第20話 カーチェイス@歌舞伎町
左ウインカーを点滅させたミニバンの白いボディーが街路灯の光に浮かぶ。
目指す車が二の足を踏んでいる新宿文化センター通りでは深夜の搔き入れ時を狙うタクシーたちが歌舞伎町に向かわんと列をなしていた。そこは信号のないT字路、車列が動き出すタイミングでミニバンは強引に頭を突っ込んではみたものの、しかし彼らもまた渋滞の中の一台となるのだった。
すぐ目の前には目指すミニバンの白いお尻が見えている。が、このまま進んでしまうと追いつくどころか自分が先を越すことになる。晶子はそこで自転車を降りるとライトを消して、つかず離れずの追跡を続けた。
かつては都電の線路だったこの道には車道と歩道を分かつ植樹帯がある。おかげで晶子はうまく身を隠しながら敵の様子を伺うことができた。
どうやらこの先もまだまだ渋滞しているようだ、こんな時間であるにもかかわらず車は進んでは止まりを繰り返している。なかなか進まぬこの状況に業を煮やしたのだろう、ミニバンは強引に右折ラインへ割り込むとそのまま中央線を横切って右へと伸びる路地に鼻先を向けた。
「ちょっと待ってよ、そこで曲がるかなぁ?」
予想外の進路変更に
車は躊躇ない走りで一〇〇メートルはある直線路を一気に駆け抜けていく。必死に、しかし気付かれることがないように距離を取りながらペダルを漕ぐも、晶子との距離はどんどんと離れていった。
やがて再びのT字路、車はまたもやの左ウインカーとともに赤いテールランプを灯す。しかしそこに渋滞はなく、今度はあっさりと曲がってしまった。
「あ――っ、逃げられちゃうし、がんばれあたし、がんばれあたし!」
晶子は気を振り絞ってより一層の加速を試みる。パンパンに張った脚がそろそろ悲鳴を上げようとする頃、晶子はようやっと目指す車に追い付いた。
幸運の女神は晶子に味方してくれているようだ、交差点の信号はまさに今青に変わったばかりだった。ここで少しばかりの足止めを食らっていたミニバンはすかさず急発進、明治通りの渋滞を横目にしながら交差点を突っ切ってこれまた狭い路地に入って行く。そこは直進禁止の交差点、しかしそんなことはお構いなしに車は進む。晶子も左右確認すらせずに前だけを見て突っ込んでいった。
先を行くミニバンは十字路があろうと歩行者がいようとお構いなしに突き進む。やがて周囲の景観に怪しさが増していく。目の前を流れる建物がみな真冬のイルミネーションのように煌びやかなそこは歌舞伎町のラブホテル街だった。
それは晶子が初めて目にする光景だった。シャンパンゴールドの電飾やミントグリーンの間接照明に彩られたネームプレートなどが次々と現れては消えていく。一見すると華やかなデコレーションだったが晶子にとってそれらはただ
前を行くミニバンが通り過ぎた後には必ずと言ってよいほど路肩に身を寄せたカップルたちがわらわらと目の前に現れる。いったい何組の男女が彷徨っているのだろう、とにかく彼らと接触事故でも起こそうものなら厄介なことになる。晶子は右に左にとハンドルを切りながらランダムな人の流れの合間を縫って先を急いだ。
「もうやだぁ。早く終わって欲しいし、こんな道」
目の前ではミニバンがまたもや右折、今度もウインカーはおろか減速すらせずに。それを追う晶子も負けじと後輪を滑らせながら後を追う。
すると背後で急ブレーキに続く激しいクラクション、それは無謀な運転で交差点に進入してきた晶子に行く手を阻まれたタクシーによる怒りの意思表示だった。しかしそんなことを気にしている余裕などなかった。今の彼女なら自分が車に撥ねられたとしてもなお
晶子が右折した先にミニバンの姿はなかった。が、左に道が伸びる小さな交差点が見える。ラブホテルの電飾とホストクラブの看板に囲まれたその角を曲がると、はたしてそこにはジワジワと前進しながら区役所通りを走る車の流れが途切れるのを待つミニバンが見えた。
しかしここでもまた晶子に休む間が与えられることはなかった。一瞬の隙を突いて車は右折する。晶子も負けじと速度を上げる。すると丁度よいタイミングで信号が青に変わった。
「ラッキ――、行っけぇ――!」
ここでもまた減速することなく交差点に進入した晶子の目の前に今度は客を乗せたタクシーが立ちふさがる。そう、ここは五差路、優先道路である左の道からの車が次々と職安通りを目指して右折してくるのだった。晶子は接触するかしないかのタイミングでかろうじて車列をすり抜けると、一旦歩道に退避しながらなおも車を追い続けた。
歩道では終電を逃した酔客の集団が自販機を前にしてたむろしていた。
「お――、いい足してんなぁ」
「ポニテのおねえちゃん、いっしょに飲まなぁい?」
酔いにまかせた連中が好き勝手に晶子をからかう。しかし今の彼女に連中を振り返る余裕はなかった。
「シカトか、コラァ――!」
野太い怒鳴り声とともに衝撃を感じた。どうやら後輪のあたりを蹴られたようだ。自転車はバランスを失って目の前の自販機に接触する。しかし晶子はペダルを止めることなくバランスを取り戻して職安通りの交差点で信号待ちをするミニバンを追い続けた。
背後では「シカトしてんじゃね――よ、ブス!」の罵声が飛んでいたが晶子の耳には届いてさえいなかった。
車も晶子もついに歌舞伎町を走り抜けた。職安通りを越えた先は街路灯もまばらな深夜の住宅街だ。やがて車は速度を落として右に曲がる。晶子は暗い夜道でそれを見失わぬよう、もうひと頑張りしてペダルを踏む。
息を切らせながら晶子が十字路を曲がった先、十数メートルのあたりに白いミニバンが停車しているのが見えた。
「ハァ、ハァ、やっと……やっとアジトを見つけたし」
深夜のカーチェイスが終わった。晶子は肩で息をしながらひとりそうつぶやくと夜の闇に紛れるようにして彼らの動向を見守るのだった。
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