第40話 奪還
クロッフィルンの城壁の高さは約8メートル。街の外側は垂直に切り立っていて外敵の侵入を許さないが、街の内側は階段が多く設置されていたり、よじ登れる程の傾斜になっている。有事の際に内側から即座に城壁の上に登れるよう設計されているのだ。また城壁の上は細い通路になっていて歩いてクロッフィルンを一周することができる。
二人は城壁の上で屈みオルトハーゲンやその周りの状況を見ていた。
城壁の上は真暗で明るい広場からは注視しないと見えないが、逆に城壁の上からは明るい広場がよく見える。
リュオはビッツ村で着ていたワンピースを身に着け、スカートは膝の上まで捲って縛っている。帽子は馬車に置いてきた。
(殆どの兵が戦闘を終えて疲弊している。座って休んでいる兵が多いからその間を駆け抜ければ……)
「余裕だね」
リュオが呟く。
「いや、危険だろ」
「ふふふっ、大丈夫。任せといてよ」
「……」
自信満々に頬を吊り上げるリュオをイグはジト目で見た。
「だが思っていたよりも兵が少ないな」
「そうだね。本隊が到着する前に攻め込んできたのかも」
「おそらくそうだろうな。……なぁリュオ」
「ん?」
「オルが食われるとは限らない。ここでもう暫く待機して兵たちが寝静まてっから奪わないか?」
「んー、それでもいいけど。……アタシに何かあったらイグ死んじゃうもんね」
リュオはからかうように微笑みイグは「うっ」っと息を詰まらせる。あんなこと、言わなければよかったと後悔した。
城壁の上で腰を下ろし暫く広場を眺めているとクリスの姿を見付けた。何やら兵士達に指示を出している。
☆クリス
「食料は確保できたか?」
「それが、傭兵団も殆ど持っていなくて全員分は……」
「奪えそうな行商人からは奪いましが、まだ足りないかと」
「街の食料品店を起こせ。金はある」
「「「はっ」」」
「エドワード様、馬は食べますか?」
「馬は売った方が金になる。わざわざ街中で食う必要もなかろう。ところであの重種はどうした?」
馬を並べている場所に一際大きな馬が一頭いて、クリスはそれに視線を送る。
「あれは我々が行商人から奪った馬です」
「ほう。その商人はどんな男だった?」
「赤い髪で長身の男でした。我らにかなり怯え情けない奴でした」
クリスはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「なかなか良い馬だ。俺の馬にしよう」
粗方指示を出し終えるとクリスはオルトハーゲンの横に行き頭を撫でる。
「お前の主、情けない奴だとよ」
その時、後ろから声を掛けられた。
「聞きましたよ。エドワード殿。その馬をご自分の物にされるとか」
クリスは振り返り男に視線を向ける。身なりの良い甲冑を着込んだ男は貴族出身。小太りの中年でこの部隊を指揮している士官だ。今回の遠征ではクリスの上司に当たる。
「これはこれは士官卿殿」
「そんな勝手が許されるとお思いですか?」
「申し訳ありません。慎みます」
クリスは目線を伏せて、軽く頭を下げた。
「ふん。平民が粋がりおって」
士官はクリスに聞こえるように呟く。
「おいッ!この馬は今夜の食料にする。誰か解体しろッ」
士官は周りにいる兵に大きな声で叫び掛けた。
「それで宜しいですな?エドワード殿」
「ええ、構いませんよ」
クリスは士官に微笑んだ。
この士官はクリスの異例の出世が気に入らなかった。だからクリスがやろうとすることに悉(ことごと)く反対する。
そして兵達から耳にした情報を統合し、この馬がクリスの知り合いの商人の馬だと推測していた。
街の食料品店を起こして回れば兵の食料は集まることを分かっていたが、そう推測してしまえば嫌がらせをせずにはいられなかった。
この男の醜い性格をよく理解しているクリスは抵抗しない。
可愛い弟弟子が努力して買った馬。内心では取りに来たらこっそり返してやろうと思っていが、それができず少々面白くなかった。
クリスは城壁の上を睨む。
月の光が逆光になり、そこには2つ、人の影が見えた。それを見たクスリは小さく微笑んだ後、去って行く士官の後ろで地面に落ちているピンポン玉程の石を拾った。
☆☆☆☆☆
「様子が変だよ」
「ああ、不味いな」
城壁の上の二人に緊張が走る。
下ではオルトハーゲンを10人程の兵士が連れ出し取り囲む。そして頭に大きな布を掛けてぐるぐる巻く。若干抵抗するオルトハーゲンを他の兵が抑える。
動物は臆病だ。解体するときはまずこうして視覚と聴覚を奪う。
「あの縄を切るのにナイフが必要。イグ、腰のナイフを貸して」
イグは腰に差した刃渡り20センチ程のナイフを抜きリュオに手渡す。
「行ってくるね」
「無理だと判断したら中断して逃げろよ」
「うん」
☆リュオ
リュオは城壁の上で立ち上がった。全身には白い魔力光が浮かんでいる。右手にはナイフを持ち夜風が彼女の長い髪を揺らす。
そして、壁の上から地面に向かって一気に掛け降りる。前屈みになり腰を落として走るリュオに重力が加勢する。リュオは一瞬で加速した。
地上では槍を持った兵士達がオルトハーゲンを囲い矛先を向けていた。今にもオルトハーゲンに槍を刺しそうだ。
