第18話 明日葉晶子の決意

 腕時計のデジタルが正午を示したちょうどその頃、明日葉あしたば晶子しょうこが電柱の陰に身を隠しながらルナティック・インを見張り始めてからかれこれ一時間が過ぎようとしていた。ミエルが店に入るの見届けてから今まで、店にもミエルにもこれと言った動きはない。なんとか無事に潜り込めたみたいだ。あとは自分も自分の役割を確実に果たすだけだ。

 晶子はこの作戦を遂行するために学校を休んでいる。今の彼女にとってはこの店で行われているであろう悪事を暴くのが最優先事項なのだ、なにしろそれが兄の敵討ちでもあるのだから。肩から提げた小さなポーチには、二人暮らしになったばかりの頃に今は亡き兄が護身用にと持たせてくれたスタンガンとミエルから手渡されたスマートフォンが入っている。さあ、準備は万全だ。



 それは一昨日の夜、ミエルと晶子しょうこが英国風パブのスタッフルームで会話したときのことだった。


「私が朝一番で店に入るから晶子は外で待機してて。それで店から出てくるお客の写真を撮って欲しいの」

「でも……」


 その要請に困惑の色を見せる彼女にミエルは学生カバンから一台のスマートフォンを取り出してテーブルに置いた。


「このスマホを使って」


 ビビッドな黄色いボディーのそれをミエルは手に取ると電源を入れてカメラを起動する。そしてその場で晶子の顔を撮影してみせた。


「このスマホって海外製なの。だからシャッター音は鳴らないわ」

「へぇ、こんなのがあるんだぁ。でも美絵留みえるがなんでこんなもの持ってるの?」

「ふふ、私ってこう見えてガジェットオタクなの。今のバイトだって新しい機材を買うためにやってるのよ」


 そんな出まかせを言いながらミエルは晶子にカメラの使い方を簡単に説明した。そして話を続ける。


「とにかく店に来る人は片っ端から撮って欲しいの。シャッターボタンを押すだけだから、ね、簡単でしょ。それで夜になったら二人で潜入しちゃいましょう」

「潜入って……そんなことできるの?」

「できるできないじゃなくて、するのよ。私がお店を上がるときにトイレとか、とにかくどこかの窓のカギを開けておくわ。あとは問題のお茶っ葉を見つければミッション完了、それに晶子が撮った常連客の写真があれば警察だって動いてくれると思う」


 まるで台本が用意されているように淀みなく語るミエルの言葉に晶子は少しばかりの疑問を感じてはいた。しかし今はあの店の謎に迫ることができる期待の方がその不安よりもはるかに上回っていた。こうして晶子はミエルの作戦に協力することにしたのだった。



 午後一時、ようやっと一人の客が店の前に立った。サラリーマン風の中年男性は周囲を伺った後に木製の扉を三回ノックする。すると中から顔を出して男性を招き入れたのは望月モチヅキだった。いささか距離はあるものの晶子は二人の姿を撮ることに成功した。

 それからは次々と客がやって来た。晶子は自分の顔を見られないよう着ているパーカーのフードを被って次々と写真を撮り続ける。ここは少しばかり寂れた飲食店街、幸いなことに昼間からデニムのショートパンツにフードを被ったパーカー姿の彼女の挙動に気を留める者など一人としていなかった。


 午後三時、いよいよ月夜野つきよのが奏でるスピネットの音色が店の外に漏れ聴こえて来た。そろそろ怪しげな宴も終わりを迎える頃だ。

 音色が途絶えてからさらに一時間、午後四時を回った頃になってようやっと客が次々と通りに出て来た。彼らはそれぞれ来た道を帰っていく。晶子はこちらに向かってくる何人かの横顔もしっかりと撮影した。

 その後も晶子は張り込みを続けていた。時間つぶしにこれまでに撮った写真を確認してみる。カメラの性能もよかったのだろう、それらはピンボケすることもなくみな鮮明に撮れていた。映っているのは七人でそのうち晶子が立っている目の前を通ったのが四人、彼らには店に入る前と出てきた時の写真があった。


「これって、なんとなく使用前、使用後みたいな」


 そんな軽口をつぶやきながら二枚の写真を見比べる晶子だったが、急に指の動きを止めた。そして一人の写真を何度も見返していてその違いに気が付いた。画面に映る二つの顔は店に入る前後で明らかに異なっていたのだ。


「疲れたおじさんがスッキリ顔で出て来るって、これってやっぱり……」


 それは晶子がルナティック・インの秘密に気付いた瞬間だった。麻薬か何かだろうか、とにかくそんな類のものをハーブティーと称して提供しているのだろう。そしてどんな経緯かはわからないものの、兄もまたその犠牲になったのだ、と。


「あいつら、疲れてる人や悩んでる人を見つけては声をかけてるんだ。きっと転職がうまくいかないお兄ちゃんにも……それでお兄ちゃんはおかしくなっちゃったんだ。人の弱みにつけこむなんて最っ低! 何がメイドよ、あんなヤツら許さない、絶対に」


 晶子の肩もスマホを持つ手も怒りとくやしさで震えていた。こうなったら何としてでも証拠を掴みたい。やはり茶葉だ、あの店で提供されるハーブティーの残りかすをなんとしてでも手に入れなくては。

 宴が終わってすっかり静まり返ったルナティック・インの扉を見つめながら、晶子はあらためてその決意を固めるのだった。

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