第24話

 ふらふらと家に戻り、浴衣を脱がせて貰った僕は、結局夕飯も少ししか喉を通らずぬるめのお湯を張った湯船に浸かりぼーっとしていた。


―どうしよう。


 お湯に浮かんだプラスチック製のアヒルの玩具を見つめて唇を噛む。宿題なんて出されたって答えなど分からない。

 オミはなんのつもりでキスなどしたのだろう。泣いているのを慰めてくれたのか、単にからかっているのか、ただの好奇心か。


―まさか恋愛的な意味で?


 そっち方面はさっぱりだ。恋愛系の小説も漫画も読まないし、テレビは自然のドキュメンタリーくらいしか見ない。ハナも似たりよったりで、彼女以外の同級生と恋バナなどしたこともない。オミにしたって相手は選び放題に見える。


―わざわざ僕にかまうのは、周りにいなかったタイプだから?


 いちいち僕の反応を見ているのはハナみたいに観察しているからかもしれない。やはり好奇心の可能性が一番高い。

 だとしたらハナにも同じ事をするかも。変わったものへの興味だとするなら、彼女ほど当てはまる人間もそうそういない。

 シャーロック・ホームズが言っていた。『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる』


―ハナが危ない。いや…ハナなら大丈夫だろうけど。


 むしろ未知の分野への好奇心に目覚めて2人でエロスの探求に乗り出してしまうかもしれない。元々オミの筋肉への興味はあるのだから、あのノートに詳細な記録をつけながら実践しかねない。そんなの嫌だ。

 頭の中に彼らの姿を並べて思い描くと、お似合いのように思えた。胸の奥がチクリと痛む。

『嫌だった?』オミはそう聞いた。首筋から伝わった手の平の熱を思い出し、顔が熱くなる。バシャバシャとぬるま湯をかけて感覚を追い払った。それでも脳内が茹だったようでまともな思考ができない。


―嫌ではなかった。

 

 それも問題だ。考えさせるのが目的なら十分すぎるほど考えている。頭の中はあの悪い笑顔のオミでいっぱいだ。

 嫌だと言わなかったらその先に何があるんだろう。知識は蓄えていても自分の反応が分からない。誰かに触られても嫌悪しかないけどオミは違う。

 僕は指で唇を押さえてお湯の中に顔を沈めた。


―これ以上考えるとまた知恵熱が出そう。


 結局お母さんが呼びに来るまで湯に浸かっていて今度は湯あたりした僕は、軽く熱を出し一晩中おかしな夢を見てうなされ続けた。

 

 熱は一晩で下がったけど、翌日の午後、家にやってきたオミに考えた事を話すと彼は爆笑してしばらく動けなかった。

「残念ながら不正解です。もう少し頑張りましょう」

 笑いすぎて涙が浮かんだ目尻を擦りながら、澄ました顔で教科書を広げる彼を恨めしく睨み、更に頭の痛い数学の問題を解く羽目になった。

「ハナに聞いちゃだめだよ。自分で考えて」

 口調は優しいけど容赦がない。僕はお母さんが用意してくれたお菓子を齧りながら、数式を解く彼の横顔を眺めた。

「せめてヒントが欲しい…」

「ヒントはいっぱいあげてるでしょ。もっと欲しいの?」

 僕の口についたお菓子の粉を親指で拭い、眼を細めて意味深に笑う彼にブルブルと首を振る。指を自分の口元に持っていき赤い舌を覗かせる仕草に眼が釘付けになる。こめかみが熱を持ち、心臓の鼓動が上を下への大騒ぎだ。


―助けて、ハナ。


 僕はテーブルに突っ伏し、喧嘩中なのも忘れて、遠い九州にいるハナに心の中で助けを求めた。

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