第17話「ロキ」
ロキと名乗った青年は、キツネのように目を細め、人懐っこい笑みを浮かべている。
なおも険しい顔で警戒を解かないシオンさんに対して、ロキと名乗った青年は溜息をつく。
「誰だと聞かれたから自己紹介をしたのに、無視は酷いなぁ」
ロキさんは頬をポリポリと掻きながら、軽い口調で話しかけるが、シオンさんは無言のままだ。
シオンさんは、何故ここまで警戒しているんだ?
ロキというと神々を殺した邪神の名前だ。その邪神の名前を名乗る相手を警戒するのはわかるし、急に現れたという点も確かに得体が知れない。
でも襲い掛かってくる様子はないし、どちらかというとフレンドリーな態度で接してきている。
ロキさんを信用するわけじゃないけど、ここまであからさまに警戒する必要があるのだろうか?
多分、あるんだろうな。
ロキさんに対してシオンさんだけじゃなく、リンも何かを感じ取っていたようだし。それが何かは、僕にはわからないけど。
「ねぇ。キミからも何か言ってやってくれないか?」
「えっ?」
間抜けた声が出た。
ロキさんは無言のシオンさんに話しかけるのを諦め、今度は僕に話しかけてきた。
「だって、このままじゃ
そう言って、僕の元に歩み寄ろうとしたロキさんに対し「動くな!」とシオンさんが恫喝する。
素直にその場に立ち止まり、肩をすくめてわかりやすい位に溜息を吐き「ね?」と笑って僕に話しかけてくる。
何か言おうにも隣に立っているシオンさんは怖いし、でもこのままロキさんを放置して置くのも何だか可哀想だな。
「シオンさんは、何故そこまでロキさんを警戒しているんですか?」
なので、シオンさんに話を聞くことにした。
多分、同じ質問をロキさんがしても、シオンさんは答えないだろう。
僕越しに理由が聞ければ、ロキさんもどうしてここまで邪険に扱われているかわかって、少しは納得してくれるはず。
「見ればわかる」
ロキさんを見てみる。目が合うと彼は笑顔で僕に手を振った。その様子からは、敵意を感じない。
う~ん。さっぱりわからないぞ。
「あぁ、そういう事ね」
そう言ってロキさんはポンと手を叩き、うんうんと頷く。
どういう事だ?
「魔力が見えていたのかな? それとも気配に敏感なのかな? まぁどっちでも良いや。これで大丈夫だろ?」
大丈夫というロキさんだが、僕の目からは変化を感じられない。
シオンさんも、依然として警戒したままだ。
☆ ☆ ☆
リン達が来たのはそれから数分後の事だった。先ほど取り乱していたリンは、見た感じ落ち着いているように見える。
「やぁ、こんにちわ。ボクの名前はロキ。封印を解いてくれたのは……誰かな?」
先ほどと同じような挨拶をするロキさん。
「封印?」
サラが怪訝な顔をして聞き返す。
「うん。封印」
頷き、笑顔で問い返すロキさん。
僕に視線を向けてくるサラに対し「知らない」という感じで首を横に振る。
その様子を見たロキさんが、ダンディさん達に視線を向けるが、同じように首を横に振られるだけだった。
「あの、すみません。そもそも封印って何を封印されていたのですか?」
そもそも、彼が言う封印というものが何かわからない。
よくあるおとぎ話では封印を解くと、悪魔が出て来たり、災厄が出て来たり。
他にも一部の大きな教会では、曰く付の物を封印していたり、祀ったりしているっけ。
「それは、ボク自身さ。キミ達が封印を解いてくれたおかげで、こうして出る事が出来たんだけど。もしかして本当に知らない?」
邪神ロキの封印……ねぇ。
リンやシオンさんの態度を見る限りでは、本当のような気がするけど。
ロキさんの姿を見てみると、相変わらず笑みを浮かべてニコニコしている。とても神話で語られるような、神々を殺して回った邪神には見えないけど。
「えっと……さっきイルナちゃんがエルフの秘宝を祭壇に置いたんだけど。もしかしてそれでしょうか?」
石碑を指さすが、笑顔で首を傾げるロキさん。
裏側にあるから、石碑を指さして祭壇と言われてもわからないか。
「祭壇は石碑の裏側にあります」
笑顔のまま、今度は反対側に首を傾げられた。