それを見たリュオは地面に着く前に空へジャンプした。
そして。
「アオーーーン」
リュオが吠える。それは獣の咆哮。広場にいた全員が空を見た。
地面に着地したリュオは兵士の合間を縫って駆け出す。
「なんだこいつ」「獣人だ。捕まえろっ!」「そっちに行ったぞ」
兵士達は剣を抜きリュオに向かって振り下ろした。
しかし当たらない。掠りもしない。
リュオは圧倒的なスピードと動体視力で剣の軌道をすり抜けていく。体が小さい彼女はライライチョウの様に兵士の隙間をジグザグに走り、オルトハーゲンまで距離を詰めていく。
「ええいッ!何をしておるか!早くその者を捕まえろッ!お前らも行けッ!!」
オルトハーゲンの近くにいた士官は怒鳴り声を上げた。オルトハーゲンを囲っていた兵士達に檄を飛ばす。
☆クリス
誰もが騒然となりリュオに注目する中、この場全体を冷静に見ていた人物が一人いる。
クリスは城壁の上で立ち上がっている長身の男の人影を見てニヤリと笑い、先程拾った石を思い切り投げた。
石は怒鳴り散らす士官の開いた口に当たった。勢いよく飛んできた石に当たり士官は後ろに倒れる。前歯が折れ口の中に入った石で喉を詰まらせた。倒れた士官は苦しそうに喉を押え、何度も咳き込む。
それを見たクリスは皆が騒然と慌ただしく動く広場の中で一人ケラケラと笑うのだった。
☆イグ
城壁の上で立ち上がりその様子を見ていたイグは「ふっ」と鼻で笑う。
イグは10歳で親方に弟子入りをして2歳年上のクリスと出会った。それからテンウィル騎士団に捕らえられる17歳までの7年間、姉弟のように育った。彼女の狂気を帯びたいたずらな性格はよく知っている。相変わらずの行動に笑みを漏らしたのだ。
ただ、こちらに味方してくれたのは意外だった。
クリスとは愛し合っていたという訳ではないが、イグが16歳になる頃、彼はクリスと体を重ねるようになった。彼女は借金の肩に貰い受けた娘で親方の性奴隷だった。
イグは親方に申し訳ないと思いつつもクリスに誘われるがまま何度も体を重ねた。
しかしテンウィル騎士団に捕らえられた後、クリスを助けず一人逃げた。別の街の修道院に連れて行かれ、彼女の居場所の手掛かりが全くなかった。という言い訳はあったがそれでも裏切る形になった。
(猫の様に気まぐれな性格故の行動か……)
そんなことを考えながらイグはリュオを目で追う。
☆リュオ
オルトハーゲンの目の前まで来ると兵士の槍を躱しながら、オルトハーゲンを繋いでいる縄をナイフで切って回った。そして顔に掛けられた布を剥ぎ取りオルトハーゲンの上に跨る。
馬に跨って視界が高くなり周囲を見渡す。
リュオの周りをたくさんの兵達が犇(ひし)めきながら取り囲み、リュオに槍と剣を向けていた。
(これはダメかも。オルの縄を解くのに時間を掛け過ぎた)
リュオは壁の上にいるイグを見る。
☆イグ
(あれでは脱出はできない。
……俺の魔法は火力を調節できない。周りの家が燃えていて好都合だったな。家を燃やす心配をしなくていい!)
イグは瞳をギラつかせ右手を掲げ詠唱を始める。
「我に眠る火の精霊よ その力を解き放て……
烈火 炎槍(えんそう)」
イグの右横に炎の線が1本通った。そして火は勢いを増し大きな炎の槍になる。宙に浮かんだそれは巨大な丸太程の大きさで、もの凄い熱を帯びている。
イグは狙いを定め魔法を放つ。そして直ちに次の詠唱を開始する。
「我に眠る火の精霊よ その力を解き放て……
烈火 炎槍」
「我に眠る火の精霊よ その力を解き放て……
烈火 炎槍」
「我に眠る火の精霊よ その力を解き放て……
烈火 炎槍」
イグは城壁の上から次々に巨大な炎の槍を放った。
イグの魔法は兵士がいない所に着弾する。着弾すると炎は広がり大地を燃やした。
イグが人を狙わなかったのは、この炎は触れれば鎧を溶かし皮膚は爛(ただ)れ、もし生き残れたとしてもその後遺症は生涯消えないものとなることがわかっていたからだ。
それでもリュオに危険が降りかかればイグはこの魔法を兵士に当てる覚悟をしていた。
「なんだこれはッ!」
「壁の上だ」
「あいつはッ!あの情けない商人じゃないか」
兵士達はリュオへの注意を離し騒めき出す。
☆クリス
(あれから7年か。男らしくなったじゃないか。好きな女でもできたかな?)
クリスは馬に乗るリュオを見詰めた後、叫んだ。
「火族だッ!火族がいるぞッ!全軍退避だッ!焼き殺されるぞッ!」
火族とは単体で人族の軍隊を凌駕する種族。士官の次に位の高いクリスの声に兵達は一斉に逃げ出した。
「殺される」「助けてくれ」「ちくしょー」
イグ達を襲った兵士も我先にと広場から逃げ出す。
☆☆☆☆☆
リュオは北門に向かってオルトハーゲンを走らせた。
それを見たイグは、城壁の上から広場へ駆け降りる。
「イグッ!」
「リュオ!」
走るオルトハーゲンのリュオの後ろにイグは飛乗った。
振り返ると炎の中で微笑むクリスと目が合う。イグは直ぐに視線を前に戻した。
そして二人は北門からクロッフィルンの外へ逃出した。
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