第34話 バーバラ・レッカ
イグとリュオは鉄鉱石を売却した後、旅に必要な物資の調達で市場に来ていた。
現在クロッフィルンは全ての品が値上がりしていて、行商で扱う品をこの街で仕入れるのはやめた。次の街に持って行っても損をするからだ。明日金だけを持って次の街へ向けて出発する。
二人は市場を歩きながら話す。
「売値を決めるのって、まるで誰かと会話をするみたい。とんちんかんなことを言っても相手にされない」
リュオはご機嫌だった。イグの横を楽しそうに歩く。
「そうだな。こちらの意図と相手の意図、双方が折り合う時に単価は決まるからな」
実際にリュオが提示したアンヌ金貨100枚という価格は安過ぎず高過ぎない絶妙な額だった。
現在の情勢をよく考慮した額で、エンハンスから売値を聞かされたヘイメルシュタット商会の支店長はその意図に直ぐに気付きえらくイグを誉めた。
「さっき、エンハンスさんから家を買う話しが出た時、バーバラさんのこと考えた?」
身長の低いリュオは下からイグの横顔を見上げる。イグは少し沈黙した。
「……ああ、考えた」
「そっか……」
だろうなと思っていたリュオは微笑む。
「だが今さらだ。お前と一緒に旅をすると約束したからな」
「……ありがとう」
そう呟くとイグの手を握り二人は手を繋ぐ。
リュオはイグが約束を守ると言ってくれたことが嬉しかった。
「ねぇ、イグ」
「ん?」
「昨日アンドリックさんが、バーバラさんのことを我が儘で行商をやっても直ぐに音を上げるって言ってたでしょ」
「ああ、言ってたな」
「アタシはそうは思わない。バーバラさんは凄く忍耐強い人だと思うよ」
「そうか。あいつは我が儘だぞ」
「売値を決めるのと同じだよ。バーバラさんは許される範囲で甘えていただけだと思う」
☆バーバラ
バーバラはサンマルクの店の手伝いで、市場に買い出しに来ていた。
昨夜バーバラはサンマルクから体を求められた。
初めてだというのに酷く乱暴に扱われた。夜が更けるまで何度も求められて、そして朝目覚めてからもう一度求められた。痛くて気持ち悪いだけで、早く終わって欲しいとずっと思っていた。
叔母から行為中は相手を褒めるよう教わったがそれを口にすることはなかった。
もし相手がイグだったらと思ったりもした。
しかしバーバラは乱暴にされて痛みを経験して良かったと考えていた。これから子供を産まなければいけない。その苦しみから比べればこんな辛さ余裕で乗り越えなければならない。そう思っていた。
まだ下腹部に違和感を感じている。
今夜もまた求められるのだろうか。そんなことを考えている時だった。遠くに楽しそうに手を繋ぎ二人並んで歩くイグとリュオを姿を見掛ける。
話し掛けようと思ったが……やめた。
そしてバーバラは……。
普通なら自分がこんな目にあっている時に好きな男が女と歩いていたら涙の一つも流すだろう。
しかし彼女は、微笑んだ。そして瞳に決意の炎を宿らせる。
この時よりバーバラはクロッフィルンの外に出たいと言わなくなる。
現在21歳の彼女はその後28歳までに4人の男子を産む。
バーバラの嫁いだサンマルク食料品店は小さい店だった。
この先クロッフィルンは何度も不景気や経済恐慌を向かえる。小さな店で食品という薄利な商売で彼女は貧し生活を送ることにる。
しかし彼女はそんな中、4人の息子を立派に育て上げる。
バーバラ・レッカ。
その名前を世間が聞くのは今から約60年後。
大人になった4人の息子たちは互いに協力し合い他の町に支店を出し、60年後アトラス大陸の東側でサンマルク商会は食品を一手に担う大商会へと発展する。
貴族や大商人が集まる招宴にサンマルク商会トップの4兄弟が集まった時のことだ。貴族で年代記作家の男がこの4人に尋ねた。
『4人の偉大な商人を育てたお父上はさぞやご立派な方だったのでしょう?』
その質問に兄弟の一人が答える。
『いえ、父は口だけは豪胆でしが逆境に弱い人で』
隣にいた別の兄弟が付け加える。
『私達がここまで商会を大きくできたのは母のお陰です』
さらに別の兄弟も言う。
『我慢強く、どんなに辛い事が起きても絶対に諦めない人でした。不景気で父の店は何度も潰れそうになりましたが、その度に母の激で奮い起ったものです』
最後に4兄弟の末っ子でサンマルク商会グループで最も業績を伸ばしている男が話す。
『それに教育にも余念がなかった。特に私なんかは厳しくされましたよ』
その話に周りの兄弟も同調。そして男は続ける。
『ですがそのお陰でここまで業績を伸ばすことができました。母にはとても感謝しています』
特に四男への教育は厳しかったという。立派に育って欲しいという母の思いがあったのかもしれない。
このことが切っ掛けで偉人4人を育てた母バーバラ・レッカの名前は巷でも耳にするようになる。
生前年老いたバーバラはビッツ村へ行ってみたいと言ったそうだ。それで家族に連れられクロッフィルンとビッツを往復る旅行をした。この時バーバラは初めてクロッフィルンから出た。
ビッツ村に着いた時、あまり誉めることをしない彼女が一言『良いところじゃない』と村を誉めたという。
☆イグ
リュオにそう言われてイグは思い出す。
5年前、あれはまだクロッフィルンに来て数ヶ月の頃だ。レッカ亭の床で寝ていると朝バーバラに起こされた。
『あなた、本当にフルリュハイト大森林を抜けてビッツ村に行ってるの?父さんや兄さんに気に入られたくて市場で買ってきてるんじゃない?』
『そんなことしたら大損だ』
『うーん、それもそうよね……』
バーバラはイグの身なりを見て納得する。
『ねぇ、今度私も連れて行ってよ』
『ビッツ村はダメだ。フルリュハイト大森林は危険だからな』
『ならオロイツとかヴォッガでもいいわよ』
『それなら構わんが、いつ行くかはわからないぞ』
『ふふ、ならその時まで待ってるわ』
―――――
リュオの言葉にイグは昔を思い出してから答える。
「まぁ……、そうかもしれないな」
(もしかしたらアイツは俺が外に連れて行くのをずっと待っていたのかもしれない。 ……そんな訳ないか)
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