「ごめんごめん。実はボク自身、封印はどんなものなのか知らないんだ」
僕達はその場でズルっとズッコケた。なんだよそれ。
「だって気づいたら封印されてたんだから、仕方ないだろ?」
そう言ってロキさんは後頭部を擦りながら「あはは」と陽気に笑っている。
「まぁでも、多分それがボクの封印だと思うよ。きっと」
凄く曖昧な返事だ。ロキさん自身が分からないんだから仕方ないか。
「ともかくお礼を言わせてもらうよ。封印を解いてくれてありがとう」
シオンさんはまだ警戒したままだけど、彼のお調子者で敵意を感じない態度に、僕はどこか油断してしまっていたのだろう。
このまま「それじゃあ、さようなら」と言って別れれば良かったのに、余計な事を言ってしまった。
「そうだ。自己紹介がまだでしたね。僕の名はエルク。冒険者をやっています」
「エルク君か、よろしくね」
サラ達に手招きをして、僕の隣にまで来てから順番に自己紹介をしていく。握手を交わしたい所だけど、あいにくシオンさんが睨みを利かせたままなので、ロキさんは近づいてこようとしなかった。
それまでニコニコと笑顔で「よろしくね」と言っていたロキさんだったが、変化があったのはダンディさんからだ。
「ダンディだ」
「……へぇ、ダンディって言うんだ。変わった名前だね」
一瞬だけど、表情が曇って見えた。
「
「フレイヤ。ふぅん、良い名前だね」
目をそらしながら挨拶するフレイヤさんが、ロキさんに返事を返そうとした時だった。
「えっ……カハッ……」
一瞬で、フレイヤさんの前に移動したロキさんが、フレイヤさんの首を鷲掴みにして持ち上げていた。
「うん。殺したくなるくらい、良い名前だ」
張り裂けそうな程に口を開き。ニヤァと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、低い声でそうつぶやいた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
一瞬で距離を詰め、フレイヤさんの首を鷲掴みにしたロキさんが呟く間。その一瞬で即座に動けた者が居る。シオンさんだ。
油断していた僕らと違い、警戒し続けていたシオンさんが先んじて動いた。まるでこうなる事を予測していたかのように。
一足でロキさんの元へ、着地と共に剣がブレる様子が見えた。狙いはフレイヤさんを持ち上げている右腕だろう。
そして「キィィィン」という甲高い音が響き渡る。ロキさんの右腕を捕らえたと思われた剣は、いつの間にかロキさんが左腕に持っていた大鎌によって防がれていた。
ロキさんが大鎌で防ぐと同時に、シオンさんが僕の横をすり抜け吹き飛んで行く。
そのまま勢いよく木にぶつかり、シオンさんは肺の空気を「カハッ」と出すと、そのまま倒れ、シオンさんがぶつかった木は音を立ててへし折れた。
ロキさんの足が突きだされてるのを見る限り、シオンさんに蹴りを入れたという事だろうか?
正直、速すぎて見えなかった。
「ありがとうヘル。助かったよ」
まるで誰かにお礼を言うかのようにつぶやくロキさん。
その隙に正気に戻ったのはアリア、サラ、リンの3人だった。
3人がそれぞれ3方向から飛びかかる瞬間に背中を叩かれ、僕もそこで正気に戻った。完全に頭が追いつかず見ているだけになっていた。
僕の背中を叩いた主、ダンディさんも既にアリア達の元へ走り出している。
『混沌』を発動して、僕も即座にロキさんへ飛びかかった。
盾を持つ左半身を前に走り出したアリアだが、ロキさんが持っていた大鎌を横薙ぎにすると、まるで紙切れのように、盾がキレイに真っ二つに割けた。
アリアは大鎌の危険度を察知し、壊れた盾を捨て即座にバックステップで距離を取るが、ロキさんがくるりと一回転をして遠心力をつけてフレイヤさんを投げつけた。アリアはフレイヤさんを受け取めきれず、そのままの勢いで二人は吹き飛んで行った。
アリアがバックステップをすると同時に、ロキさんの背中に回り込んで足を狙っていたリンだが、ロキさんが回転の勢いで放った回し蹴りを腹部に受け、まるでボールのようにポーンと上空へ飛んで行った。
