第444話 謎老人

「―――おや、帰るのかの? もう少しゆっくりしていけばよかろうに」


 と、この場にいる誰でもない、老人のような声がホール内に響き渡った。


 突然の声に僕達は驚き、振り返るとそこには一人の老人の姿があった。

 身長は高く、白髪で口元には髭を蓄えた老人だ。


「あ、あなたは……?」

 伸びのポーズで固まった姉さんはそのままの体勢で、

 振り向かず僕の元までムーンウォークで後ろに下がりながら言った。


「ほっほっほ、美しいお姉さんじゃのう。

 この基地の中に侵入した人間がいると聞き及んで様子を見に来たのじゃ。するとどうじゃ? この施設内にある装置に向かって拳一つで破壊する猛者がおるではないか? 大したもんじゃのう……」


 と、感心するように言う老人にサクラちゃんが言う。


「あ、あの、お爺ちゃんは一体……? ここ、魔物の拠点のなんだけど……」


「そうじゃのう、知っとるよ」

 老人は当たり前のように言った。


 その様子に、エミリアとレベッカは警戒心を強める。

 二人は老人の視線から逃れるように脇に移動し、小さな声で話し始めた。


「エミリア様……あのご老体、どう思われますか……?」

「……」


 エミリアは答えない。

 が、その表情は明らかに、疑いの目を向けている。


「(……人間……だよね。少なくとも魔物には見えないけど……)」


 だが、この世界には変身魔法という便利なものが存在する。その気になれば、魔物でも人間の姿に化けることが可能だ。何らかの手段でこの老人の正体を暴く必要がある。


 ただ……。


 僕は少し前のエミリアとの会話を思い出す。


『このダンジョンって、魔物というより人間が作ったような場所に思えませんか?』


『人間……? うーん……言われてみれば……』


 エミリアの言う通り、

 この施設は人間の技術力によって作られているように見える。

 もし、それが事実だった場合、この人物の正体は……。


「あの、質問いいですか?」


 僕は事実を確認するために、手を挙げて老人に話しかける。


 すると、老人はこちらを振り向き「うん、なんじゃ?」と僕の言葉に応じた。


「貴方は、一体誰何者なんですか?

 ここは魔物だらけの場所ですよ、ですが、貴方は人間のようにしか思えません」


「ほっほっほっ、これは異なことを聞くのぅ」


 老人は愉快そうに笑う。


「わしは人間じゃよ。ただの、しがない老人じゃ」


「……なら、どうしてこんな所に……それに、どうやってここまで……」


「それはのう、ワシはとある方に随分昔にこの場所に連れて来られたのじゃ……。その方は『魔軍将』……と名乗っていた気がするのう。連れて来られたのは二十年以上前で、その方と顔を合わせたのはそれっきりじゃが」


「ま、魔軍将!?」

 その名前を聞いて、僕達は驚く。


「まさか、ご老体……!」


「そ、それって……つまり……!」

 僕は動揺しながら、老人に確認を取る。


「お、お爺ちゃん……もしかして、魔王軍の……!?」


「うん……魔王軍? なんじゃ、それは?」


 首を傾げる老人を見て、僕達は一瞬固まった緊迫感が崩れて軽くズッコケる。


「お主ら、若いのに足腰はいっとらんのう……」


「いや……そうじゃなくて……その、魔王軍の関係者じゃないんですか……?」


「魔王軍……? 魔王……?……はっはっは! そんなの知らんわ!」


 老人はカラカラと笑いながら否定する。


「どうやら、ここの組織の事を言っておるようじゃのう?

 ワシはここに半ば閉じ込められて設計を任されて、何がなんだか分からず何度か逃げようとしたんじゃが、その度こわーい魔物達に脅されてのう……。

 それから仕方なく言われるがまま設計図を書いて……そんな組織名がある事すらも知らなかった」


「……じゃあ、囚われてただけ?」


「いや、完全にそうとも言えんの。

 お主らがさっき破壊したその装置は、ワシが設計したわけじゃからの」


「「「―――ッ!!」」」


 僕達は驚愕して、一斉に装置を見る。


「どういうことですか? だって、この機械は魔物を召喚してたんですよ?」


「うん? ああ、そうじゃ。あれは魔物を作り出す装置じゃ。

 ……いやぁ、ワシも何故そんなものを作れるのか分からんのじゃが、昔、そのような事をしていたのじゃろう。

 歳かのぅ……昔、何かショックな事があったせいか、それ以降昔の事を思い出そうとすると頭痛がして何も記憶が戻らんのじゃ……」


 老人は頭を押さえながら苦笑する。


「じゃあ、この施設で魔物を作っていたのは本当なんですね」


「ああ、そうじゃよ」


 老人は事も無げに言った。


「……」

 エミリアは奇妙な物を見るように老人を睨みつける。


「そこの……とんがり帽子を被ったお嬢ちゃん、ワシをそんなに睨み付けてどうしたのじゃ?」


「……あなたは……一体ここで何をしているのですか?」


「見ての通り、魔物を作っておるのじゃが……?」


「そういう意味ではありません。あなたは、一体何のために魔物を作っているのですか?」


「……? 魔物を作るのに理由が必要かいのう?」


 その老人の言葉に、エミリアは怒りの表情を向ける。


「――――!! 理由もなく、魔物を作るなんておかしいでしょう!!?」


 エミリアは珍しく声を荒げた。


 だが、老人は何故怒られたか分からない様子だ。


「……もしや、怒っておるのか?

