瞳、飼い猫、倒錯する、愛でる、情

「指輪、買っておく?」

 彼女はそう言ってアクセサリー屋を指差した。

 付き合い始めた記念日の祝いに食事をした後のことだった。

「いいのに」

「でも、記念に」

「だって、バレたら困る」

「会社に付けないでいけばいいんじゃない?」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあ、なんなの?」

 私を見つめる瞳。

 その奥には、純粋を表すかのようなぼんやりとした光が揺れている。オレンジ色の、温かみのある光。

 店の前の道。

 街の喧騒が、耳に入って激しく揺れる。

 注意力が散漫になり、彼女の奥にあった光が、どこに散っていってしまった。

「どうしたの?さっきから、黙って」

 彼女の瞳が、少し閉じて、歪む。

 いつもなら見つめるだけで息を呑んでしまいそうなぐらいになるのに、今はただ悲しい思いが胸に入り込んで、内側を針で刺してくる。

「なんでもないよ」

 首を振る。

 彼女は少し表情を戻す。けれど、瞳には心配と疑いが残っている。

「今日はやめておこうか」

「何を?」

「指輪、買うの」

 少し溜めて、彼女は言う。

 自分の出した意見を否定して、少しだけこちらに罪を背負わせる、自らの意見をハッキリ言わない代わりに使う、悪い癖。


「うん、今日は、やめとこう」


 がっくりとうな垂れる彼女の耳に触れるぐらいに近づく。

「今日は、ね」

 それだけ言うと、彼女は明るさを取り戻してうんうんと頷いた。

 また挫けずに言ってくれればいい。

 その度に、私は彼女の願いを叶えない様に努力をする。

 掌の上で喜怒哀楽を繰り返す彼女という名の飼い猫を、倒錯した情で愛でる。

 ずっと、ずっと。


 顔を上げて、近くの店のガラスを見ると、歪んだまま微笑む真っ黒な瞳が、こちらを見ていた。

 倒錯した愛情を持つ、誰かに見えた気がして、少しだけ背中に冷たいものを……、感じた。


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