第3話( 二 )
その日も良い天気で、公園の広場ではピエロの姿をした大道芸人がジャグリングを見せていた。
仕事の合間の気分転換で、私は池の周りを散歩していて、遠くからそれをボウっと見ていた。アベックや子供連れの家族が遠巻きにして熱心に見ていた。
その横の露店では、似顔絵描きの男が客が来ないのか暇そうに、やっぱり大道芸人の方を見ていた。
その男はとても芸術家には見えない貧相な中年男で、何回か似顔絵を描いているところを見たが、とても上手いとは思えない仕上りだった。それでも客がつくとやっぱり嬉しいのだろう、上機嫌に描いていた。描き終わった作品は厚地で吸取紙のような台紙を添えて丁寧に包んで渡していた。
一緒に置いてある絵葉書と違って似顔絵は値段が高くて、自分ならとても頼む気にならないと思った。物好きな客がどれ位いるのか分からないが、未だに潰れずにやっている。それどころか一度公園の外で、派手な外車に乗っているのを見かけたことがあった。
見ていると、何やら新しい客がついたようだった。少し顔色が悪そうな痩せた若い男で、とても似顔絵を描いてもらいそうな行楽客には見えない。不思議だなと思って見ていると、広場で賑やかな笑い声が上った。
大道芸人がワザとジャグリングを落として見せたのだ。何回も見ていると、人を笑わせるタイミングが分かって来る。上手く捌くだけではダメなのだ。
その時、源さんが神妙な顔をして、池沿いのベンチに座っているのが見えた。前々から源さんには興味があったので、私は横に座って声をかけた。
誰かに聞いたが、源さんは生活保護を受けているので、最低限の暮らしの助けは受けているという。近くに寄っても臭いということはなかった。
「どうしたの源さん。何か神妙な顔だね」
源さんは私の方を向いて、気分を改めたように笑い顔を作って見せた。
「先生かい」
私が物書きをしているのを人から聞いているのだろう。源さんは私をいつも先生と呼んだ。
「いやね、知り合いが死んだんだ。連絡があってね。前から体調が良くないとは聞いていたけど、みんな死んでいくなって思ってね」
源さんはしんみりと答えた。
「お亡くなりになったのは、源さんのご家族なの?」
「ああ、もういいかな、話しても。みんな亡くなるもんね。俺が生きていた証拠なんて、今に消えてしまうから。死んだのは、別れたかみさんなんだ」
「他に家族はいないの、お子さんとか」
私は続けて聞いた。ぶしつけにならないか心配だったが、前々から彼の生活に興味があったのだ。
源さんが、うーんと言ってから話してくれたのは、次のような話だった。
源さんこと『田口源太郎』は岩手県盛岡市の出身で、バブルの頃には盛岡で建築会社を経営していた。若くて向こう息が荒く、生きのいい親分肌だった。会社は順調に軌道に乗っていた。
両親は早くに死んでいて、兄弟もいなかった。幼馴染の奥さんと、奥さんの父親の反対を押し切って、駆け落ちするように結婚した。奥さんの実家は地元でも有名な資産家だった。
最初は嘘みたいに全てが良かったが、信頼していた部下に裏切られた。バブルが弾けると会社は負債を抱えて倒産した。
どうしようも無くなって、これまで縁が切れていた奥さんの父親に、頭を下げて助けてもらった。その条件が自分が家を出て縁を切ることだった。子供は男の子一人だったが幼かった。奥さんも無理をさせて体を壊していた。自分の責任だと思い切った。
それから独りで東京へ出て来た。日雇い労務者として建設現場で働いた。真面目に働いていると、現場監督に認められた。その会社の専属雇いとなって生活が安定した。でもそれも10年は持たなかった。その会社がやっぱり潰れたからだ。
もうそこから希望が無くなって浮浪者になった。何か一気に気持ちが楽になった。もう無理をする必要もないと分かったからだ。
その間、家族に連絡はできなかった。3年前に新宿の公園で倒れた。救急車で病院に運ばれた時、都の職員が元妻に連絡をした。それで元妻から手紙が来た。
その手紙には、源さんと別れた後の生活が綴られていた。今でも体調は優れないらしかった。実家に戻った母子は生活に困らなくなったが、肩身は狭かった。なにせ厳しい義父だった。でもその義父も昨年死んだと言う。
「昨日、そのかみさんが死んだと連絡があったんだ」
「お子さんとは連絡を取らなかったの」
「大阪の大学を出て、去年の春には就職したはずだ。でも自分からは連絡は取れないよ。自分の所為で会社を潰したのに、借金もみんな人任せにして、何もかも捨てて出て来たんだ。それが約束だった。今更、子供に合わせる顔は無いよ」
「でも奥さんが生きている時は、たまには連絡していたんでしょう」
「3年前に入院して連絡が来る前も、何回かは手紙を出して仕送りの真似事をしたこともあった。でもかみさんの実家はすげえ金持ちで、何をやっても敵わないんだ。本当は一旗あげて、見返したいと頑張った時もあった。でもダメだった。今は綺麗さっぱり忘れてしまって、お天道さまの下、真っさらな生活さ」
源さんは自嘲の笑いを浮かべた。
「篤、、いや、息子は頑張っているらしいよ。俺なんていないと思って頑張っている方が、あいつのためなんだ。後はみんな死んでいって、俺が生きていた証拠も無くなって、みんな消えて行くのさ」
源さんはそう言うと、ベンチを立って離れていった。
私も何やら少し寂しくなって、仕事場にしているテラスに戻ると、少し早かったが、ウイスキーのミニボトルを買って、水割りを飲んだ。日が高かったが、新緑を渡って来る風は穏やかで心地よく、やっと落ち着いた気がした。
近くの席に、先程似顔絵を描いてもらっていた若い男が、同じように酒を作っていた。空いたミニボトルの横に、透明な包装袋を開けて似顔絵が置いてあった。そして一緒に入っていた台紙を丸めて、マドラーがわりにしてかき回していた。
「マドラーならありますよ」
私は自分のマドラーを差し出して言った。常連客としてはやっぱり美味しく飲んで欲しい。
その若い男は、キョトンと、声をかけて来た私の方を見た。そして言っている意味がやっと分かったのか、面倒臭そうな顔をした。
「もう終わるからいい」
男はそう言いながらも、掻き回す手を休めなかった。丸めた紙に水が染み込んでくたくたになっていた。最後はそのまま溶かし込むかのように強く掻き回して、一気に水割りを飲んだ。
私が見ているのが気に食わないのだろう。プイと立って出て行った。テラスから出る時に階段の手すりに掴まったが、何やらバランスが悪くフラついていた。立つ時に握りしめた似顔絵をクシャリと潰すと、出口の横のゴミ箱に捨てていった。
私は気を取り直して座り直すと、池の方を見て源さんの姿を探した。幸せそうなカップルや子供を連れた家族が、陽光の中を散策している。仕事途中の背広を着たサラリーマンか、ベンチで寛いでいる姿もあった。公園には色々な人生やドラマがあるが、今はまだ幸せな黄色い陽光が、一面に広がって見えた。源さんの姿は見えなかったが、源さんにも幸せな1日を送って欲しいと思った。
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