね」

「如何にも。グラン・エトルアリアス共和国は度重なる巨大な戦火から自国を守る為に、自らの意思でいわば武器商人という立場に立った国だ。

 しかも、どちらかといえば彼らは軍備によって成り立つ大国に圧力を掛けられる側の存在でもある。今の大国の軍事力というものは、彼らの技術供与無しでは成り立たないのだから。

 技術供与や協力を取りやめると脅せば、大国の意思すら変えさせることが出来るかもしれない力を持つというのに」

「故に、共和国側の本当の目的が分からないと」

「自由を得る為だけと言うなら、表であれ裏であれ交渉だけで何とでも出来る。どこの国が相手であってもだ。わざわざ全世界に対して戦争を仕掛けるなどという真似をする必要などどこにもない。考えれば考えるほどに目的は視えず、むしろ彼らが本当に望んでいるのはもしや……」

 その時だった。レオナルドが言いかけた言葉を遮り、美しい少女の声が代わりに答えを述べた。


「世界の破壊、或いは破滅そのものを望んでいるのではないか」


 レオナルドとフランクリンは声の主へと視線を向ける。

 視線の先に立っていたのは真っ黒なゴシックドレスに身を包む1人の少女と、顔を覆うベール付きのキャペリンハットとフォーマルスーツに身を包んだ長身の女性であった。

「その感性を大切にしたまえ。君の思考は的確に的を射ている。さて。それにしても久方振りの再会が、よもやこのようなことを話し合うための会合になろうとはね。

 出来れば君の愛するコーヒーをごちそうしてもらう程度の用事で足を運びたかったが、今という状況下では叶わぬというもの。運命などというものがあるならば、それはとても残酷だと言わざるを得ない」

 漆黒のゴシックドレスを纏い、輝かしい金色のウェーブがかったミディアムショートの髪と、宝玉のような美しい赤い瞳を持つドールのように美しい少女は言葉を続けた。

「早速だがレオ。例の件について、今ここで返事をくれても良い。

 君達機構の立場を明確にする時だ。9と1。そのような比率で世界が割れた今、君達がどちらの立場にも立たずに時を過ごすということはもはや許されなくなった。これは私達だけの考えではない。世界の総意に基づく結論であると付け加えよう」

 警告。或いは脅迫。そう言い換えても良い。選択権の存在しない問い。

 レオナルドは少女をじっと見据えて言った。

「答えは後程伝える。既に分かっているだろう?君達が望む通りの答えだ。だが、その前に我々にも知る権利がある。君達国連が所持している情報の全てと、現在の状況の全てを我々に提供したまえ。世界の総意の代弁者。存在しない世界の監督者、"予言の花"、マリア・オルティス・クリスティー」

 名を呼ばれた少女は軽く微笑み言う。

「私のことについて、新たな知見を得たとみえる。まぁ良いだろう、元よりそのつもりだ」


 国際連盟 機密保安局 -セクション6-。

 その局長であるマリアと筆頭補佐官であるアザミは、気品あるヒールの音を海風が流れ込む格納庫に響かせながらレオナルドとフランクリンへ歩み寄った。

 マリアは言う。「ただし時間の猶予など無い。こうしている間にも戦場では多くの命が失われている。正確にいえば戦争とも呼べない共和国による一方的な蹂躙、虐殺だ。私達の要求はひとつ。解決する為に君達の力を、君達が持つシステムの力を借り受けたい」

〈システム〉という単語を聞き身構えたレオナルドに対し、マリアは射貫くような視線を送りながら囁くように言った。


「全能の神が、万物を視通す目。その力を、ね」


 彼女の言葉を聞いたレオナルドは静かに目を閉じた。彼女達は全てを知っている。決意すべき時が来たのだ。

 夏空が広がる外から穏やかな潮風が吹き込んでくる。しかし、今のレオナルドにとってその風は季節らしからぬ冷たさを帯びているように感じられた。


 戦争。


 幾度となく繰り返される冷たい歴史。人が忘れることの出来ない闘争の歴史。

 格納庫に吹き込む風が運び込んできたのは、血で血を洗う残酷な景色を想起させる冷たい予感であった。


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