第27話 バカの開けっ放し

 白いミニバンが真夜中の職安通りを東へと急ぐ。明治通りを越えて抜弁天ぬけべんてん二又ふたまたを右に、そろそろ曙橋あけぼのばしに近づく手前に建つデザイナーズマンション、その建物の前で海斗かいと美緒みおは車を降りた。

 エントランスのオートロックを解除した海斗は彼らが来るのを待っていたかのように待機していたエレベーターに乗り込むとすぐさま二人が暮らす部屋に向かった。


「荷物は必要最小限にしておけ。メイド服も着替えるんだ」

「わかったわ。念のためにノートPCと書類も用意するわね」


 紺色のワンピースの上から薄手のカーディガンを羽織った美緒はメイド服のエプロンに入れていた消音器付きの小型拳銃を取り出すとそれもトートバッグに放り込む。海斗はこれからのシノギに必要な書類を詰め込んだバッグを片手に戸締りを確認すると、最後に分電盤のブレーカーを落とした。


「しばらくは帰れないからな。なあにシノギのネタはあるんだ、すぐに穴埋めはできるだろ」

「そうね、顧客データもこっちの手にあるし」


 舗道に立った二人は周囲に追っ手がいないことを確認するとそそくさと車に乗り込んでマンションを後にした。


「それで海斗、これからどうするつもり?」

「とりあえずどこか適当なホテルだ。当座の金は心配ない、ヒルトンでもハイアットでもお気に召すままってな。ひと休みして夜が明けたら連盟と今後の相談でもすりゃいいさ」


 彼が口にした「連盟」とはこの街を根城にするアウトローたちを束ねる集合体のような組織である。警察が把握する反社会的集団とは異なりその実態は流動的でつかみどころがなく、時に人や金を融通し合ったり連携して助け合うこともあったが、しかしその結束は主に金と力に依るものだった。

 かつてはそれぞれが若くヤンチャな集団に過ぎなかったが、警察の監視や暴力組織からの締め付けに加えて外国人マフィアまでもが乱立するこの街で生き延びるために彼らは次第に横のつながりを強化していく。こうしてできあがった関係性はいつしか「連盟」と呼ばれるようになった。

 そんな集団の中で海斗と美緒のコンビは頭角を現していった。そのさまはまさに経済ヤクザ、今回のドラッグ提供を絡めた土地の転売計画は他の誰にも真似できない野心的なプロジェクトだった。

 しかしそれが今や破綻しつつある。この失態をどう挽回すべきか、海斗の頭は目まぐるしい速さで回転していた。



 シティホテルが林立する新宿西口を目指して車は曙橋あけぼのばし交差点から靖国やすくに通りを西に進む。ちょうど外苑西がいえんにし通りとの交差点で信号待ちに引っかかったとき、思い詰めたように黙り込んでいた海斗が急に声を上げた。


「美緒、店に寄るぞ」

「いきなりどうしたの? それに店って……ヤバいよ海斗、悠然ヨウランたちの手が回ってるかも知れないし」

「一発でもキツいスタンガンを二発も喰らったんだ。それにあの火だろ、ヤツも無事とは思えねぇ、すぐには動けないさ。そんなことよりも俺たちにはやるべきことがあるだろ」

「それってもしかして……」

「権利書だよ、あの店の。あれさえ手に入ればどうにでもできる。美緒がいくら探しても店のバックヤードにはなかったんだ、月夜野つきよの望月モチヅキがいない今なら思う存分家捜やさがしができるぜ」

「確かにあのトロくさいお姫様なら『おじいさまが残してくれた大切な……』なんて言いながら後生大事にしてるでしょうね、それもあの部屋のどこかに」

「だろ? こうなったら悠長なことはやってらんねぇ、とにかくゲットするんだ。あとは連盟で地面師じめんしやってるヤツらも巻き込めばよ、ドラッグどころじゃないデカいシノギになるぜ。なにしろあそこいらには再開発の話が上がってるんだからな」


 信号が青に変わった。海斗は店を目指してアクセルを踏み込む。急にやたらとハイテンションになった海斗だったが、しかし美緒は彼が必死に虚勢を張っているのではないかと妙な不安を感じるのだった。



 場末の寂れた飲食店街に街路灯以外の明かりは見られなかった。ルナティック・インの正面に横付けされたミニバンから海斗と美緒が降り立つ。まずは海斗が様子を伺うも店に人の気配は感じられない。彼は扉の取っ手を握ってみたが、しかしその場で固まってしまった。


「美緒、カギが開いてるぞ。やっぱ誰かいるのか?」

「そういえばあの……ちょっと待ってて」


 美緒はそう言い残すとその場を離れて店の裏へと通じる小径こみちの前に立った。


「どうしたよ、美緒」

「ほら、さっきの有明アリアケよ。チャリで来た、なんて言ってたでしょ。もしここにそれがあったならあの子たちが戻って来てるんじゃないかって思ったの」

「なるほど……で、あったのか?」

「ううん、なかったわ。だからやっぱり誰もいないのよ、さあ行きましょう。とにかく悠然ヨウランが動き出す前に片付けなくちゃでしょ」

「お、おう……しかし、それにしてもあの中国女はカギをかけるって概念を持ってないのかよ」

「あの子の悪い癖よ。今朝だって最後にチャリを使ったのは悠然ヨウラン、だから有明アリアケにチャリを使われちゃったのよ。でもそのおかげでこうして忍び込めたんだから、そこはあの子に感謝してあげてもいいかもね」

「まったく、バカの開けっ放しってヤツだな」

「なによ、それ」

「ことわざだよ。ゲスの一寸、ノロマの三寸、バカの開けっ放しってな」


 そんな軽口を交わしながらも二人は用心深く扉を開ける。店内の暗さに目を慣らせた海斗は足音に注意しながらジャケットからスマートフォンを取り出すとライトの明かりを頼りに暗い階段を上がる。二階から三階へ、目指す月夜野つきよのの部屋に着いた二人は早速手分けして権利関係の書類を探し始めた。

 しかしちょうどそのとき、下階したの廊下を自分たちとは別の人影が横切って行ったことに彼らが気付くことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る