走錨の少年

種山丹佳

第1話 / 錨を下ろした人生に終止符を

 ――オレは錨を下ろした人生を歩んできた。

淡々とただ一つのことに執着する人生だ。

それは、もちろん楽しい人生、面白い人生とは言い難いものだった。

だから。だからこそ、これからは荒波を乗り越える人生も悪くないんじゃないかなんて思っている。


 いや、そういう人生に舵を切りたいと、そう誓った高校三年生、最後の冬だった。



聖弥せいやー! いつまで寝てるの? 早く起きなさい!」


 いつものことながら、母の声が家中に響き渡っている。

今日は、春休み真っ只中の日曜日。

早く起きるなんてごめんだ。

当然のようにシカトしてベッドに突っ伏していると、母は部屋に勢いよく乗り込んできた。


「聖弥! あなた、今日は美容院の予約入れてたでしょ! 早くしないと……」


 ノックくらいしろよ。そう言おうとして動かした口が半開きで止まる。


……美容院の予約?


 途端包まっていた掛け布団を蹴り飛ばし、電光石火のごとく服を着替え始めた。


「どうして先に言ってくれなかったんだよ! 危うく寝過ごすとこだったじゃん」


「何度だって言ったわよ! じゃんじゃん支度して、遅れないようにねー」


 うんともすんとも言わず、せっせと手を動かして出発の準備を進めた。

今日もなんかアツイ日になりそうだ。

部屋にある温度計とカレンダーを見ながら、額の汗を拭った。



 オレは髪を茶色に染めた。

春から大学生デビューするにあたり、舐められないようにしなければならない。

いやそれよりも髪を染めるのは、高校の時から憧れだった。

 大学生になったら、許される行為。

高校生にはできない所業で、絶対に踏み込めない聖域。

そして、それは髪だけに限ったことではない。


「ねぇ、本気でやるつもり? 柄悪くならない?」


「絶対やる! 柄とかそんなん関係なくてさ……」


 その妙な間に、母はこちらに顔を向ける。


「オレは大学生になったんだから! ピアスだってもちろん開けるよ」


 そんな一言に苦笑しながらも、母はこう続ける。


「もちろんではないけど。でも、ずっと憧れてたもんね。私たちと同じ大学で、大学生になるのを」


 そう、オレは両親と同じ大学――寛肇治かんちょうじ大学に進学した。


 これもずっと夢見ていたこと。

昔から両親が大学時代の話をすることも多く、その話題は耳に胼胝たこができるほど聞かされた。

両親はその大学で出会い、交際して結婚にまで漕ぎつけた。

そんなのろけ話を延々と聞かされていれば、興味がでない訳がない。

なんなら小学生の時から自分の志望大学だけははっきり答えることができた。

 でも、そこには一つの大きな障害があった。

それは、その大学の偏差値が少し高めであること。

不器用なオレは一度にいくつものタスクを抱えることができなかった。

だから、別段得意ではなかった勉強には手が抜けなかった。

そのせいで対人関係がおざなりになり、友達なんかできたことがなかった。


 この十八年間、ずっと一人だったんだ。


 とにかく両親と同じ大学に行って、大学生活を謳歌する。

それが人生においての最大の目標だった。

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