歴史召喚術師

鏡銀鉢

第1話 目撃した主人公



「歴史召喚! 武田騎馬軍団!」


 夜の一一時、中学校のグラウンド。


 街灯も無い広いフィールドの光源は夜空に星月だけ。


 その薄い闇の中、男の叫びに呼応していくつもの影が揺らめき、厚みを増して実を伴っていく。


 俺が驚き、口に手を当てて言葉を呑み込んだ。


 赤い甲冑を着た騎馬武者が何百体も突然現れて、甲冑に月明かりを反射させながらグラウンドを駆けて行く。


 進行方向にいるのは涼しげな空気を纏う絶世の美少女。


 俺と同じ学校の制服を着た彼女へ向かい、男達は怒声を上げながら、馬は嘶(いなな)きながら武士の誇りを掲げるように槍を突き出し、土埃を捲き上げながら大地を疾駆する。


 校舎の影に隠れてその光景を見守っていた俺は助けに入ろうと思った。なのに足は凍りついたままちっとも動いてくれない。


 誰も助けに来てくれない中、それでも少女は慌てず、落ち着いた雰囲気を崩す事なく、両手を前にかざす。


「来たれ魔王の弾丸……織田鉄砲隊!」


 静かな声音を一気に張り上げて、彼女は目を見開いた。


 途端に空間に現れる三人一組の鎧武者達がは数を増やし、横一列に二〇列ほど立ち並ぶ。


 織田鉄砲隊は年々その数を増やしたが、一番少ない、初陣の時でも三〇〇〇人はいたはず。


 明らかに人数が少ないが、それでも前後に三人並んぶ陣形は紛れも無く織田鉄砲隊に他ならない。


 一斉に放たれた鉄の咆哮が騎馬隊の前衛騎をまとめて殺し、それでもその死の風は流れを止めない。


 一人が火縄銃を撃つ間に背後の二人は弾をこめていて、前から二番目の兵がすかさず前へ進み出て撃鉄を落とす。


 最初に撃った兵は新しい弾を込めながら滑らかに列の一番後ろに並んで、精密機械のように、プログラミングされたゲームのキャラみたいに兵達は動き、途切れなく弾丸の嵐を騎馬隊に叩き込んで行く。


 それはまさに歴史の再現、かの有名な長篠の戦そのものだった。


 戦国時代最強と言われた武田騎馬軍団を、剣の使い方も知らない農民が放つ銃弾が撃ち崩していく様は悲劇としか言いようがない。


 何十発もの弾丸が一斉に何度も、何度も放たれ、その度にモノノフの魂が散っていく。


 落馬し、血に溺れながら、それでも刀や槍だけは決して離さない騎馬武者達はその場に残る事なく、馬やグラウンドの土に染み込んだ血ごと虚空に掻き消え、幻だったように跡形も無くなってしまう。


 そしてついに最後の騎馬が糾弾に倒れた時、全ての銃口が男へ突きつけられた。


「や、やめっ」


 鉄の突風に吹き飛ばされて、男はグラウンドに真っ赤な花を咲かせる。

 だが、その男だけは消えず、血溜まりを広げたまま動かなかった。


 マズイ。


 本能で分かる。

 これは見てはいけなかったシロモノだ。


 俺の一五年間の人生全てのピンチを合わせたってこの状況とは比較にならない。


 これが中二病患者なら無いと知りつつも願ってきた非日常ファンタジーへ飛びこみ、今すぐあの美少女の元へと駆けつけ仲間にしてくれと頼んだだろう。


 逆に超現実的なガリ勉野郎なら勉強のし過ぎて幻覚を見ているんだと思って無視するだろう。


 けれどどちらでもない、宙ぶらりんな俺はどっちにもなれない。


 この状況を嬉々として喜ぶ事も、幻覚だと無視も出来ない。


 ただただ、平和な日常を脅かすトラブルに恐怖するだけだ。


 額から嫌な汗が流れて、高校の制服は背中にぴったり張り付いている。


 校舎の影に隠れたまま、俺は振り向く事もせず、ゆっくりと背後へ下がる。


 音を立てないよう、ゆっくり、ゆっくり、視線は彼女に合わせたままに。


 血まみれの男を無感動に眺め、駆け寄ろうともしない彼女から、俺はどうしても目が離せなかった。


 当然彼女の美貌に見惚れて、なんていう平和な理由じゃない。


 安全地帯に逃げる前に視線を外すと、その瞬間彼女が死角から襲って来そうな感じがしたのだ。


 つまり、監視だ。


 俺のオヤジが編み出したかくれんぼの必勝法『鬼をストーキング作戦』だ。


 危険人物から隠れる一番の方法は対象を監視する事なのだ。


 それでこそ、自分に危険が及ぶ行動を取って来た瞬間に対応できる。


 とは言っても、彼女ほどの危険人物に対応する術なんて持っていないが、気持ちの問題だ。


 少年時代、ついに一度も使わなかった必勝法を、今殺人鬼に対して俺は使う。


 校舎から離れ、彼女の姿が逆に校舎に隠れて完全に見えなくなる。


 それでもその方向から彼女が走り込んで来たらすぐに分かるよう道から目を離さない。


 そうして、校門の近くまで来てから俺は一瞬で振り向き、大きく一歩を踏み出した。



「どこへ行くの?」



 心臓が止まった。

 背後から肩を掴まれ、呼吸すらできない俺は力づくで、ぐるんと反転させられた。


 鋭い視線と目が合って、死に物狂いで目を逸らした。

 するとそこには月明かりに輝く刃。


 日本刀だ。

 正真正銘の、紛れも無くカタナが彼女の手に握られている。


 いつのまに!? と聞いてやりたいが織田鉄砲隊を召喚するようなファンタジー殺戮姫の事だ、これも何も無い空間から取り出したのかもしれない。


 

 キリング・ジャック



 最近ネットやクラスで話題の殺人鬼の名前が浮かぶ。

 先月、俺らが入学式を終えた次の日からニュースで話題となった大病院での惨殺事件。


 一夜のうちに入院患者三三人、当直の医師三人が鋭利な刃物で斬り殺されていたという残酷な事件を引き金に、同じような事件が週に何度も起きた。


 死ぬ人数は数十人から数人まで幅があるが、鋭利な刃物で首や胴体を切断され死んでいるという共通点から同一犯の犯行だとニュースでは言っている。


 被害者は既に一九六人、この余りに非現実的な事件から、ネットでは『キリング・ジャック』というタイトルで、日本刀を持った殺人鬼のイラストが何枚もアップされて、キリング・ジャックに関する掲示板がいくつも立っている。


 そんなまさかと、最初は笑い飛ばしていた俺だが、最近はそうも言ってられない、なぜならば犯行場所を線で結ぶと、徐々にキリング・ジャックは俺の住むこの町に近づいていて、二日前に起こった事件は隣町だった。


 途端に彼女が巨大化する。

 いや、俺が尻餅をついて彼女を見上げているだけだ。


 白刃が俺の首元にヒヤリと当たって血の気が一気に引いていく。


 なぜ? どうして?

 止まりかけた思考で俺は全世界に疑問を投げかける。

 本当に、何がどうしてどうすればこんな事になるんだ?


 俺はただ……



 この女の子、如月(きさらぎ)舞(まい)華(か)さんと仲良くなりたかっただけなのに……


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