 ……確かに、言われてみれば……ワシは何故そんなことを……? 」


「……は?」


「……すまんのう。本当に覚えがないのじゃ。だが、あの魔軍将という方が、ワシの住まう洞窟を尋ねてきた時、『我らの為に力を貸してくれ』と言われてのう。

 それ以降、ずっと脅されながらもここで言われた通りにしておった。逆らえば怖い目に遭わされるからのぅ……」


 老人は顎髭をさすりながら、遠い目をする。


 僕はエミリアに尋ねる。


「……え、エミリア、この人は一体……?」


「………今は、確証がないので何とも……ですが……」


 エミリアは意味深な事を言いながら、老人に言った。


「貴方、名前は?」

「……名前? ………駄目じゃ、思い出せん………あたた……頭が……」


 老人は頭を手で押さえる。


「……様子が変だよ? 大丈夫かなぁ……?」

 サクラちゃんは心配そうに見つめる。


 彼女は純粋に彼の事を心配しているようだ。

 だけど、この老人の言葉をそのまま信用しても良いんだろうか?


 老人の言葉の要点を纏めると、


『昔、ここに連れて来られて訳も分からず、魔物を作り出す装置を作らされ、今もずっと働かされている。記憶もなく、何故自分がそんなことが出来るのかも分からない。』


 ……という話になる。


 この話が事実だとしたら、彼は被害者ということになるけど……。


「お主ら……すまんが、少し休ませてもらえぬかのう……?」


 老人は辛そうな表情を浮かべる。


「あ、はい……」


 僕は思わず了承してしまった。

 しかし、様子を見ていた姉さんは言った。


「ダメよ、こんなところで長居したら魔物が来るかもしれないじゃない。もう用事は済んだんだから、早くここを出ないと……」


「あ、そっか」

 僕は姉さんの言葉に頷き、老人に言った。


「お爺さん、ここは危ないから僕達と一緒に脱出しましょう」


「脱出……? ワシ、ここから出ても良いのか?」


「ええ、勿論ですよ」


「ほっほ……それは嬉しいのう……」


 老人は嬉しそうに笑う。


 この人を少なくとも魔物の傍に置いておくわけにはいかないだろう。王宮に連れていって、グラン陛下がこの老人をどう扱うかは分からないけど、とりあえず保護してもらう事にしよう。


 それに、この人を連れ出せば魔物が作られることも無くなるかもしれない。


「じゃがのう、ワシ、ここの出口なんぞ知らんぞ? 設計した時に比べて、魔物達がごちゃごちゃ色々継ぎ足してちんぷんかんぷんになっとるからのう」


「あ、それなら大丈夫です。僕達がどうにかしますから」


「なぬ?」


「ね、サクラちゃん?」


 僕は老人の質問に答えながらサクラちゃんの方を見る。


「まっかせてください! 移送転移魔法陣を描きますから少しだけ待ってて」


 そう言って、サクラちゃんは魔法陣を描くのを再開し始めると、僕の腕を掴んで止める者がいた。


 それは怒りの表情で僕を見るエミリアだった。

 エミリアは強めの口調で僕に言った。


「ちょっと、レイ!」


「……何? エミリア……?」


「何じゃなくて、まさかこの人達も連れて行くつもりですか!?」


「うん。だって、この人は被害者だよ?」


「……で、でも、こいつに作られた魔物のせいで殺された人間だっているかもしれないのに……!!」


「それは……」


「そもそも、こいつが嘘を付いてる可能性だってあるじゃないですか!?」


 エミリアは僕に詰め寄りながら強い口調で言った。


「……っ!」


 エミリアのその言葉に、僕は何も言えなくなる。

 だが、そこにレベッカが僕達二人の間に割り込み、僕らの腕を掴む。


 そして静かな声で、それでもはっきりとした声で僕達に語るように言う。


「お二人とも、冷静に……。この方の素性は分かりませんが、今は言い争いをしている場合ではございません。

 少なくともわたくしにはこの方は人間としか思えません。それに、私達に害するほどの力は無いと思われます。エミリア様の心配はもっともでございますが、真偽を確かめるのは今でなくとも良いのではないでしょうか」


「……レベッカ」


 エミリアは、冷や水を掛けられたかのように怒りの表情が消え失せる。


「エミリア様、どうかここはわたくしめの顔を立てて頂けませんでしょうか?」


「……」

「……」


 エミリアと顔を見合わせる。

 しばらく顔を強張らせていた彼女だったが、ふぅとため息を付いて言った。


「……分かりましたよ、二人がそう言うのであれば」


「ありがとうございます」


「いえ、私こそ熱くなってすみませんでした……」


 ひとまずエミリアが納得してくれたので、僕は心の中で安堵する。


 エミリアが言う通り、この人を信じられるだけの材料はない。ここを出たら、どうにかしてこの人の素性を確かめないと……。


 そして、僕は老人に言った。


「お爺さん、申し訳ありませんが、もう少しだけ我慢してもらえますか?」


「ああ、構わんよ。むしろ、助かるわい。

 ……というより、ワシのせいで迷惑を掛けてしまっているようじゃのう……。

 そこな、とんがり帽子のお嬢さん、すまんかった」


「………いえ」


 老人に話しかけられたエミリアは視線を合わせず、

 とんがり帽子を左手で下に抑えて顔を隠しながら言った。


「(……やっぱり、エミリアはまだ完全には納得してないか)」


 今回はレベッカの顔を立てたという事だろう。僕もエミリアの言葉に反論できなかった。途中でレベッカが割って入って無ければこの人を連れていけなかったかもしれない。


 そうして、僕達は一旦、この老人の追及を止めることにした。

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