失格戦士と疑惑の勇者/最強勇者に逆徒みを感じたオレのセンスに狂いはなかった……しかし!

春倉らん

第一章 大将軍の孫

第1話 つまみ食いと水の刃(やいば)

 この密林は、どこまで続くのか。

 濃く暗く深い緑の森だった。

 死ぬまで前進しようと果てない樹海。

 それを引き剥いで、畑が広がっていた。

 一面、翡翠いろのモザイク。そこに一点、輝く雲より真っ白なピラミッドが映えていた。

 上部に神殿を冠する神殿ピラミッドは、白い漆喰で塗られている。

「むむ、おいしそうで、たまらないござる。むむむむ」

 青空に届く白いピラミッドを載せた、都の丘。

 澄んだ水を満々とたたえる大池のほとりの大貴族の屋敷。

 漆喰塀の内側いっぱいに満ちているのは、温かな匂いだった。

「むむむ、おいしそうで、いいにおいで、もう待ちきれないでござる。むむむむ~」

 四角な中庭を、四辺に並んだ部屋が囲む。

 果樹やサボテンや蘭の花の美しい庭に向いて開いた、風通しのよい部屋のひとつに、リズミカルな足音が大股に近づいてきた。

 茅葺きのひさしの下、ひょいとのぞきこんだ顔は、少年。

 頭の高い位置で一つに縛って垂らした髪が、しっぽのように長く彼の動きのあとを追う。

 普段着ではありえない、目玉の飛び出るほど高価な猛獣の毛皮の帯や、宝石に匹敵するコンゴウインコの赤やオレンジの羽根装飾の円形楯、何連もの宝玉や尊い貝のビーズの装身具をあわせたら、平民ならたっぷり五十年、遊んで暮らせる額になるだろう。

 恐ろしいほど高貴な武人にしては、しかし、人なつこい顔つきの少年だった。

 四十人はゆったりと座って会食できそうな大部屋をきょろっと見渡し、へらっとにやける。

 蝶や鳥の遊ぶ楽園。そんな壁画の漆喰の室内。天井も清潔な漆喰で、実り豊かで平和な世界が描かれている。

 少年は長身を折って敷居をまたぐと、さっさと漆喰床に敷かれたゴザにひざをつき、重厚な台から、ひょいひょいと口に運んだ。

 奥の垂れ幕から人が現れたら、怒鳴られる。

 チラチラ見つつ、手が止まらない。

 宴でなくて二十品を超える料理が並ぶ大ごちそうなど、いかにこの家でも、年に三度もない。

 あつあつに蒸されたチマキは、ぷんと香気のよい葉の包みをはぐと、甘い湯気が立ち上る。中身の半透明の飴色にとろけているのは、トウモロコシ粉と蜂蜜を練ったもの。歯にねばつくが、噛み応えあっていい。

 密林の滋味のある獣肉を炙って甘辛のタレを刷き、満月のようなパンケーキのふかふかしたのに挟んだものは、ものごごろついたころからの好物だから、むしゃむしゃほおばる。

 あふれる肉汁に舌鼓が鳴った。タレはこの家代々の召使いの秘伝だ。

 見つかって怒鳴られたらイヤだ。最悪、説教が長引いて、晴れの入隊式に大遅刻。めちゃめちゃ格好悪い。

 だのに、黄色いカボチャの煮物にナッツを贅沢に混ぜた団子も、ほくほくカリッと、喉をすべり落ちていく。召使いの婆の特製だ。

 合間合間に舌に乗せるのに丁度いいのが、石臼で挽いた唐辛子の刺激的な辛みの、野菜の塩漬け。婆の娘も、最近腕をあげたらしい。手伝って石臼を根気よく動かしたのは、そのまた娘のあの幼い子だろうか。

