第20話 ウィンドウショッピング
二人はオルトハーゲンと荷馬車を宿に預け、その後イグの知り合いの両替商から近年、利益率が良い商売のネタを聞いた。
アトラス大陸最東端の街エネルポートではメリア王国からシルクの生地や服が盛んに輸入されていて、それがアトラス大陸を横断してブリトリーデンまで運ばれる。街から街へ運ぶだけで値は上がる、とういう話しだった。
それと以前、釘を仕入れた直後からエスニーエルト伯爵の傭兵のせいで鉄の相場が上がったことをイグは気にしていてその話しも聞いた。現在鉄市場は品薄ではあるが落ち着きを取り戻し徐々に値下がり傾向にあるということだった。
そして現在、二人は街中を歩いている。歩きながらイグは思考を巡らせる。
(生地か……、生地の知識なら多少ある。下積み時代に親方から教わった。俺の財産は今日の売上げと貯金を合わせてウルマーク銀貨300枚程だ。この額で麦や野菜を仕入れても量が多すぎて荷馬車に乗りきらない。ただ生地の商売を始めるには少し資金が足りないな。荷馬車を持て余してしまう)
この時代、服は非常に高価だった。
イグが着ているベージュ色の仕立ての良い麻のワイシャツと焦げ茶色のベスト、ズボンはそれぞれが銀貨20枚程で買ったものだ。リュオが着ているベージュ色のワンピースも目は粗がそれでも銀貨8枚程の価値がある。
因みにイグの相棒のオルトハーゲンの購入金額が銀貨80枚だったことを考えれば、如何に生地が高価なのかが理解できるだろう。
イグの所持金、銀貨300枚で生地や服の行商を始めた場合、仕入れられる服は多くて30着程度でそれを荷馬車に積んでも荷台にはかなりスペースが空いてしまう。
(……まぁ東を目指すというのは悪くないかもな。エネルポートに行けばメリア王国の情報を聞けるし、もしかしたらベルダンの情報も。それにあそこには獣人がたくさんいる。リュオも将来は誰かと結婚するだろうし、こいつが生きていくのには良い土地かもしれない)
イグは隣りを歩くリュオを見て溜め息交じりに微笑んだ。
「やはり生地の商売はまだ早いか……」
イグは呟く。
リュオはレッカ亭を出てからずっと黙り込んでいた。商売のことで頭が一杯になっていたイグがいい加減そのことに気付き彼女の顔を覗き込む。
「……リュオ?」
「えっ?うん、ごめん」
「どうしたんだ?昔の記憶を思い出したのか?」
「うんん。違うの」
リュオははにかんで微笑んだ。
(さっきから上の空だな。どうしたんだ?)
イグはレッカ亭での出来事を全く意識していなかった。
しかしリュオはその事をずっと考えている。バーバラが言ったリュオを蔑むような言葉はどうでもよかった。そんなのは昔からビッツ村でたくさん聞いてきたし、あの頃の残酷な言われ様からすれば大したことはなかった。
リュオが気にしたのはバーバラの遠慮のない物言に対してイグが優しく親しそうに話す声色。それとイグの言葉、『恩人の大切な子供を暫く預かることになった』だった。
それは嘘ではない。嘘ではないがもっと違う言い方をして欲しかった。
街を歩いていると、服を売っている店や露店が並んでいる場所に出た。
二人はここにリュオの服を買いにきた。
「さぁ着いたぞ」
「ほんとに買うの?」
「ああ、さすがにもう一着ないと困るだろ」
「この時期は寒くないし、これ一着あれば大丈夫だよ」
「洗って干すときに着る服がない」
リュオは少し困った顔をして遠慮をするが、イグは顎を上げて澄まし顔で彼女を説得する。
「イグのシャツを借りるから平気」
イグは長袖のワイシャツを2枚持っている。ワンピースを洗って干している時はリュオはそれを借りて着ていた。
「まぁそれでも構わないがこれから長い旅になる。破れた時の事を考えたらあった方がいい」
「うん……、わかったよ」
リュオは困り顔で微笑む。
二人は服屋を見て回った。
リュオは今までに見たことが無い様々な種類の服を見て、落ち込んだ気持ちを少し晴らしたり、バーバラが凄くお洒落だったことを思い出して、自分が着ている飾り気のない服を見てまた少し落ち込んだりしていた。
何件目かの店でイグが無精髭を撫でながら店内の品を見ているとリュオが彼のシャツの裾を引く。
この店はテント型の露店ではなく、一階が店で二階が住居になっている店舗だった。
店内は広く、売り場のスペースが15畳くらいある。扱っている服の量も多かった。これだけの服があればこのクロッフィルンでもう一軒家が買えそうだとイグは思った。
「ねぇイグ、見てもらいたい服があるの」
「ん?どれだ」
リュオに引かれ移動すると中古の生地や服が乱雑に置いてある売り場台へ連れて行かれた。
「これなんだけど」
「ふむ。麻に似てるな?だが目が細かい……初めて見る生地だな」
イグはリュオに渡されたワンピースを手に取り広げて見る。ピンクベージュ色の生地を白い糸で仕立て胸元には焦げ茶色のリボンも付いている。
リュオは店主の目を盗んでイグの耳元で囁く。
「それ綿だよ。メリア王国の南の方ので作られている生地」
「なっ……」
イグは顔を近づけ、その生地を食い入るように見ながら考える。
(綿はアトラス大陸の南側でも栽培されている。高級ソファーのクッションに使われる素材だ。繊維が細かすぎて服の生地としては使用されない。……確かに糸の繊維が麻よりも細かい。
ボロになった中古の服と一緒に売られてるな。同じ扱いなのだろうか?)
