ニンベンとユメ

運動部が放課後の運動場で汗を流している頃、私達文芸部は、目の前の原稿用紙に鉛筆を走らせていた。

文芸部とは名ばかりで、私と、目の前にいる沙耶以外は皆、幽霊部員だ。

芥川龍之介が昭和の歌手だと思っているような連中、そんな奴らがこの部に所属しているのが気にくわないけど、頭数としてはいるのだから、仕方がない。


今日は、目の前にある原稿用紙2枚に小さな物語を書く練習をしていた。

私はさっさと書き上げると、沙耶の横に座って、彼女の物語が紡がれるのを待った。

彼女がウンウンとうなっていたので、声をかけると

「漢字がわからない」

と、言われた。


「どの漢字を書きたいの?」

「『はかない』って漢字」


呆れた。

あんなに簡単な字がわからないなんて。

なんで文芸部に入ったのやら。

まあ、私が誘ったからだけど。


「にんべんに、夢って書いて」

「にんべん?」

「カタカナのイって書けばいいの」

「あー、はいはい」

「それで、夢。それで儚い。人の夢は儚いって覚えればいいよ」

「人の夢で儚い、ね。なんかさみしーな」

「人の夢なんて儚いものばっかりよ。夢は夢なの」

「えー、でもさ、例えば好きな人と共通の夢を持っててさ、それが簡単な夢だったりしたら儚いなんてことないじゃん?」

「共通の夢って、どんな夢よ」

「例えばこんなの!」


沙耶が私を抱きしめて、唇を合わせた。

さっき彼女が付けていたリップの匂いが間近に感じられる。

思考がその匂いに溶けようとして、私は我に返って沙耶の頭を叩いた。

「痛っ!」

「誰かに見つかったらどうすんの、馬鹿!」

「えへへ、でも、夢、叶ったでしょ?」

「夢なんて、私は言ってないけど」

「でも、私は夢だったよ。ほら、人の夢が儚いなんて嘘だよ」

「無理矢理な結論だね」

「いいのです!それが私の作品にいい影響を……」

熱弁しそうになっている沙耶の頭をもう一度叩いて、原稿を指差した。

「いい影響があるのなら、書きなさいな」

「ぶーぶー」

唇を尖らせる沙耶。

尖った唇を指で挟んでつまみあげると、涙目になってイヤイヤと首を振り始めたので、もう一度原稿用紙を指差した。

彼女がしぶしぶと書き始めるのを見て、私は先程書き終えた自分の原稿用紙を脇に置いて、また新しい原稿用紙に鉛筆を走らせた。

いい影響、あるかも。

目の前で変わらずにウンウンうなっている沙耶をチラリと見ながら、私はあの時に嗅いでしまった彼女のリップの匂いを思い出し、その気持ちを紙に落としていった。


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