 もしも祖父が激昂して、入隊の許可を取り消すと言ったら。やっと念願叶ったのに。

 しかし、赤黒の豆をすりつぶした汁を満たした、ヒョウタンを半球に割った大鉢。容赦なく傾けてずずーっとすすってしまう。塩分と熱さとが、五体に行き渡っていく。

 幸せで頬がたるみっぱなしだった。

 耳をすますと、ほうぼうで働く者たちの音。

 トントンと、姉の朝のひと仕事、機織りの足を踏み換える音。

 明るく晴れやかな弟たちの古謡を学ぶ朝学習の歌声と、笑い声。

 箒で掃き清める若い女や少女の済んだ声が、そよ風とともに中庭に集まってくる。

 チマキもまんじゅうも煮物も何もかも、陶器の大鉢や足つきの大皿に山と積まれているんだから、ちょっとくらい……

「バ、バーツ様!! な、ななななな、なんてことをっ!!!」

「げほげほげほっ!」

 結い髪が一直線に跳ね、それからぶんぶんと左右に振れた。

 つまみ食いの常習犯罪者は、部屋に現れるや飛びかかった少年にがしっと肩を掴まれ、揺さぶられていた。

 膝丈の生成りの木綿の腰に、織り地のベルト一本きりの簡素ないでたち。召使いだ。

「あんた今年で十六でしょう!!」

「むむ。だだだって、うまそうだったのでござる」

「いつになったら我慢ってものを覚えるんですか!!」

われのための祝いでござる。だから吾が食って、何がいけないのでござるか? ふーー」

 とぼけた調子で、バーツがタレのついた指を順番にしゃぶる。

 召使いが、わなわなと震え、頬をぴくぴく引きつらせ、

「満足のため息を、つくなーーーーーっ!!」

「ぐぐぐぐ、苦しい、苦しい!!!」

 晴れの日の美麗な武人装束の喉をぎゅうぎゅうと締め付けられて、バーツは胃と食道のあたりを押さえた。

「ゲロしちゃうから、やめて?」

「ぶっ!!!」

「それとも全部出して戻したら、許すでござるか?」

「ぶぶ~~っ!!」

 召使いは絶句し、震えて何かを言いつのろうとして、失速。

「戻したら許してくれるというなら、ちょっとトライしてみるでござるよ。さん、にい…」

 やめてー、と同い年の召使いが悲鳴を上げる前に、自分の喉に指を突っ込みかけていたバーツが、鞭打たれたようにビッと止まった。

 雷のようにとどろいた、老人の喝。

「――!!!!!」

 屋敷内の家族や召使いたちの物音がハタッと止み、代わりにバタバタと足音が、四方八方から賭けつけてきた。

「何事ですか、将軍!!」

「おじいさま!?」

 うわっと庭へ踊り出すバーツ。

 まずい、まずいことをした!!!

 ドドッとダッシュして逃げていくと、姉と、姉に案内されてきた人物との二人に激突した。

「ああー」

と、貴族姫らしく軽やかなケープと手の込んだ刺繍のロングスカートを巻いた姉は、中庭の池にバッシャーンと落ちた。

 うわっとバーツは、ぺこぺこ謝りながら引き上げる。

「あら、ハサミを落としちゃったわ。困ったわね…… お花が生けられませんわ」

 美貌の姉は、落ち着きすぎている。花瓶も、落ちてから今まで持ったままだった。水面の睡蓮の葉とピンクの花の下の水底を、のぞき込んでいる。ぽたぽたと全身からしずくが垂れているのだが。

「あ、姉者。は、花を?」

「ここの睡蓮を切って下さいな、バーツ」

 にこりと色白の姉に言われて、バーツは、は、はあ、と、きょろきょろあたりを見渡した。ハサミはない。

 姉とともに来た客と、バーツは目が合った。

「あなたをご案内に、訓練場からお迎えに参りました」

 爽やかな、同い年くらいの少年。ひとめでそこそこの家格の貴族の子弟と知れる身なり。しかし当然ながら、ハサミは持っていそうにない。

 バーツは、そこで、ぽん、と手を打つと、

「刃物ならある。まかせるでござる!! 冷刃エツナブ!!」

 元気よく唱えざま、何故か、姉の抱える花瓶に片手を突っ込むと、中の水を掴み出すようにパッと手首を返す。

 宙に、水の塊が浮かんだ。誰も触れていないのに、細長い刃の形になった。

 迎えの少年貴族が、驚きの声をたてる。

 透明でなめらかな切っ先が、キラキラと陽光を受けて輝く。残りの水は、重力の法則に従ってパシャパシャと池に落下した。

 バーツは池に咲く睡蓮に腕を伸ばして引き寄せ、空中の水の刃を、片手で合図をするように振ることで、飛ばした。

 水の刃が斜めに空中を滑り、茎をスッパリと両断。パシャンと落ちて、池の水の一部に還った。

 客人の少年貴族が、目を見開いて、バーツの顔を見た。バーツの手を見た。

「な……、冷刃を、これほど造作なく使いこなすとは!!」




――

お読みいただきありがとうございます。

マヤ・アステカ古代文明の文物や歴史があまりに面白くて、書きはじめてしまいました。

これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク(しおり)・応援(ハート)・レビュー(星)をお願いします。

作者のモチベーションが爆あがりして、おかげで書き続けられております。

いつも一話ごとに応援(ハート)をくださる方、ほんとうに感謝しています!

――

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません



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