月下の恋-Divine love-
私は、産まれてから今までずっと一人だ。
いや、昔は母親がいた。父親は知らない。
母は、優しかったが、長くは生きられなかった。私に食べていく方法と、住処の作り方だけを教えて亡くなった。
それからはずっと1人だ。1人でずっと森に住んでいる。
寂しくはない。慣れているから。
それに、私はもう長くない。ずっと前から病に侵されている。
満月の夜が近づいている。
月明かりの夜は、色々なことが起きる。不思議なことだ。
私は、月に導かれるように、ある場所へ来た。神社だ。この神社は、森と街の境目にある。ここは、神聖な場所だ。なのに、人はあまりこない。
だからここで人に会ったことは一度もなかった。そう。なかったのだ。
今日だけは、違った。人がいた。
その人は、拝殿のところに腰掛けていた。悲しそうな背中だった。
おかしい。人を見つけたら逃げなければいけないのに、何故か逃げる気になれない。
悲しそうな背中に同情した?まさか。人の悲しみなど理解できるはずもない。
そう、私には寂しさも悲しさもない。ずっと1人だからだ。
ではなぜ逃げないのか。。わからない。ただ、どうしても気になるのだ。この背中が。
私は、その人に見つからないように拝殿の角からそっと顔を出して見ていた。
じっとしていた。
ここからでは顔が見えない。私は、果たしてこの背中の主がどんな顔をしているのか気になった。なぜだろう?なぜこんなに気になるんだろう?
しばらく見ていればわかるだろうか。?
すると、気配を察したのか、その背中は振り返った。
青年だった。拝殿越しに目が合った。動けない。襲いかかってくるようなら逃げなければ。
いや、逃げなくてもいいかもしれない。
青年は、しばらく驚いたような顔でこちらを見ていたが、やがて私に話しかけてきた。
『こんばんは。君はこんなところでなにをしているんだい?』
答えない。答えようがない。言葉はわかるが、話すことはできない。
私はそのまま青年をじっと見ていた。
『逃げないのかい?僕が怖くないのか?』
怖くはない。なぜか青年は他の人とは違って見えた。なぜかはわからない。
『少し、近づいてもいいかい?』
近づくのは、別に構わなかった。でも、触れるのはダメだ。
『君は、一人なのか?なら、僕と同じだね。』
青年は穏やかな顔をしていた。でもやっぱり、他の人とは違う。。
何かが足りない。。?
『君は、寂しくないのか?』
寂しくはない。ずっと一人だから。
『僕は、生きることに少し疲れてしまったんだ。』
そうなのか、それなら、私と同じだ。
私は、お腹が空いていた。でも、食べ物を探す気力も薄く、ただ森を歩いていた。
青年は、それからも自分のことを話しているようだった。
話の内容は詳しくはわからない。けど、青年はとても辛い経験をいくつも、しかも同時期にしていて、生きる気力を失っているらしい。
もはや涙も出ないようで、淡々と、言葉を並べていった。
青年のことが気になった理由がわかった。青年には、他の人と違ってまるで覇気がないのだ。黙っていたら本当に生きているのかと思うくらいだ。私と似ているかも知れない。
青年は今では珍しい印刷機がいくつも置かれた工場で働いているらしい。
どうやらこの工場で、他人のミスを押し付けられて退職に追い込まれたみたいだ。
青年は上司の指示により裁断機を動かしたのだが、それが原因で同僚が指を切断する大怪我を負ったというのだ。ひどい話だ。
しかしクビになったからと言ってすぐに辞められるわけではないようで、あと一月程は働かなくてはならないという。
『最後まで聞いてくれてありがとう。また明日も来ていいかい?』
一通り話し終えると、青年はそう言って去っていった。
明日も、か。誰かと約束をしたのは初めてだった。
少しだけ生きる気力が湧いた気がした。なぜだろう?
