第36話 相庵警部の事件メモ
そろそろ午後のティータイムを迎えんとする頃、ここ新宿一丁目に残る古ぼけた小さなビルの最上階に看板すら出さずに構えるオフィスで東新宿署の
「
落ち着かない様子の相庵警部をママがたしなめるようにして相手をしていたそのとき、ドアの向こうから賑やかな、いや、むしろ言い合い揉めているような声が聞こえてきた。その会話の内容は彼らが近づくにつれてハッキリとしてくる。
「なんなの、ここって。古いし暗いし、てか今どき階段なんてありえないし、それも五階だし」
「ちょ、ちょっと、もう少し静かにしようよ」
「あんただってそう思ってるんでしょ?」
「だってしょうがないじゃないか」
「あ――もう、あたしがママだったらもっといいところに引っ越してるし。タワマンとまでは言わないけど、せめてエレベーターは必須よ、必須!」
「だから
やがてその喧噪は二人が事務所の前にたどり着くと同時にぴたりとおさまる。続いて三回のノックとともにドアが開いた。元気な声を上げる晶子の後ろでミエルが若干引き気味に挨拶する。
「おはようございま――す!」
「お、おはようございます」
こうして制服姿の二人が現れたのは午後四時を回った頃だった。
「よく来てくれたわね、
ママに勧められて晶子は革製のスツールに腰を下ろと、向かいに座る相庵警部にも小さく会釈した。ミエルは手慣れた仕草で人数分の茶を用意する。自分の湯呑を指さして手を振る相庵警部の分を除いてママに一杯、続いて晶子の前にも小さな湯呑み茶碗を置く。そしてミエルは座らずに立ったままで茶をすすると、ようやっと一段落の大きなため息をついた。
「ミエルちゃんはずいぶんとお疲れのようね」
「今日は散々だったよ。晶子ったらボクの教室まで押しかけて来るんだもん。二年のクセに三年生の教室にさ。挙句の果てにみんなの前でボクのことをミエルって呼びそうになるし」
「あらあら、もう見つけちゃったなんて、明日葉さんもなかなか大したものね」
晶子はすかさずドヤ顔で応える。
「ウィッグなしのミエルのことは前に一度見てたし、一番背が低い三年の男子を探したらすぐに見つかったし」
「ど、どうせボクは背が低いよ。でも晶子だって同じじゃないか」
「フンッ、女子はいいんです、その方がかわいいんです。でも
「う、うるさいな、後輩のクセに生意気だぞ」
まるで学校の教室で繰り広げられるような二人のやりとりを微笑ましく眺めるママに目配せをしながら相庵警部が切り出した。
「よし、みんな揃ったところで俺様からのお知らせだ」
警部の言葉にミエルと晶子は姿勢を正した。
「一夜明けたらいろいろと見えてきたぜ。なあママ、あんた『連盟』って聞いたことあるか?」
「もちろんよ、この街でこんな商売やってればね。徒党を組んだ半グレ集団、できることなら関わりたくないわね、あの手の
「今回の事件はその連盟が絡んでやがった。車の中で死んでた二人な、あれは連中の稼ぎ頭だったんだ。野郎は
ママは言葉を返す代わりに不敵な笑みを浮かべた。それですべてを悟った警部は話を続けた。
「どうやら若松の野郎、そこにいっちょ噛みしようって考えたんだな、店を経営してる
「それとハーブティーと何の関係があるんですか?」
ミエルの問いに警部が答える。
「素人経営の飲食店なんざうまく回るわけないんだ。ヤツはそこに目をつけた。店の経営を軌道に乗せて取り入ろうとしたんだろう、お得意のドラッグを使ってな。そのうえ経営に連盟が絡んでるとなれば周囲の連中も余計なちょっかいなんぞ出せない、まさに虎の威を借るなんとやらって話だったわけだ」
「そうか、ハーブティーって言いながら実は危ないものを出してたんだ」
「その通り。お嬢さんが持ち帰ったあの出涸らしからは案の定複数のアルカロイドが検出されたよ。元々は海外から持ち込まれた単にめずらしいだけのハーブだったがそこに後から違法ドラッグを混ぜ込んで効果を高めてたんだろう。君らが軟禁されてた大久保の倉庫から加工前の茶葉が押収されたんだが、そこからはドラッグらしきものは出てこなかったんだ。どうやら別のルートで仕入れた何かをあの店で調合してたらしい。ちなみに連中が扱ってたのはダウナー系ってヤツでな、さほど強いものではなかったようだがそれでもドラッグだ、味を覚えて足繁く通う客もいただろうよ」
「信じらんない、そんなの絶対に許せない。自分たちが儲けるために人を陥れて、弱みに付け込んで薬漬けにしてたなんて……」
「それでな、若松の野郎なんだが、どうやら中国人マフィアと手を組んでたらしいんだ。君らも見てるんだろ、あの店にいた中国人の娘を」
「忘れるわけないし、あのキツイ目も冷たい唇もお団子ヘアも全部覚えてるし」
「警部さん、それじゃあやっぱりあの二人は殺されたんですか、
「保険でも掛けられて命を以って損失補填ってところだろう。だけどな、こちらの見解では心中ってことになってる。死に方に解せないことも多いんだが、所詮は半グレの内輪揉め、署でもそれ以上の追及はしないってのが暗黙のお約束ってわけさ」
「あんなヤツラ、殺されて当然よ、ざまあみろ、よ」
怒りに震える晶子をなぐさめるように相庵警部は続けた。
「
警部の言葉に事務所が静まり返る。その頃合いを見計らって静寂を破ったのはママの一言だった。
「さて、済んだ話はこれくらいにして、これからの話をしましょうか」
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