「リュオ」
「ん?」
「買うのはこの服でいいか?」
「うん。……でも高いんじゃない?」
「まぁ任せとけ」
リュオは不安そうに首を傾げ、イグは自信あり気に微笑んだ。
イグはその服が置いてあった売り場台を見渡す。それから手に持っていた服をいったん台に戻し、同じ売り場台の中から別の安そうな麻の服を手に取る。
「店主ッ」
「あ?いいのはあったかい?」
店頭に立っていた店主がイグに呼ばれて店の中に入って来た。
立派な髭を生やした40代くらいの男だ。
「この子のサイズに合う安い服を探しているのですが、これはおいくらですか?」
「それだと……、ウルマーク銀貨7枚とオクス銅貨30枚ってとこだな」
オクス銅貨はこの辺りで流通している貨幣。65枚でウルマーク銀貨1枚と交換できる。
「うーん。この品にしては少し値が張りますね。けれど予算内ではあるな……」
「おいおい、あんちゃん。うちは安い方なんだぜ」
店主は片方の眉をひそめ、口元には笑みをつくった。
「まぁそれくらいの金額で抑えられれば即決したいのですが……」
イグは売り場台を見渡し他の服を手に取っては置く。
店主はやれやれといった表情でそれを見ている。
「少し汚れているが、この色なんかよさそうだな」
イグはわざとらしく呟くと先程リュオから教えてもらった服を手に取った。
「店主これは?」
「ん?ああ?んんー、買ってくれるなら同じ額でいいぞ」
「そうですか、ならこれと、……あと店頭にあった帽子をいただきたいのですが」
「どれだ?」
横で一緒に話を聞いていたリュオも二人に付いて店頭に移動した。
「この帽子なんて似合いそうなんだが」
イグは店頭に置いてあった帽子を手に取り、リュオの頭に巻いてあった手拭いの上に乗せる。
それはアイボリー色のベレー帽で青い糸で花の刺繍が入っていた。
「サイズも合いそうだ」
「綺麗なお嬢ちゃんによくお似合いだ」
「ええ、そうですね。髪の色とも良く合う」
イグと店主はお人形の様に大人しくしているリュオの顔を二人で覗く。
「これも買おうと思うのだが、どうかな?」
「可愛い?」
リュオの灰色の長い髪と青い瞳、落ち着きのある目元に可愛い鼻と控えめな口元、そして小さな顔、誰がどう見ても美少女だ。それにこのベレー帽。
イグは顎に手を当て真剣にリュオの顔を眺めながら答える。
「まぁお前は元がいいから何を着ても似合うと思うが、俺は好きな感じだな」
リュオは白い頬を桃色に染めて俯いた。
「……この帽子、……欲しい」
「銀貨2枚だな」
その呟きを聞き逃さなかった店主はニヤニヤ笑いながら言う。
「それならこの見目麗しい少女に負けて、ワンピースと合わせてウルマーク銀貨9枚でいかがでしょうか?」
「ああ?……ちッ、それでいいよ」
イグと店主は笑い、リュオもレッカ亭の出来事を忘れ微笑んだ。
店を出た後、二人は歩きながら話す。
「綿の服というのは初めて見たな」
「前世でアタシが住んでいたメリア王国の街では売られていたよ」
「これはメリア王国から輸入された品なのかもな」
「うん。麻よりも10倍くらい高い値段だったからお金持ちしか買わないけどね」
「なっ、えっ!これが……っ? シルク程の価値じゃないかっ!」
「そうだね。シルクと同じ高級品。価値の分かる人に売る?」
イグは腰を抜かすほど驚きリュオはクスクスと笑った。
この服が10倍の値段であれば銀貨75枚で売れることになる。それはイグが麦を売って得た利益よりも多い。
「……いや、やめておこう。この服はお前によく似合う。売るのは勿体ない」
その言葉を聞いてリュオは嬉しそうに顔をほころばせ、イグの手を取り二人は手を繋ぐ。
そして彼女は呟く。
「イグ、……ありがとう」
「一度宿に戻るか」
「うん」
こうして二人は宿へ帰った。
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