これがほんのわずか一瞬。僕が『混沌』を発動させてロキさんの前につく、1秒足らずの時間で起きていた。もし『混沌』を発動させていなければ、先ほどのシオンさんの時のように何があったか僕には理解すら出来なかっただろう。
「あっ……」
そして僕がロキさんの前に立つと同時に、サラがガクリと崩れ落ちる。
飛んで行ったリンに気を取られ、サラが思わずリンの方に顔を向けてしまった隙に、手刀で意識を刈り取っていた。
もはや大人と子供なんてレベルですらない。僅か数秒足らずでシオンさん、アリア、リン、サラ、フレイヤさんが無力化された。力量差は歴然だ。
それはダンディさんもわかっているのだろう、いつもの朗らかな笑顔に、冷や汗が浮かんでいる。
「まだやるかい? あの女を差し出すならキミ達は見逃してあげるから、もうやめにしない?」
ロキさんは先ほどの、敵意を感じさせないお調子者のような口調でそう言った。
いや、敵意を感じさせないなんてのは、僕の大きな勘違いだ。彼にとって僕らは”敵”ですらない。
僕ら相手なら軽く切り抜けられる。そう、言うならば”余裕”だ。
だからあれほどまでに警戒し、恫喝するシオンさんに対しても、涼しい顔をしていられたのだ。
人がただの蟻に対して脅威を感じないように。何かされてもプチっと潰せる、そんなレベルだ。
この状況になってから、ようやくその事に気づいたんだから、本当に自分が情けなくなる。
そして、そんな事で自分を責めている時間なんて無い。
「大事な友を見捨てられるわけがないだろ!」
そう言って拳を振りかざしたダンディさんに続き、僕もロキさんに襲い掛かる。
策も何もない力任せの突進に対し、ロキさんは大鎌を肩に構えたまま、小バカにするかのように鼻で笑っている。
ダンディさんの、僕の顔くらいはあるであろう拳がロキさんの顔面に叩きつけられた。
だけど、吹き飛んで行ったのはダンディさんだった。
「うんうん。流石ヨルムンガンドだ」
何が起きたのかわからないが、ロキさんの足元の地面がうねうねと動いているのが見える。
ダンディさんが吹き飛ばされた原理が分からないけど、勢いをつけてロキさんに飛び込んでいるのでもう止まれない。
勢いのまま、僕はロキさんに殴りかかった。
大鎌を構え、余裕の笑みを浮かべるロキさんの顔面めがけて殴りかかり。そのまま思い切り、殴りつけた。
ダンディさんの時とは違い、ロキさんが吹き飛んでいく。
「えっ?」
ロキさんは上半身だけ起こすと、殴られた側の頬を抑えながら目をぱちくりさせている。同じく僕も拳とロキさんを交互に見る。多分今僕はロキさんと同じ顔をしているだろう。
何かしてくると思った。実際に地面から蛇のような物も見えたが、そのまま僕の拳に当たると消えていったのだ。
「フェンリル? ヨルムンガンド?」
ロキさんはキョロキョロと辺りを見渡しながら、誰かに呼びかけている。
気がつけば、ロキさんが着ていた青い鎧も消えている。
「偉大なる水神エーギル。力を迎え入れる事を許したまえ! ストームガストッ!」
水と凍りで覆われた竜巻が、ロキさんを中心に轟音を上げ始める。完璧なタイミングだった。
僕らがストームガストに巻き込まれないように、次々とアイスウォールを展開するフルフルさん。
「エルク」
その呼び声に少し安堵した。
「シオンさん。大丈夫だったんです……か?」
振り返り「大丈夫だったんですね」と言おうとして固まった。剣を杖代わりに歩くその姿は、とても大丈夫そうには見えない。
イルナちゃんは急いでシオンさんの元に向かい肩を貸そうとするが、シオンさんは首を横に振ってそれを拒否した。
「動ける者は、今すぐ、逃げろ」
「どういう事ですか?」
「こういう事だよ」
その瞬間、ストームガストの竜巻は真っ二つに避け四散した。
氷の結晶がキラキラと輝き、水蒸気のような氷の煙がモクモクと沸いている。
その中から大鎌を持ち、いつの間にか青い鎧をまた着ているロキさんが、ゆっくりと歩いて出て来た。
「流石に驚かされたよ。まっ、と言っても、この程度では死なないけどさ」
「エルク。『混沌』を使って、両手をあげろ。ダンディ、動けるならサラ達を、エルクの周りに、投げてよこしてくれ」