なにも食べていないのに。
次の日も、青年は拝殿に腰掛けていた。今日はすぐに気付いたようだ。
『やぁ、来てくれたんだ。君は賢いんだな。』
そう言って、少し私に近付いてパンを置いた。
『お腹が空いてるんだろう?食べていいよ。』
そっと置かれたパンに近付く。臭いを嗅いでみた。危険なものは入っていないみたいだ。
食べてみることにした。もしこれで死んでも、別にいいかと思った。私は、生きることに疲れていた。
『昨日は暗い話ばかりだったな。今日は明るい話をしようか。』
今日の青年の話は面白かった。
人の世界には、私の知らないことがたくさんあるようだった。
青年が教えてくれたのは、桃から産まれた子供が鬼と呼ばれる恐ろしい生き物を退治しに行く話や、竹から産まれて出た我儘な姫の話など、どれも聞いたことがない話で、私は聞き入った。
すると不意に、青年は私に触れようと手を伸ばした。
私は一瞬で飛び退いた。手の届かないところまで下がった。
『ごめん、嫌だったかい?』
そうではない。人には、触れてはいけないと聞いた。それは、人を守るためだとも。
私たちにはなんの影響もない物でも、中には人に害をなす穢れがあるというのだ。
それが人を通して拡がらないようにと、母が教えてくれた。
『すまない。もうしないから、少し近くに来てくれないか?』
無論、断る理由はなかった。
次の日も、青年はやってきた。
拝殿に腰掛けている。
『やぁ、今日も来てくれたのか。』
そう言って、またパンをくれた。
今日は青年の生い立ちを話してくれた。
青年には、兄弟はいない。その上、幼くして両親を亡くしたのだという。交通事故だったそうだ。
それからは親戚に預けられたが、18になったのをきっかけに一人暮らしを始めたのだという。それからはずっと一人でひっそりと暮らしていたのだという。
『君に会うまでは、友達すらいなかったんだ。』
それは私も同じだった。
『君の話も聞いてみたいけど、それは難しそうだな。』
青年に会うのが楽しみになった。
体力がなく食べ物は取りに行けないが、青年がくれるパンと話があればよかった。
そんなに大層な楽しみでもないが、なにもないよりはずっとよかった。
左の脇腹が重く痛む。そうだ。そうだった。
私にはもうあまり時間がない。明日は満月だ。母が教えてくれた妖術を使うなら、これが最後のチャンスかも知れない。うまくできるかはわからないが。
次の日、青年はまた拝殿に腰掛けていた。
私は満月を見上げ、人の姿を想像した。耳は顔の横へ。鼻を引っ込める。体毛を消し。足をしっかりと作る。2本足で立ち上がる。おおよそ仕上がると、あとはスムーズだった。
尻尾を隠し、衣服は白のワンピース。出立には少々自信があったが、言葉は心配だった。
果たしてうまく話せるだろうか?
私は、いつものように拝殿の角から青年を見ていた。
!!
振り返った青年は、一瞬とても驚いた顔をした。
が、すぐに警戒心を解いた。
『こんばんは。今日は月が綺麗ですね。』
。。私だと、気づいているのかしら?
「こんばんは。」
これしか返せなかった。でも、思った通りに話せているようだ。
「私の言葉、わかりますか?」
『はい。わかりますよ。』
青年は穏やかに答えてくれた。
『よかったら、食べますか?』
そう言っていつものパンをくれた。
「ありがとうございます。でも、いいんですか?」
『いいんです。これはお昼ご飯の残りですから。僕はあんまり沢山は食べられないので。』
「そうですか、ありがとうございます。」
それからは、また青年の話を聞いた。
そして、今日は私も自分の話をした。
母が幼い頃、危ない目にあったのを助けてくれた少年がいたこと。
それから母は、人に敬意を持つようになったこと。
そのため、人には触れないように教わったこと。
それから、私たち狐だけに許された妖術を教わったこと。
そして、私を置いていなくなったこと。
幼かった私には辛くて悲しくて、それからはずっと一人で生きてきたこと。
『そうか。君も一人だったんだね。僕と同じだ。』
「そうね。寂しかったわ。」
『うん。もう、寂しくないかい?』
「えぇ、あなたがいるから。触れることはできないけれど、暖かいって、こういうことなのね。」
私は、もう長くない。青年に出会うずっと前から病に侵されている。
でもこの青年には、これからも生きていてほしい。
『うん。僕もとても暖かいよ。』
月明かりの中、見つめあった。青年の目はとても綺麗だった。
私に楽しみを与えてくれてありがとう。
友達になってくれてありがとう。
暖かさを教えてくれてありがとう。
これからももっとお話ししたかった。
できることなら、人に産まれてあなたと一緒に生きたかった。
あなたが私にしてくれたように、私もあなたに楽しみをあげたかった。
あなたに触れて、不安を取り除いてあげたかった。
これからもずっと、ずっとずっと一緒にいたかった。
どこまで言葉にできていたかわからない。術が解けかけている。
涙が流れた。これが、泣くということ。。
青年も泣いていた。
すると不意に、青年が私を抱きしめた。
!!
「だめっ!」
掠れてしまってほとんど声にならなかった。
『いいんだ。僕ももう長くは生きられない』
気付いていた。青年の体からは、私と同じ、もう助からない者の臭いがしていた。
も?とはどういうことだろう?
『君もそうだろう?初めて会った時からわかっていた。』
そうだったのか。なんてことだろう。。
『僕を一緒に連れて行っておくれ。一人で生き続けるよりも、君と一緒に逝きたい。』
命を蝕む穢れの臭いが強くなった。
そうか。この人は、本当に生きることを止めようとしているんだ。
わかりました。やってみましょう。
満月が見える今日なら、もしかしたら。
『ありがとう。』
私は想像する。
満月まで登る道を。
光の道。真っ直ぐ上に登っていく。
私と青年を連れて、月の向こう側まで。
一緒に行きましょう。
私達は、光の道を進んでいく。
私の身体からだんだん痛みが引いていく。
そして、重さがなくなっていく。軽い。これならどこまでも走っていける。
『ありがとう。僕は、君と一緒に逝けるんだね?』
えぇ、一緒に逝きましょう。
もう、苦しくない?
『うん、大丈夫だ。君は?』
私もよ。
向こうに着いたら、いっぱい話をしましょう。
これからは、ずっと一緒よ。
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