第32話 心境の変化
足止めを食らった丘を出発してから多くの人や荷場馬車とすれ違った。トンネルを掘る作業員や掘削するための器具を乗せた荷馬車、それから作業員に食料や物資を運ぶ荷馬車。既にクロッフィルンでもトンネルが塞がったという情報は出回っていたのだ。
道の譲り合いで時間はかかったが2日後の夕方二人はクロッフィルンに到着した。
そして現在、イグとリュオはレッカ亭に来ている。
この店はイグの知り合いの行商人が良く顔を出す。だから情報集の場としては最適だった。
店内のホールにはアンドリックの妻のテレッサが立っていてバーバラの姿はなかった。
イグが商売仲間ら最近の情勢を聞いて戻って来る。
「すまん。待たせた」
「ううん」
一言詫びるとイグはリュオの隣りに座る。
「それで聞いたところによると」
「ふふっ、聞こえてたからわかってるよ」
「そうか……、お前の耳は本当に便利だな」
「でしょ」
リュオはにっこりと笑った後、真面目な顔をする。
「どこの商会も鉄鉱石の在庫はないみたいだね」
「ああ、以前の値上げが原因で鉄鉱石を卸す商人が減っていたのが影響してるな」
「商会が各家を回って使い古した鍋とかドアの金具を買ってるって言ってたね」
「そうだな。トンネルが埋まった情報も入ってるし、ヴォッガの鉄鉱石が当てにならないのだろう」
リュオはニヤりと笑う。
「高く売れそうだね」
「はぁー、お前、落ち着いてるよな」
「イグはそわそわしてるね」
「そりゃな。お前の肝っ玉を分けてもらいたいくらいだよ」
イグとリュオは顔を合わせクスクスと笑う。
二人は明日、ヘイメルシュタット商会に鉄鉱石を売ることを決めた。
客足も減った頃、厨房にいたアンドリックがイグ達の席に来た。
「よう、イグ」
「アンドリックさん」
「もうクロッフィルンを出たと思っていたぜ」
アンドリックは酒を飲みながらイグの席に座った。
「それが色々ありまして」
「そうか、だが街を出るなら早い方がいいぞ。この街は戦場になる」
「そのようですね。……ところでバーバラは?」
「ん?ああ、妹なら今朝からサンマルクの家に住むことになったんだ」
「結婚はまだ先のはずじゃ?」
「前から先方に早く嫁ぐよう言われてたんだよ」
「……そうでしたか」
イグは静かに酒を飲みしんみりする。
「お前に嫁にやれなくてすまなかったな」
アンドリックも酒を呷りしんみりした。
「あいつも何だかんだ言ってお前に嫁ぎたかったようで、ここまで先延ばしになっていたんだがな……」
「俺じゃバーバラを幸せにできない。自分の身の程はわきまえていますから……」
アンドリックは流し目でイグを見詰め静かに語り始める。
「本音を言えば妹はお前に合わないと思っていた。お前がダメだって意味じゃないぞ。お前はよくやっている。だが行商人は家もないし生活は過酷だ。我が儘なあいつのことだ。直ぐに音を上げる。長くは続かないだろう」
「はは、殆ど野宿ですからね」
「だがらこれで良かったんだよ」
イグはバーバラから「一緒に行商人をやりたい」と言われた。彼女に縁談の話が来た時のことだ。
イグはそれを「すまん」と断った。
アンドリックは賛成も反対もしなかったが「親戚連中は反対するだろうな」とだけ二人に伝えた。
イグはバーバラのことが好きだった。彼女のような美人で気立ての良い女性を嫁にできたらどんなに幸せかと思った。
何度か一緒に行商をしていれば違った答えが出たのかもしれない。もしくは体の関係があれば二人の恋は燃え上り違う結末を選んだのかもしれない。それか彼が何も知らない若者だったら、好きな女を幸せにするために何でもしてやると気炎を吐いたのかもしれない。
イグは悩んだ。
いや……、以前からずっと悩んでいた。
乞食(こじき)を経験した彼は現実の厳しさをよく知っている。
自分は家を持っていない。そしてこのまま行商人を続けても一生家を買えないこともよく理解していた。
毎日野宿する日々。冬の野宿は凍死しそうな程寒い。それに子供はどうする?産まれても育てる場所がない。そんなことをたくさん考えた。
バーバラの婚約者、サンマルクは食料品店の長男だった。家も店もある。バーバラの将来を考えればサンマルクの家に嫁ぐのが一番良い。
イグはそう結論を出し自分の気持ちを押し込めてしまったのだ。
レッカ亭を出て宿へ向かう途中、二人は歩きながら話しをする。
「イグ……、イグってバーバラさんことが好きだったの?」
そう聞かれてイグは少し悩んだ。確かに好きだった。自分のモノにしたいと何度も思った。
だが諦めてしまった。自分から彼女を手放してしまった。それは本当に好きと言えるのだろうか。
「……さあな」
「教えてよ。……それじゃ、結婚したいと思ってたの?」
リュオはさっきのイグとアンドリックの話が気になってしょうがなかった。
その問いにイグは暫し沈黙してポツリ漏らす。
「バーバラを嫁にするのが夢だった」
「……そっか」
「だが俺には家がないだろ。嫁にもらったって苦労させるのは目に見えている」
「なにそれ。苦労させればいいじゃん!夫婦なんだから一緒に苦労すればいいだよ!」
そう言われて14歳の小娘が何をわかっているとイグは思った。
「お前な……。だいたいバーバラにそんなこと、……お前ならともかく」
そこまで喋ってイグは口をつぐむ。
「アタシはするよ。イグと一緒に苦労したい!」
リュオはイグの腕に自分の腕を絡ませ切ない表情で身を寄せる。
二人は暫く無言で歩いた。
イグが不意に呟く。
「歩きにくい」
「むっ」
リュオが寄りかかって歩くからイグは歩きにくかった。
こんなにアピールしてるのに、わかってもらえず彼女は頬を膨らませてイグの腕を放す。
イグにリュオの気持ちが伝わっているか否かは不明だが、彼は何か答えを出しかけていた。
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