ロキさんの言葉を無視するかのように、息も絶え絶えになりながら指示をするシオンさん。
アリア、サラ、リン、フレイヤさんを抱え必死に飛び込んでくるダンディさんだが、頭には「?」が浮かんでいた。何故シオンさんがそんな指示を出したのかわかってないようだ。
「ボクも色々と楽しめたし。そのお礼に次で死ななかったら。キミ達を見逃してあげるよ」
「フルフル。ストーンウォールを、周りに展開しろ。間に合わなくなる」
「わかったけど。説明位してくれても良いんじゃないの?」
「
シオンさんの言葉に「えっ?」と僕らが空を見上げた瞬間、一瞬何かが光ったような気がした。
そこで僕の意識は途絶えた。
☆ ☆ ☆
誰かが僕を呼ぶ声で、目が覚めた。
まだ目がチカチカして、少し耳鳴りがする。
そうか土の超級魔法、メテオが来るとシオンさんが叫んだ瞬間に空が光って。
でもこうして誰かが僕を起こしてくれるという事は、僕らは助かったのか。
「おーい。エルク君早く起きろー。じゃないとキミ死んじゃうよ?」
一気に目が覚めた。
「うわああああああああああああああああああああ」
素っ頓狂な声を上げ思い切り後ずさる。僕を起こしていた声の主はロキさんだ。
そんな僕を指さして「あはは」とお腹を抱え笑っている。
「何でも良いけど。そろそろその魔法解除しないと、危ないんじゃないのかい?」
その魔法?
あぁ、『混沌』の事か。どれくらい気絶していたかわからないけど、長時間の場合は確かに僕の命にかかわる。
しかし、解除した瞬間に襲われでもしたら、今度こそなすすべなく僕は殺されるだろう。僕だけじゃなく皆も。
そうだ! 皆はどうなった?
「あぁ、全員生きてるから安心しなよ。あの女も殺しちゃいないよ」
よく見ると、ロキさん足元で横一列にアリア達は寝かされている。皆綺麗な顔だ。そう全員“傷一つ無い”綺麗な顔をしている。
「ちゃんとキミ以外はケガも治してあげたんだから、感謝してよね。と言っても、ケガさせたのはボクなんだけどさ」
そう言っておどけた感じで笑いかけるロキさん。
僕はというと、考えがまとまらずにいた。彼が何をしたいのか、さっぱり分からないからだ。
フレイヤさんの名前を聞いた瞬間に襲い掛かってきて、土の超級魔法メテオなんていう物騒な魔法まで使って殺そうとしてきたかと思ったら、今度は治療したり。
一体どういう精神をしているんだ?
「ボクは嘘は言うけど、約束は破らない事で有名なんだから信頼しようよ」
そう言われて「はい。そうですね」と信頼出来るわけがない。
必死に睨み付ける。それが今の僕に出来る精いっぱい。
「大体殺そうと思えばいくらでも殺せたのに、生かされた時点で殺す気なんて無いって気付こうよ。ね?」
そんな僕を鼻で笑いながら、小さい子にでも言い聞かせるような口調でロキさんが言う。
言われた通りにするのは癪だけど、確かにロキさんの言う通りだ。殺そうと思えばいくらでも殺せただろう。
段々と頭が冷えて来た。冷静に考えればここでロキさんの機嫌を損ねて「やっぱり殺そうか」となる方が困る。
僕は『混沌』を解いた。
「そうそう。それでよろしい」
そう言って僕の背中を「バン」と音が鳴るほどに思い切り叩くロキさん。その勢いは僕が地面にめり込む程だ。
「いったぁ……くない?」
叩かれた勢いで地面とキスした痛みと衝撃はあるものの、それまでについた傷は全て癒えていた。
起き上がると、そこにロキさんは居なかった。
「それじゃエルク君。次会う時はその女の名前を出しちゃだめだよ」
青い大きな狼にまたがったロキさんが、手を振って森の中へ消えていった。
気づけば周りは静まり返っていた。森のざわめきすら聞こえない。
いや……ざわめく木が無い!
そう。僕らが居るところ以外は、周りの地面が深く抉られ木も石碑も全て無くなっていた。もしシオンさんの指示が無ければと思うと、ゾッとする。
騒ぎに気付いた里長達が駆けつけてきたのは、それからしばらくしてからだった。
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