第48話 慈悲


 亮介相手に使った不可視の障壁を使っていれば裏当ては効かなかっただろうが、防御を含め、異能を完全に使わずに戦うという油断が最強の女神に生涯初の敗北をもたらした。


 内臓を直接潰されたエバは体を支えられず、ゆっくりと後ろへ傾く、このままいけば床に倒れ伏すエバの体は、だが倒れずに済んでいた。


 見れば、龍斗が自分を抱き寄せ、支えていた。


「……トドメ…………刺さなくていいの……?」


 体重を龍斗に預け、どうにか言葉を紡ぐエバに、龍斗は真弥にしたのと同じように囁く。


「最初はそのつもりだったさ、でも、お前が紗月の母親だっていうのには変わらない」


 龍斗は頭の中で死んだ両親の顔を思い出しながら、今度は語気を強めて続ける。


「だから、ここでお前を殺したら、俺は一生自分を許せない!」


 おそらく、エバが言葉を失ったのは、この日、この瞬間が初めてだろう。


 最強だった女神は人間の少年の言葉に耳を傾け、その肩に顔をうずめる。


「お前は紗月の親だろ!」眼から涙が流れ「母親が! 娘が泣くようなことするなっ!」


 エバの眼からも龍斗同様に涙が溢れる。


 人間は彼女にとって道具であり、自分を楽しませる玩具に過ぎなかった。


 なのに何故、この少年に抱かれると…………こんなにも安らぐのか…………


「お母さん……」


 虚ろな視界には、いつのまにか紗月が写っていた。


 抑え切れない涙で顔を濡らし、紗月はスカートの裾を握り締めた。


「お母さんのせいで死んだ人達は分からないけど、私は、お母さんが私を捨てた事も、黒門会を使って私達を襲わせたのも、全部許すから……だから……」


 涙の量が倍化した。


「戻ってきて…………」


 娘の必死な訴えに、エバは戸惑いながらも、慎重に言葉を選び答える。


「ありがとう……すぐには戻ってあげられないけど、全部の後片付けが終ったら……会いに行くから……行くから……」


 今、目の前にいる女神に余裕なんて無かった。


 そこにいるのは触れただけで崩れそうなほど儚げな一人の女性が涙を流すばかりである。


 エバは龍斗から体を離し、何とか立つと紗月に歩み寄る。


「お母さんケガ」

「大丈夫、もう大半は治ったから、それよりも、最初の後片付けをしないとね……」


 おもむろに紗月の頭に手を触れた瞬間、エバの手がスパーク、紗月の体がピクッと一度痙攣して、エバは手を離した。


「私の力で強制的に貴方の殺人衝動を封じたわ、孤児院に入る前の記憶も、徐々に戻ってくるはずよ……それと……」


 フラつく足を進め、エバは真弥の前まで行くとしゃがんで目線を合わせる。


「本当に、いい子を育てたわね……」

「許さないから……」


 自分を見つめてくるエバに、真弥は眼を閉じて、涙を抑えようとしながら叫んだ。


「今度紗月ちゃんを泣かせたら絶対許さないんだからっ!」


 小さく頷いて、エバは屋上の端へ歩みを進め、龍斗達を振り返り見る。


「黒門会の処理は任せて、他のカイン達も、見つけ次第能力を剥いでおくわ、じゃあ……」


 それだけ言って、白銀の女神は夜の世界に溶け込むように姿を消してしまった。


「ふぅ、俺達も帰るか……」

「うん、って、あれ? 一輝さんと由加里ちゃんは?」辺りを見回す。

「ああ、二人ならもう……」





 さきほどエバが作り出した焼け野原に向かって、何百台ものパトカーと救急車が駆けつけようと、サイレンの音で満たされた街中を見慣れた男女が並んで歩く。


「黒門会の情報は真弥ちゃんが後で送ってくれるから任務完了だけど、カインが減ったら俺らの仕事も無くなるな、お前これからどうするんだ?」

「ボクは変らないよ、これからもクロちゃん達と一緒に青春祭、んで、隙あらばクロちゃんを奪う」握り拳を作って目の前にかざす。

「お前……龍斗のこと好きだったんだな」

「だって強いしイケメンだし一途だし、選ばない理由なんてにゃいもん、まっ、ダメっぽかったらカズちんと付き合ってあげるよ」

「Cカップ以上になったら付き合ってやるよ」


 刹那、由加里の蹴りと一輝の手刀が互いの頭を叩いた。

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