第5話( 四 )
カフェレストランに警官が来たのは、もう午後の4時をとっくに回った時間だった。やって来たのは、公園駅口にある交番に駐在している木谷巡査だった。彼は定期的に公園内も巡察しているので、私も顔見知りだった。
カフェレストランのオーナーである青山二郎は商売柄親しいようで、相手がよく分かっている人で良かったと言った。
「警察の人が来ると言ったので、でっきり刑事さんが来るのかと思ったよ」
「はは、残念でしたね。ドラマじゃないですから」
木谷巡査が小さく笑った。
「木谷さん、さっきのあれは何だったの。僕たちは溺死事件の新犯人が捕まったんじゃないかと、噂話をしていたんだ」
私が横から話しかけた。
「あれは全く関係ありませんよ。今頃はマスコミにも情報が流れている筈です。実は、あの男がLSDを売っているとタレ込みがあったので、しばらく前から見張っていたんです。そこに源さんの溺死騒ぎがあったから、気取られない内に早く逮捕することになって」
「じゃぁ、やっぱり源さんは、酔っ払って池に落ちたのか」
店の中の誰かが言った。
「救急病院の先生も死因は水死で間違いないと言う話で、不審なところは何もありませんよ。だから司法解剖もしないことになりました」
木谷巡査ははっきりと言った。
「それじゃ、この後はどうなるの」
源さんは浮浪者だ。この後の扱いが気になって聞いてみた。
「遺体は病院にそのまま安置してあります。今は私の方で、ご遺体の引き取り先を探して、ご家族に連絡を取り始めた所です」
「亡くなられた奥さんの実家には連絡がついたのかな?」
青山二郎が聞いた。
「はい、源さんは生活保護を受けていたので役所に記録があって、連絡しました」
でも木谷巡査は顔を曇らせて、相手はけんもほろろだったと言った。当主の義兄が言うには、父親が生きていた時代に不義理を働いて、籍を抜いて縁を切った。死体は勝手にそっちで処分してくれと。息子が一人いるはずだったが、全く教えてくれなかったらしい。
「それは、困るね」
青山二郎が同情するように言った。
「それで困っていると、後からお手伝いさんから連絡があって、色々話が聞けました。その人の話を詳しく聞くと、実家の人が冷たいのも無理がないと言うか、ここにいる皆さんだから話すのですが」
「そうだよ。本当に弔いに行くのは、ここにいる人間だけだろうよ」
誰かが言って、周りで賛同の声が上がった。
「そのお手伝いさんはどんな人なの」
青山二郎が聞いた。
「なんでも、源さんが経営していた建築会社の経理だったそうです。会社が潰れた時に行くところがなくて、奥さんに泣き込んで実家の家政婦にしてもらった。だから奥さんには恩返しをしたいと考えていた。それが急に死んでしまった。何か自分にできることがあればと思って連絡したと言う」
「お手伝いさんがいくら同情してくれても、家族が反対しているようじゃ、どうしようもないね」
「でも実家は地元の名士と言う話ですよね。それなら、あまり冷たくすると田舎じゃ外聞もあるんじゃないですか」
あまりに冷たいように思えて私は思わず口を挟んだ。
「なんでも、潰れた会社を整理するのは本当に大変だったらしいですよ」
木谷巡査は答えた。確かに他人の債務を肩代わりすると言うのは並大抵では無いだろう。
その話によると、資産家の親父さんでも危うく財産を潰しかけたと言う。やっと帰って来たと思った娘は、男に無理をさせられて酷く体を壊している。最初から結婚に反対していたから、親父さんの怒りは大変なものだったらしい。奥さんの兄さんにしても、自分が相続するはずの財産が失くなった訳だから、そりゃ息子さんに冷たく当たったはずだ。同じ年頃の従兄弟の兄妹もいたが、その子供達にしても、やっぱり自分達の家庭を壊しに来た敵にしか見えない。それで息子さんは随分イジメられたと言う話だった。
「それでも息子さんはどう思っているのかな。何と言っても、実の父親なんだし」
私がまた口を挟むと、木谷巡査は淡々と話を続けた。
「理由はどうあれ、自分と母親を置いて出て行った相手だからね。何より母親の体調が悪くなるにつれて、父親の所為だと恨んでいたそうだよ。もう顔も見たくないし、もし大きくなって父親に会ったら、きっと殺してやるって。それで母親に随分諌められていたそうだ。高校生の時には、もう手がつけられないほど荒れて、母親の言うことしか聞かなかった。それでも大学を卒業して、就職する頃にはなんとか落ち着いて、これからは母親を楽にしてやりたいと話していたと言う。それが急に母親が死んでしまって、相当ショックを受けたんじゃないかな」
何とも辛い話にみんなが黙ってしまう。
「それで、息子さんには連絡がついたのかな」
それまで黙って聞いていた里見清史郎が聞いた。
「卒業した大学が分かったので、就職先を聞き出して、電話を入れました。ちょうど東京と千葉へ出張中だと言うので、会社から連絡をつけるようにお願いしています」
「なんとか連絡をつけて、源さんの死に顔を見せて上げたいなぁ」
身の上話を聞いたせいか、私は何とか円満な決着を期待してしまう。
「それはどうかな。顔を見れば知らないじゃ済まない。このまま全て知らない方が、彼にとてっては良いかも知れないよ」
里見清史郎はそんな私に冷静に答えた。
青山二郎が、木谷巡査に少し待っているように言って、預かっている荷物を取りに行った。しばらくして戻ってくると、手に信玄袋のような物を持っていた。袋は小さかったが、何やら少し重い感じだ。何が入っているのだろうと私は気になった。
「木谷さん、中身は一緒に確認しながらお渡ししたいのだが」
「了解です。流石にここで開けるわけには行かないでしょう。交番まで来てもらって良いですか」
木谷巡査が答えた。
その場にいた人間はみんな一緒に見るつもりだったので、がっかりした顔をした。特に私は、職業的にもこの成り行きに強い関心があったので、あからさまにがっかりした様子を見せたのだろう。青山二郎が笑いながら、後で自分が話してあげるからと言って出て行った。
里見清史郎が何を思ったか、出口のところで木谷巡査を掴まえて、小声で何かを聞いて頷いていた。
青山二郎たちが出て行くと、その場に残っていた常連客も散らばって出て行った。常連客に交じって話を聞いていた若い男は、少し離れた席に座ってまだ残っていた。誰が聞いても楽しくない話に、若いだけあって影響を受けたのだろう、とても暗い顔をしている。
すると、バイトの修くんが私の所に寄って来て、前の晩に源さんに酒を奢っていたのは、あの若い男の客だと耳打ちをした。
「やっぱり自分が奢った酒のせいで人が死んだら、気持ちがいいわけないですよね」
「何を言ってるの、それを言ったら、客の残り酒を分けた修くんも同罪だぜ」
私が返すと、修くんはそれを言わないでと言って、私から離れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます