第35話 純白のメルセデス、見張り付きのマンション

 靖国通りを曲がってこちらにやって来る一台の車、それは純白のメルセデス・ベンツだった。今となってはクラシックカーと言うべき縦型四灯の放つ光が道端に寄り添う二人を照らす。ゆったりとした走りの大型車が二人の前に停車すると、突然の出来事に驚いた晶子しょうこがミエルの後ろに下がって身構えた。


「なんなのこの車、やたらと大きいし、やけに長いし。もしかしてこれがミエルの言ってたお迎えってヤツ?」

「う、うん、これはママが自慢のリムジンなんだけど、でもこれって大事なお客様のために出す車なんだ。それがどうして……」


 戸惑う二人に運転席から降り立った初老の男性が慇懃にお辞儀をして見せる。


「どうぞお乗りください、奥様と相庵あいあん様がお待ちになられてます」

「えっ、相庵あいあん警部が?」


 ミエルは目を丸くしながらもまずは晶子を車に乗せたが、しかし自分はモジモジしながら乗ることに躊躇していた。すると車の中から命令口調の声が聞こえた。


「どうしたのミエルちゃん、さっさとお乗りなさい」

「は、はい」


 ママの命令に逆らえないミエルは尻の痛みを気にしながらシートに腰を下ろした。


「っ――」


 さすがにあれだけの傷を負っているのだ、さぞかし痛むことだろう。隣に座る晶子も思わずミエルを気遣った。


「おばさん、この子ひどい目にあったんです、倉庫みたいなところで」

「あらあら、拷問でもされちゃったのかしら?」

「そ、そんな言い方ひどいし……とにかくミエルは頑張ったし、ほんとに頑張ったんだから」

「晶子、ボクのことはいいから」

「でも……」


 目の前にはママと相庵警部、彼らと向かい合わせに座るミエルと晶子は十分すぎる貫禄の大人たちを前にして、叱られるのを待つ子供のように姿勢を正した。


「そんなに緊張しなくていいのよ、楽にしなさいな。さて、あなたが明日葉あしたば晶子しょうこさんね。初めまして、私のことはママって呼んで頂戴。こちらに座ってるのは東新宿署の相庵あいあん警部、ちょっと強面こわもてだけど頼りになるおじさんなのよ」


 軽い紹介に続いてママはミエルと晶子の労をねぎらいながらその後の顛末を事務的に話した。


「まずはお疲れさま、二人とも無事でなにより。あなたたちが逃げてきた大久保の倉庫ね、あそこは以前から目をつけられてたのよ。失火の警報で消防と警察がすぐに動いたからあとは貞夫さだおちゃんのところのお仕事ね。それに軟禁されてた二人、あのたちも無事に保護されたわよ」


 ママの言葉に相庵あいあん警部が続ける。


「乾いた衣類がかぶせられてたんだが、それでも下着姿で水浸しだ、低体温になりかけてたよ。命に別条は無いんだが今は二人揃って病院のベッドだ。容体が回復したらまずは事情聴取だな」


 そうか、月夜野つきよの望月モチヅキは無事だったのか。ミエルと晶子は安堵の色を浮かべながら二人で顔を見合わせた。


「それで早速なんだけどミエルちゃん、お仕事の成果はどうだったのかしら?」

「それが……その……」


 口ごもるミエルに晶子が助け舟を出す。


「あの、おばさん」

「ママって呼びなさいって言ったわよね」

「あ、あの、マ、ママ、これなんですけど……」


 晶子はママの雰囲気に圧倒されながらもトランクから持ち出してきた出涸らし茶葉を詰め込んだポーチを差し出した。


「これがあの店で出してたハーブティーの出涸らしです。あの倉庫から持ってきたんだけど、あいつらこれを自分たちでこっそり処分してたんです。だからきっと何かあると思うし」

「ふ――ん、明日葉あしたばさんがこれをねぇ、ミエルちゃんではなく……まあいいわ。それでは、はい、これは貞夫ちゃんに」


 ママはポーチの中身を確認するとそれを相庵警部に手渡した。警部も中を確認して大きく頷いた。


久米川くめがわ、車を出しなさい。行き先はわかってるわね」

「承知しております、東中野でございますね」


 そんなママと久米川の会話を聞いた晶子が驚きの声を上げる。


「東中野って、もしかしてあたしの……」

「もしかしても何も、あなたのマンションよ。今日の今日だしね、あなたは面が割れてるでしょうから万一を考えて送ってあげるの。もちろん今夜は護衛代わりの見張りも付けてあげるから安心なさい」


 リムジンはゆっくりと動き出す。すぐにルナティック・インと放置された白いミニバンが見えてきた。そうだ、あの中にはまだ遺体が眠っているのだ。それを伝えなくてはいけない。ミエルと晶子は揃って目の前の大人たちに向かってまくし立てた。


「ママ、警部、あの車の中に……」

待宵マツヨイが殺されてるし。あと男の人も!」

「あいつ、ワカマツカイトって言ってたよ」

「ミエル覚えてるの? あの状況であいつの名前」

「う、うん、それはほら、受験生は記憶力が……とにかく人が死んでるんです、それも二人も」


 会話の意味を察した警部が久米川に停車を命じる。車を降りた警部がミニバンの運転席に駆け寄って中を覗き込むと、すぐさま険しい顔とともにスマートフォンを取り出した。

 二言三言の短い会話を済ませると警部はリムジンの窓を覗き込むようにしてミエルに声をかけた。


「少年、お前らはこの顛末を見てたのか?」


 ミエルと晶子は首を横に振る。そしてルームに潜んでいたこと、壁の向こうから聞こえてきた様子をしどろもどろになりながらもなんとか説明した。


「ったく、お前たちはやり過ぎだ。007もナポレオンソロもあれはドラマの話であってな、現実ではひとつ違えばお前らもああなってたかも知れないんだぞ。とにかくこれからは逃げることを最優先にするんだ」


 そんな言葉に反省したようにうつむく二人に警部は質問を続けた。


「それで少年が聞いたのは話し声だけなんだな。他に何か気になったことはなかったか?」

「はい、なんか揉めてたみたいだったけど、すぐに静かになって……」

「違うし、それだけじゃないし! ミエルも覚えてるっしょ、眉月マユヅキの捨て台詞」

「ん、お嬢さん、何か聞いたのか?」

「ミエルにひどいことしたのも眉月マユヅキで、その人はあたしがやっつけたんだけど、でも後からお店にやってきて待宵マツヨイたちと喧嘩みたいになったんです」

「警部さん、その眉月マユヅキって人なんだけど、中国語を話してました」

「それで眉月マユヅキのヤツ、あたしたちに『子どもは見逃してやる』って言ったし」

「なるほどな、なんとなくいろいろと見えてきたぜ。よし、ここからは警察の仕事だ、君らは帰ってさっさと寝なさい。それとお嬢さん、よく頑張ったな」


 警部はリムジンの窓から一歩下がって敬礼する。ママはその姿に小さく頷くと再び久米川に発進を命じた。

 三人を乗せた純白のリムジンは未明の新宿の街を静かに駆け抜けていく、東中野のマンションを目指して。

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